巻頭言

先のものが後になる


絹川 正吉(国際基督教大学学長)



 ICU(国際基督教大学)は、教務事務を電算化することにおいては、日本で最も先進的でした。その原因は入学試験成績のデータ処理でした。ICUの入学試験の成績処理は、各試験科目の成績を偏差値に変換して、その総合点を用いて行われました。初期の頃は、受験生が少なく、SAT等の能力考査と面接を全受験生に行っていました。受験生数の増大に伴って、能力考査を第一次試験として、その成績の良い者にのみ面接試験を行うことになりました。そのためには、能力考査終了から10数時間以内に、全受験生の偏差値を計算する必要があり、人力計算で大変な苦労をしてきました。そのようなときに、IBMの大型科学用計算機が登場したので、それを使わない手はない、ということが、ICUのIT化のスタートでした。今から30年以上前のことです。
 余談ですが、私は、タイガーの手回し計算機で、汗を流しながら(手回し計算機を使うということは、真実、重労働でした!)フーリエ解析のまね事などをしていたので、大型計算機を何としてでも一度は使ってみたいと思い、Fortranの講習を受け、大型計算機の使用許可証をもらいました。勇躍プログラムを作り、それをパンチ・カードに写し、計算機を動かしました。小さな計算でも、カードはすぐに100枚を越えました。計算機を動かすためには、今では信じられないほど人力を必要としました。それでも、手回し計算機とは比較を絶していて、初めての計算結果には、いたく感動しました(閑話休題)。
 やがて、煩雑な学生の成績管理を大型計算機で処理することになりました。それらのプログラムの開発は、ほとんど自力で行いました。実力があったのです。器用貧乏であったというべきでしょうか。(その器用さが、後に命取りになります。)とにかく、今はやりのGPA(平均成績)制度は、その有効性を大型計算機を用いることにより、十全に証明することになりました。
 さて、複雑怪奇で常に変動しているICUの教育システムに対応するためには、教務事務の計算処理プログラムを、次々に変更しなければなりませんでした。絶えず押し寄せてくる教務の要求に応じているうちに、計算プログラムは、ICUの限られた担当者の職人芸に頼らざるを得なくなってしまいました。そのために、初めに導入した大型計算機に固執し、それを捨てることができなくなってしまいました。
 気がつけば、時代はすでにパソコン時代です。「ICU教務の電算システムは、今や化石時代である。こうなった責任は学長にある」と学部長から責められる羽目になってしまいました。かつて、電算化においては日本の大学のトップであったのに、今は化石であると言われて、発奮しないわけにはいきません。直ちに緊急予算を組み、IT本部長(本邦初出、1998年)を任用して、一挙に化石時代から脱却する戦略を立てました。もともと実力のある組織です。再び、ほとんどすべてを自力開発して、教務事務電算化のパイオニアとしての誇りを取り戻しました。こう言えることは、私のささやかな誇りです。


【目次へ戻る】 【バックナンバー 一覧へ戻る】