翻訳

アカデミック・カレンシーとしての学習度(1)
Student Learning as Academic Currency

Sally M. Johnstone, Peter Ewell, and Karen Paulson



 翻訳は、EDUCAUSEならびに米国教育評議会(American Council on Education)の許可を受けて、「通信教育:課題と選択、新たな環境」シリーズのうち、“Student Learning as Academic Currency”について行いました。訳文は今号と次号の2回に分けて掲載します。なお、原文はEDUCAUSEの以下のサイトよりご覧いただけます。
http://www.educause.edu/asp/doclib/abstract.asp?ID=PUB5104


はじめに

 「アカデミック・カレンシー(学術上の通貨)」の概念は、通貨という言葉の意味と同様に、社会的に認識された等価に基づいている。商取引では、通貨単位の間に一定の等価が存在することで、市場の売買がコントロールされる。転じて、アカデミック・カレンシーとは、様々な学生の学力到達レベルを呼称するものであり−本質的には学生の教育成果を一定の「価値」として判断するものである。アカデミック・カレンシーのうち、現在、最も広く認められているモデルは履修単位である。学位を授与するには、所与の履修単位数となる、一定の学習期間に相当する一連の必修科目と選択科目を学生が修了していなければならない。学位の質を確保するために、学位授与機関の教員は共同で、当該機関が卒業のために定めた学習目標へとつながる一貫した枠組みに、各科目のテーマを適合させる必要がある。最終的には、地域の認定機関がこうしたすべての条件が整備されていることを公的に確認する義務を負っている。
 このような従来の大学学位に対する定義に疑問を投げ掛けているのが、分散教育である。しかも、今では従来の学内学生ですら、学位の取得を希望する科目がキャンパスで提供されているかどうかにかかわらず、自らのスケジュールや好みに合わせてオンライン講座を選択している。多くの場合、オンライン講座は、学生の学習努力や学習度の基準である「履修時間」という伝統的な概念に準拠していない。同時性という制約を超えた、かつマイペースな学習が可能な分散教育という新しい世界は、現在の大学の単位制度に異議を唱え、教育機関の指導者たちに学習成果の新たな測定方法を模索するよう求めている。
 いかにしてこのような段階に達したのかを考えるために、本書ではまず、米国の中等後教育において成績評価と履修単位が使用されるに至った背景に簡単に触れるとともに、現状における成績評価と履修時間の限界をいくつか指摘することにする。次に、従来とは異なる、学生の学習度に立脚したシステムについてその特徴を簡単に眺めた後、このシステムの基本的要件であるコンピテンス(能力)とアセスメント(評価)について概観する。最後に、変革を導く可能性のある論点を交えながら、教育機関、州、連邦政府、認定機関に対する政策的含意をいくつか指摘していくことにしよう。
 本書で提言する移行は大変重要なものである。そこからは新たな施行上の問題や政策上の課題が生じるであろう。ここで述べるのは、学生の学習成果に立脚した新しいシステムであるが、新システムへの移行は任意・段階・断片的なものであることが予想される上、各教育機関がこのシステムを機能させるには、多くの難題に取り組む必要があることを理解しなければならない。だが、こうした障害が存在するとはいえ、21世紀の高等教育の新しい現実に対応させるためにアカデミック・カレンシーをどう変化させればよいかという点について、高等教育機関の指導者たちが検討・討論し始める際に、これが妨げられることがあってはならない。


