授業改善奮闘記−ITによるファカルティ・ディベロップメント−

アナクロ・アナログ派とパソコン

生方 卓(明治大学政治経済学部助教授)


パソコンに挑戦

 初心者用のパソコンを購入したのは1995年の春のことでした。私は何事に付け大変スローな方で、初デートは大学を卒業してから、結婚は30を過ぎてから、車の免許は40を過ぎてからといった具合です。しかしまだ高速道路で運転したことがありません。携帯は持たないつもりだし、ペットボトル飲料は、まだ一度も買ったことがありません。CDよりは圧倒的にLPレコード派です。「アナログ派」というよりは「アナクロ派」といった部類に属します。
 パソコンを始めたのは50近くなってからのことです。それまで、タイプライターもワープロも持ったことはなく、一度必要に迫られてワープロに向かったことがあるのですが、今から思えばたいした分量でもない他人の原稿を、1日がかりで打ち込み、しかも完成間近で操作ミスで全部消してしまい、これは自分と相性が良くないものだと見切りをつけてしまいました。
 そんな私がパソコンに挑戦しようと思い立ったのは、第一に学生に配付する資料を作成する上できっと便利だろうと思ったからです。第二に、それまでノートや原稿用紙に手書きで書いてきたものがかなりの量になって、それが散逸したり探しだすのに骨が折れるようになり、パソコンは書類の整理に便利だろうと考えたのでした。実際、ノートはどこかに潜り込んでしまいますが、さすがにパソコンそのものを探す事態は起きていません。だから本当はワープロ機でもよかったのですが、パソコンにしたのは、判官贔屓でMacintoshに同情したからに過ぎませんでした。しかし、このMacを選んだことが運命の境目でした。機械と向き合っているにも関わらず、どことなく人間的なぬくもりを感じさせるところが、もともと機械嫌いな私に向いていたようです。
 翌年、私はアキレス腱切断で入院したのですが、このときに、既にパソコンが自分にとって不可欠になっている自分を発見して、いささか驚いたものです。しかし、もっと驚いたことがあります。妻に頼んで、病室用にレンタルのノートブック型パソコンを持ち込んだのですが、自宅の暗い部屋で私の退院を待っていてくれる健気な愛機の姿が目に浮かんで、別の機械を使うことに後ろめたいような切ないような思いがしてきたのです。私はパソコンではなく、「あの」パソコンと深い契りを結んでしまっていたのでした。


