授業改善奮闘記−ITによるファカルティ・ディベロップメント−

いつも学生と共に

森 園子(拓殖短期大学助教授)


 私が拓殖短期大学の教壇に初めて立った頃(1995年)のマシンはNEC PC-9801、MS-DOSの時代でした。経営学科なのでCOBOLを教えて欲しいという要請があり、COBOLを知らなかった私は、慌てて勉強したことを思い出します。


変化の激しい情報教育

 当時は教室の広さの関係でPC20台、1クラスの学生数は40名余り、つまり二人で1台PCを使用していました。LANはまだ組まれていませんでした。机もPC用のものではなく普通の机の上にコンピュータをのせていたので、教員も学生も机に座るとディスプレイに埋もれてしまい、お互いに顔を見ることができません。何か説明しようとすると、学生がディスプレイの間から一斉に顔を出し、それが、まるで幼児が“なーに?”と言わんばかりに首を傾け覗き込んでいるようで、思わず笑ってしまったものです。
 ここ数年の情報の変化には、実に激しいものがありました。半年後の1995年秋に、マシンはNEC-PC9821となり、Windows3.1が導入されました。翌1997年にはWindows95が導入され、さらにその1年後にはNT4.0を導入しました。ほとんど毎年のようにシステムが変化し、それに伴い教育内容も大きく変化したのです。プログラミング言語もCOBOLからVisualBasicに変わりましたが、このイベントドリブンの概念に出会ったときは、プログラムがどこからでも始まってしまうようで、とても驚きました。何しろ、プログラミングをアセンブラから始めた私は、シークエンシャルなプログラムの流れに慣れきっていましたから.......。
 そんな教員の思いもよそに、学生達は初めからWindowsで育ち、DOSのようなコマンドレベルの流れは知りもせず、しごく当然のように操作していきます。Excelで検索・並べ替えを教えたときもクリック1回で並べ替え......。このプログラムを組むために、一体どれだけのアルゴリズムが考案されたことでしょう。“ワー!スゴイ! スバラシイ!”と、急にそれらのアルゴリズムについて熱く語り始め、一人感動している教員を、学生は半ばあっけにとられて見上げるのです。


新しいシステムの導入−いつでも必ず反対意見が......−

 画面転送装置がありませんでしたので、Windowsの操作を口頭で説明しなければならず、それはそれは至難の業で、涙ぐましい苦労をしました。 そのため、どうしても画面転送装置と、学内LANが欲しいと思いました。
 1997年、私は当時の商学部長の要請で1998年に導入される実習室のマシンおよびシステムに関して全学的なアンケート調査を実施し、その要望を取りまとめました。それと同時に、短大の情報教育に関して、1)実習室のPCの台数を30台に増やすこと、2)1クラスの履修人数を30人とし、学生一人にPC1台とすること、3)画面転送および制御装置を導入すること、4)電子計算機論を1年生必修とし、1年生が全員履修できるだけのコマ数を設けること、5)短大の情報教育カリキュラムとして、既存の情報基礎論(情報一般、情報と社会)、電子計算機論(情報一般、情報リテラシー)、プログラミング論の他に、情報数理科学(情報と科学)を設置すること、6)学生の入学時に情報リテラシーに関する習熟度調査(アンケート形式による)を実施し、その変化と学生間の格差を把握すると共に、習熟度別クラス編成を行うこと、7)学内LANを設け、共有ドライブ等、ネットワーク上での履修を可能とすること、などを要望しました。
 これらの要望を通すことは実に大変なことでした。PCを学生一人1台にすることに関しても、何と、教員から反対意見が出ました。つまり「学生は二人1台で助け合いながら操作しているのだから、一人1台にしたらとても授業についてこれない」というものでした。どんなときにも必ず反対意見はあるものです。TAの要望に関しても、現在でも反対意見があり、いまだに導入されていません。他の専門分野であれば、その分野の比較的少ない関係者の意見で、様々なことを決定することが可能でしょう。ところが情報という分野は、商学も政治・経済も語学もすべての分野を巻き込んだ立場に立つのです。情報が、今、それら多くの分野の共通部分になっているからとも言えるでしょう。民主的である反面、それだけに意見はまとまらず....、東の先生ああ言えば、西の先生こう言って....、ときに足を引っ張り合い.... 多くの場合、共通に認められるところのみ(レベルとしては一番低いところ?)が決定され、学内の情報化は誠に難しいものです。
 ともあれ、当時の商学部長やシステム課長の御尽力で、1998年以降、Windows NT4.0で組まれた学内LAN上で、さまざまなセキュリティを組み、課題提示から実際の操作やプログラミング、課題の提出まですべてネットワーク上で行うことが可能となり、授業方法は飛躍的に改善されました。さらに、インターネット、AV装置やプロジェクタも整ったなか、私は1年生を対象に1996年から始めていたPowerPointやインターネットを用いての総合的情報教育を本格的に押し進めました。[1]この教育のなかで、活き活きと活動していった学生の姿を印象深く覚えています。