アカデミック・カレンシーと分散教育

 我々の同僚であるラス・エジャートンが指摘するように、履修単位をベースとする科目等価の概念は、おそらく1869年にハーバード大学の学長に選出されたチャールズ・エリオットに端を発する。就任演説の中でエリオット学長は、履修科目に対する選択の自由を学生たちに与える公約を示した。
 「現代のアメリカのカレッジとユニバーシティーの原型となったのが、1870年から1910年当時のコロニアル・カレッジである。科目はその頃に、一定の期間特定の教授が行う、標準化された指導単位へと発展している。学生たちが履修科目を選択できるようにすべきだという考えが受け入れられ、履修単位が学生の進歩を評価・説明する方法として普及したのだ」(Edgerton、2002年)。その結果生まれた単位制度はその後、数十年にわたって機能してきた。だが、新たなテクノロジーが生まれ、学生人口統計や出席パターンが変化し、学生の期待が従来と異なる現在、単位制度の有用性には疑問が投げ掛けられている。「Web世代」が大学就学年齢に達し始めた今、間もなく大学生になる学生たちが抱く期待は、従来の大学生たちとまったく異なっている。10年前でさえ、全大学生(カレッジ)の約半数は全科目を単一教育機関で受講してはいなかった。1994年には、1989年に大学生になった学生の約半分が、二つ以上の教育機関に登録している(National Center for Educational Statistics=国立教育統計センター、1997年)。そのわずか数年後、全国規模で成績データを調査したクリフォード・エーデルマンによれば、最終的に学士号を取得した学生の58パーセントが二つ以上の教育機関に通い、その中でも19パーセントが三つ以上の教育機関に通っていた(Clifford Adelman、1999年)。また、エーデルマンの調査では、複数教育機関への同時登録だけでなく、4年制から2年制大学への「逆編入」の例も数多く見られる。このような傾向は「スワーリング(swirling)」と呼ばれているが、学生たちが「渦巻く」教育機関は、互いにこの傾向に気付いてさえいない可能性がある。このようなパターンはすべて、分散学習が現代の大学生にとって一つの現実となったことを強調するものである。高等教育での登録行動に関するデータは、学生からではなく教育機関から入手したものである。そのため、追跡調査を行うのは非常に困難だが、近年、こうした傾向が弱まった可能性は極めて低いと言える。
 複数の教育機関を行き来する学生が期待するのは、すべての取得単位が学位にカウントされることである。一般に学生(あるいはその両親たち)にとっては、コミュニティ・カレッジで履修する微積分の講座とリサーチ・ユニバーシティーで開かれる微積分の講座とに違いはない。だが、教員の考えでは、それらの講座には違いが存在する。その結果、学生の履修科目がすべて意図どおりに組み合わされているという前提に立って、教員の手で学位取得要件が作成される従来の教育機関では、大きな問題が生じることになる。ほとんどの教育機関では単に、現代の大学生たちに広く採用されている、新しい消費者志向の受講方法を予期していなかっただけなのだが。

 進学候補のキャンパスを訪れる最近の高校生の質問は、大学のネットワーク化についてである。彼らは当然のように、キャンパスで高速インターネット接続が利用できることを期待するとともに、講義の中で、教員がWebで提供されるツールを使用すること、またそのツールの使用を学生にも許可してくれることを期待している。大学のITプランナーはすでに、学生たちの期待効果について検討を始めている。2001年秋の時点で、あらゆる種類の高等教育機関に属するITプランナーたちの大部分が、情報技術と教育の統合を最大の課題に挙げている(Green、2001年)。
 昨今の学生たちは、調べごとや音楽を聴くのにWebを利用するだけでなく、寄宿舎の部屋に居ながらにしてオンライン講座を受講している。オンライン講座がどの程度一般化しているかについては十分な論点を指摘できないが、我々が協力するある無償土地払い下げの大学では、同大学の実質的な遠隔学習者の85パーセントを学内学生が占めている。この学生たちのうち、さらに他の大学からも受講している者の数は、どの程度にのぼるのだろうか。
 我々の手元にある遠隔講座、つまり分散講座の提供率に関する最新の全国データは、1998年のものである(National Center for Educational Statistics、1999年)。この年、公立の4年制大学の78パーセントと公立の2年生大学の62パーセントが、何らかの形でインターネットによる遠隔教育を実施しており、学生数が1万人を上回るアメリカの大学の97パーセントが、同じく何らかの形でインターネットによる遠隔教育を実施している。推定によると、アメリカのカレッジやユニバーシティーで、225万人以上の人々が現在、オンライン学習を受けているという(Eaton、2001年)。これはかなりの数だと思われる。複数の教育機関から、マウスをクリックするだけで講座を探し出すことができることから、オンライン学生の数が増加するにつれて、「スワーリング」数もさらに増加することが予想される。
 州の政策担当者は、インターネットによる分散学習のための学習素材と、その素材を分配するシステム、学生が遠隔学習を行うのに必要な独自の支援・評価システムなどの開発が、費用のかさむ計画であることを認識している。こうした認識を踏まえて、多くの州では、無駄な投資の重複を避けるために、複数の教育機関から成るコンソーシアムが成立している。このようなコンソーシアムは近年急激に増加し、それぞれの機能に応じた特色付けが試みられている例もある(Wolf & Johnstone、1999年)。単独モデルが存在しない一方で、いくつかのモデルでは、学生が複数の教育機関から受講することができ、教育機関のうちの一つから(あるいは第3教育機関からも)学位を取得することができる。
 例えば、テキサス大学のテレキャンパスでは、複数のキャンパスを結んだオンラインMBAプログラムが創設されている。各参加大学では、ホームキャンパスでの学位取得に向けて、パートナー機関が開発・提供する科目の受け入れに同意している。コロラド州のコミュニティ・カレッジから成るコンソーシアムでも、ほぼ同じ方法の取り組みが実施されている。こうしたタイプのプログラムでは、各大学が提供する科目タイプについて推測的合意に至るまで、数年にわたる計画立案が必要となる。そこでは、すでに学生たちが広く関わる実例に追いつくための、果敢な試みが行われている。
 学生たちがキャンパス間を行き来し、各教育機関が共同でコンソーシアムを設立するにつれて、大学の教員は、もはや学生の教育経験を完全に管理することができなくなっている。このような状況下で、我々はどのように学位の一貫性を確保すればよいのだろうか。こうした新しい現実に対して、本シリーズのイートンの研究論文(Eaton、2002年)では、認定の観点からアプローチを試みているが、本書では、成績証明書の授与方法について違った方法を考え始める時期に来ているのではないか、と仮定している。我々はまさに、アメリカの高等教育における「カレンシー・ベース」の進化の時を迎えつつあるのかもしれないのである。目前に差し迫る変革を明らかにするには、現在の選択科目を考え出したチャールズ・エリオットの革新的な判断からどのように今に至ったかを詳細に検討してみることが有効な手立てとなるだろう。