ホームページの活用

 1998年にインターネットに接続したのは、第一に図書館の文献検索のため、第二に電子メール利用のためでした。パソコンの前に座りながら、思ったときに直ちに目録を検索できるのは、大変ありがたいことでした。そればかりでなく、日本中、さらには世界中の図書館や書店に瞬時にアクセスできるようになり、探していた古書に出会えるようになりました。
 電子メールの世界は、筆無精の私に革命をもたらしました。手紙を書いても、ポストに入れることを忘れて何日も鞄に入れたままだった私が、即座に送信する人間に変わったのです。これまで、パソコンは学生にプリントアウトして渡す資料の置き場でしかなかったのですが、電子メールによって双方向的なものになりました。ゼミのメーリングリストも重宝しております。
 ゼミのホームページを作ったのは99年のことです。達者なゼミ員に協力してもらいました。コンセプトは、私とゼミ員とゼミの卒業生が、それぞれの部屋を持ちながら一つ屋根の下に住み、相互に、また全学生および外部世界とも、思いと意見と情報を交流させるというものです。
 「私の部屋」には折々のエッセー、環境問題関連記事データ、井上ひさし著作目録、ゼミ卒業生の中沢けい著作目録などを入れました。もっとも、ここに書き込むには手間と時間がかかるので、近ごろでは新着情報は「公開掲示板」に載せるようになりました。また、何度かの入院で環境問題のデータ収集が滞り、「環境goo」などが充実していることもわかってから、環境問題関連記事データのアップは中断したままです。
 大学で担当しているのは社会思想史の講義とゼミです。社会および講義聴講の学生とは、公開掲示板で、ゼミの学生とは特に「ゼミ員の部屋」のゼミ員だけがパスワードで入るスタッフオンリーの掲示板で、それぞれ交流をはかっております。ここには、ゼミ活動の詳細記録、意見交換、連句などの掲示板が置かれております。ゼミ報告のレジュメもここに書き込まれ、報告時に利用されます。それとは別に読書感想の掲示板も置かれています。スタッフオンリーにしたのは、恥ずかしがり屋の学生もいるので、自由に書き込めるようにと考えたからです。またプライバシーに配慮したためでもあります。よく読み、よく書き、よく議論する場所としてネットを利用し、よく語り、よく聴き、よく語り合う場所として教室を利用してもらいたいと思っているのです。
 一番活発に書き込まれるのは「公開掲示板」です。目玉の一つは連句です。ここを接点にしてメールのやり取りにも進むこともあります。一番気楽に誰でも書き込めて、コミニュケーションが成立しやすく、意見や想いの交流もしやすいのは、掲示板であるように思えます。掲示板はややもすると、他愛もないおしゃべりの垂れ流しに堕しがちです。そんな会話も時には楽しいのですが、そればかりだと虚しいもの。できれば内容の濃いものにしたい。他方、悪意や憎悪が遠慮なく匿名で投げつけられる可能性があるのも掲示板の宿命です。どうなるかと思ったら、講演会や演劇の案内を中心とした私の書き込みが多いせいか、逆に学生がほとんど書き込んでくれないのにはがっかりしました。学生達は、必要なコミニュケーションは、1対1の携帯か、さもなければメーリングリストの回路を選ぶようです。


連句によるコミュニケーション

 ゼミは週1回。あっという間に過ぎてしまいます。どうしたらもっと濃密な交流ができるかとゼミ員と相談する中で、どこからともなく浮かんだ案が連句でした。5-7-5と7-7を交互につなげて世界を作っていく遊びですが、勢いのまま、誰もそれ以上の連句のルールを知らぬまま、1999年の12月に連句が始まりました。始まってみると、これがとんでもなく面白いものだということがわかりました。時事問題、人生論、恋愛体験、駄洒落、喜怒哀楽の感情、季節の感動等々、学生達が自由に嬉々として付け始めました。そのうちに卒業生や、たまたまアクセスしてしまっただけなのかも知れない匿名の人々、外国在住の方、連句界の方々も句をつなげてくれるようになりました。
 前句を構成する言葉を介して、他者の思いや思想に身を寄せ、その前句と打越句(二つ前の句)で作られた物語を壊して新しい世界を作って行く連句は、コミュニケーション、つまりコミュニティ形成の、つまりは社会思想の、実践そのものであるように思われてきました。思いやり、想像力、主体性の確立、言語の錬磨、句の傍らでの議論、ユーモア精神と遊び心、こんなものを連句が育ててくれるのではないかと密かに思っている次第です。戦争当事国の独裁者同士に連句の才があれば、戦争が続くことはありえないでしょう。3句目には戦争から転じなければならないのですから。
 最近の流れを少し紹介します。「江戸の世界→梶井基次郎→今年の記録的な大雪と開戦の日→血と雪の記憶」と続きます。最後の作者の雪合戦のコメント、実に秀逸な反戦非暴力主義宣言だと思いません?
1253火打ち石カチカチならしお座敷へボブ
1253レモン三箇で起こす革命
1254十二月八日雪舞う真珠湾祭り
1255忠臣蔵と2.26横槍
 「雪が降ると血腥い何かが起こる。寒さは血気を呼ぶのか or 赤と白のコントラスト? せいぜい雪合戦で勘弁して。」
 ネットの世界が、人間や自然や書物へのアクセスのきっかけになるかわりに、逆にそのための時間と欲求を奪いかねないことを心配もしているのですが。


URL
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~ubukata/index2.html



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