心理学の教育における情報技術の活用

パソコンは心理学研究・教育の「台所」

金子 尚弘(白梅学園短期大学心理学科教授)


1.はじめに

 私が心理学の勉強を始めた1970年代からWindowsパソコン全盛となる以前の「情報技術の活用」を振り返ると、便利な情報技術がゆっくりと進んできたような気もします。計算機はタイガーの手廻計算機から電動式計算機へと変わり、動物実験の制御はリレー回路を組み合わせた実験制御が主流でしたが、磁石を使ったリレー回路はトランジスターに代わり、その勢いでApple IIや、PC8001へと変わりました。しかし、その変化はその後の変化よりゆっくりだったような気がします。
 私たちの短大でも、動物実験は手元から餌を直接与える方式から、リレー回路、ロジックモジュール型リレー回路、可変配線パネル、PC8001と自作ボード、中型コンピュータ(PDP-11/73)、DOSパソコンへと「進化」しました。一方、データの計算処理や分析は相変わらず大型計算機が必要で、パンチカードの束を携えて共同利用施設へと出かけていました。
 本学でのパソコン教育は、BASICでの簡単な統計計算や動物実験制御プログラムをのんびりとカセットテープに記憶させることから始まりました。
 しかしパソコンの進歩、特にアプリケーションの進歩が急速に進むと、すべては目まぐるしく変化しました。いまや心理学で扱うほとんど全ての処理、準備と後始末が1台の安価なパソコンで行えるようになり、正に、コンピュータが心理学研究・教育の「台所」となった感があります。
 私たちの学科では、パソコンを実験制御装置、刺激提示装置、CAI機器、実験・調査データ集計、データ分析にと広範囲に研究・教育機器として使っています。また、インターネットを用いたカウンセリングの可能性を探るためにも、携帯電話メールと組み合わせて学生面接にも使っています。さらに、最近は心理学用語のメール配信も試みています。
 私の担当する授業では心理統計と心理学実験とで最も頻繁にコンピュータを使っています。また、知覚心理学や学習心理学のような講義科目、ゼミ形式の演習授業でもコンピュータは欠かせません。


2.心理統計での利用

 心理統計では、1年生に記述統計と推測統計の基礎を教えるのですが、もともと数字は苦手の心理学科生には、統計が心理学的現象の科学的理解にいかに大切かを教えなければならないと同時に、計算が簡単で楽しい作業であることを植え付ける、つまり計算行動を条件づけなければならないわけです。そこで、友達と相談したり、教科書を見ながら計算ができるよう、T検定など統計手法の考え方を講義した後、学生ごとに異なったデータを差込印刷した問題用紙を毎回配布して、必ず自分で計算をしなければならないようにしています。解答欄には、データ数、平均、平均値の差、標準偏差などを次々に計算すれば、いつの間にか検定で必要な値が得られ、最も大切な検定の判断を下すまでたどり着けるようにしています。このような計算練習を毎週行うので、私にとっては答案の返却に追われるのですが、問題番号ごとに解答を参照しながら、解答欄のすべてに丸を付けていきます。丸が沢山付いた答案用紙を受け取るのは誰でも嬉しいでしょう。非常に効果的です。また、統計で扱う数量の概念を教えるために、コンピュータの計算速度と図作成機能を大いに利用しています。確率密度や、標準偏差、標準化といった概念を表計算ソフトを利用して視覚化すると、データの変化に伴う統計量の変化が手にとるように分かります。