▲引き出しのないテーブルは
キーボードを立てかける


教材の電子化とe-learning

 学会や研究集会では、教材のWeb上へのアップロード及び、配信に関する発表が盛んです。その流れのなかで、教材の提示から、質問、課題の提出まですべて電子化する風潮があります。フレキシブルおよび、ディスタントラーニングといった観点から考るととても魅力的で、ぜひ押し進めたいものです。しかし、実際にノートを取らせたり、書き込みをさせたりといった学習の方が、有効な場合も多くあるようにも感じます。プログラミング論においても、プログラムの流れやアルゴリズムを理解させるような場面では、共有フォルダを通して提示された例題プログラムのソースコードを、学生に各自プリントアウトさせ(プリンタはPC2台に1台用意されているので数分で終了)、ここで、キーボードはしまわせてしまいます。教員は、PC画面及び書画装置を用いてソースコード及びアルゴリズムについて説明し、学生に要点を書き込ませるといった具合です。プリント(紙)の上に書き込みをするといった手作業が、理解を確実なものにするのです。
 私のプログラミング論では、アルゴリズムやコントロールの性質の習得後、ある一定の条件を与え、その上で可能な限りのテクニックを取り入れた、各自の個性を生かしたプログラムを組んでくることを課題としています。評価は学生と合意の上で行い、課題の再提出は何回でも認め、各自の組んだプログラムをプレゼンさせるといった具合です。
 そのようなプログラミング論では、私が用意した教材はWindows2000上の共有フォルダに用意し、Webには、むしろ学生の作品をActiveXコントロールを用いてアップロードし、学生がいつでも閲覧できるようにしています。[2]互いに作品を見て切磋琢磨することが大いに学生の意欲を喚起するからです。
 対象学生が学内に限られているような場合ですが、メールでの質問受付においても、直接学生の顔を見て、反応を確認しながら教えるのがベストであるように感じます。授業内容をWebに予め載せておくというのも、学生がノートを取るところを教員が代行したような感もあり、今まで教員がテキストを作って、配布または購入させていたのと本質的には同じではないかとも思われます。ならば、逆に、学生にしっかりとノートを取らせ、Wordまたは一太郎でまとめさせ、FTPを通してWebに載せさせたらいかがなものか?これこそ教育にもなり、「学生とともに作りあげる授業!」ともいえるのではないでしょうか?
 Webシステムの整っていない大学のひがみでしょうか?

▲「プログラミング論」で作成した学生作品のページ


いつも学生と共に

 拓殖短期大学は本年度で募集停止となり、平成16年にその幕を閉じることになりました。この数年を振り返ってみると、私の前にはいつも学生がいました。学生諸君が私にアイディアとエネルギーを与えてくれたのだと思います。変化の激しい情報教育のなかで、人間というものを見つめ、人間にとって何が本当に有効なのかをか模索しつつ、これからも学生と共にいたいと思います。


[1]森園子 : 文科系短期大学における総合的な情報活用能力の育成.
情報教育方法研究第1巻第1号,pp.1-6,1999.
[2]URL http://www.fc.takushoku-u.ac.jp/~smori
 
E-mail smori@ner.takushoku-u.ac.jp


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