3.動物実験の演習

 1年生が行う心理学実験演習での動物実験は、さまざまな実験の一部として実施しているので、時間的にも学生がプログラムする時間はありません。そこで、反応時間の測定やストループ課題の実験と同じようにプログラムされた実験を実施することになります。学生には、動物の行動を観察することを求めるとともに、データをネットワーク上のファイルサーバーから取得し、必要なデータを抽出して計算し、図表にするよう求めています。
 2、3年前までは、動物実験制御をPDP−11のQbusに接続したSKEDというシステムで行っていました。動物飼育実験室に設置したPDP−11とSKEDのI/Oから実験を行う小部屋がある建物までケーブルを引いて6台の実験箱を制御していました。6台の実験箱は完全に独立して別々に制御できるので非常に便利なシステムでした。プログラムは、SKED−NOTATIONという動物実験制御を目的とした言語で、動物が梃子(レバー)を押してから何秒後に餌を出すとか、何回押したらランプを点灯し、右の梃子を押したら3秒後の梃子押しに餌を出すといった制御を簡単にプログラムできるようになっています。また動物実験用のプログラム例が豊富にあり、学生が使う時には、そのプログラムを書き換えるだけで高度な動物行動の実験ができるようになっていました。このシステムはコンピュータ業界の再編でPDP−11を製作していたDECがなくなりメンテナンスが難しい状況になったため、次のシステムに移行せざるを得なくなりました。現在のシステムは、写真1にあるように、パソコンを使ったシステムです。SKEDと同じように高度な動物実験の制御が可能ですが、プログラムは必要なく、数値を入力するだけでひとつの制御モジュールができます。このモジュールの中に、ある数値を満たしたら次にどのモジュールにいくかを書き込みます。このようにしてモジュールを繋げることによって制御シーケンスが完成するようになっています。1台のパソコンで8台の実験箱の制御が可能なのですが、完全には独立して実験を始めたり終わらせたりできないので、2台のパソコンで3台ずつ実験箱を制御しています。
 1週間の演習課題で学生が責任を持つのは実験の実施とデータの分析だけですが、実験をする学生グループごとに6匹のラットを割り振り、1日目はラットに馴れること、2日目はラットに梃子を押すよう訓練すること。次の3日間は、梃子押しに毎回餌を与える群と5回に1回餌を与える群に分けて訓練し、最後の3日間では餌を出さずに条件づけられた梃子押し反応を消去します。ラットが梃子を押すごとにその時間が記録されるので、6匹分1週間のデータはかなりの量になりますが、このデータから学習曲線と消去曲線を描かせ、連続強化群と定率強化群の消去抵抗の違いを分析させて、「何故パチンコがなかなか止められないか」を考えさせるわけです。ところで、実際には最新の制御プログラムですから、学生が作成する学習曲線などのデータ分析は簡単にできるのですが、それは秘密にして、グラフや表は手書きあるいは表計算ソフトで作成させています。
 2年生の場合には、自分で制御のプログラミングから責任を持つようにしているのですが、実際のところ機器の進歩に合わせての十分な指導ができない状況で、既存の制御プログラムを用いた実験になりがちです。
 動物実験のコンピュータ制御に関しては、「動物行動を初めて習う者にとって、自動化した実験は良くない」という批判があります。確かに自動化は行動を観察する機会を奪うことになるので、このことを教育上留意するよう心がけています。

写真1 動物実験の一場面


4.講義での利用

 知覚心理学と学習心理学、応用行動分析ではプレゼンテーションツールを毎回使って授業を実施しています。特に知覚心理学では、視覚教材が多く、特に仮現運動や錯視を説明する上で欠かせません。仮現運動を説明するのに、自分で作ったアニメーションが使えるということは正に夢のようなことです。また、知覚関係のWebサイトも充実しているので、感覚系、知覚系の話や、錯視、色などの講義では、必要に応じてネット上の教材を参照し、教室外で学習が楽しめるようネットサーフィンをしながら紹介するようにしています。


5.ゼミナールでの利用

 ゼミナールでは、自閉症児の発達支援を扱っているので、学生の希望者がパソコン上で療育場面のビデオを編集したり、ビデオから抽出した場面をMPEG2に変換してHDDやDVDに蓄積、分類しています。分析が必要な場面を繰り返し観察し分析するにも、デジタル化した映像はテープのままより検索が容易で、かつ自由に場面を切り替えながら観察できるので便利です。ビデオの変換や編集は時間的な余裕と集中力を要求されるので。学生が自主的に行う作業としては最適なものです。このような作業は私が教えるというよりも、必要な設備環境を整えてさえおけば、逆に教えてもらう立場となり、学生の自主性を育てるためにも必要なことだと自画自賛しています。


6.今後の課題

 実験の制御にコンピュータを用いると、単に楽ができるということになりかねません。今後は情報技術を用いて有効な実践教育を展開したいと考えています。例えば、学生、現場指導者、教員のネットワークに実習現場の情報、知識DBや実習ノートなどを加え、学生が携帯端末を用いて、場所と時間に制約されずに利用できるような、「実習のためのハイパーポートフォリオ支援システム」を計画しています。



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