歴史から学ぶ教訓

 通貨のような役割を果たす単位や成績証明書を用いて、大学での学習を移行可能にすべきだといった考えは決して新しいものではない。そこには、学習者と社会的利害関係者のために、学位と履修単位の移行性と一貫性を確保しようとした長い努力の歴史がある。こうした歴史の一端が集約されるのが単位互換制度や、一定レベルの学力を保証する方法であった教員による成績評価の段階的消滅である。もう一つの一端は比較的に新しいもので、ビジネス界と産業界で拡大の動きを見せる職業資格と、専門的学習やコンピテンスに基づく学位授与といった大学への出席を評価する非伝統的な方法、および入学前学習の評価などに集約される。それぞれの成功点と欠点は、信頼のできる、移行可能な、学習度ベースの成績証明書の発展可能性を論じる前置きとして分析するに値するものである。


成績評価の欠点

 成績証明書の移行性について初めて疑問が生じたのは、およそ100年前のことである。それは、学生が一つの学位レベルから別の学位レベルへと進む状況で生じた問題だった。大学院のない大学にとって重要な問題は、1回生が入学前の段階で十分な適正レベルにあるかどうかということである。また、大学院でも同様に、入学を許可しようとした学生が保持する学士号の一貫性に対する問題に直面していた。その結論の一つが、高校での履修単位に該当するカーネギー単位の誕生と、学生が学位取得のために修了したカリキュラムを「評価」するために、大学レベルで様々な形のセメスター単位が登場したことである。これらの基準は両方とも時間に基づき、成績評価の形で教員の判断に依存し同等の質を確保していた。このような過程に対する形で、外部審査の機能を果たす地域認定が導入されたのもほとんど同じ時期である。ただし、全体的に見れば、同様の科目における学習成果はほとんど等価とみなされていた。教育機関は比較的少数で、互いのことはおおよそ把握していたこと、教員は数少ない場所で訓練を受けて共通基準に従っていたこと、学部カリキュラムが相当のレベルにまで標準化され、一貫性を有していたことなどにより、教員が独自に評価する成績のおよその整合性が維持されていたものと思われる。
 1970年代半ばまでに、こうした計画外ではあるが、適度な有効性を持った単位および評価の等価性は、破綻している。この時期に(新しいコミュニティ・カレッジ部門を含む)何百もの公立教育機関が新たに創設され、自由入学制度によって学生構成が抜本的に変化し、多くの新しい学術分野が加わったことや一般的な概説講座に代わって必修課程がほとんどの教育機関で採用されたことにより、大学レベルのカリキュラムが大きく様変わりしたのである。成績の水増しが新たに問題化されたことから、1980年代に不満の声が高まる中、教員評価の成績に裏付けられた単位は移行性を持ったアカデミック・カレンシーとしての価値を減じ、学会からは学士号の全体的な一貫性に対する疑問の声が高まった(例:Association of American Colleges〈AAC〉=全米大学協会、1985年)。だが、それにもかかわらず、履修時間は移行と雇用のために利用できるただ一つのアカデミック・カレンシーであった。

 履修単位の使用からシフトするために調整しなければならないもう一つの派生例は、高等教育サービスに対する料金請求の方法に関するものである。履修単位が何らかの標準的な方法で出席時間を計るものであると仮定した上で、履修単位は概算費用の計算にも採用されていた。現在、教育機関(と一部の州)では、学部・学科による経費を分析するために、履修単位に基づく評価基準が日常的に使用されている。そこから、資源配分を導くのは簡単なことである。なぜなら、教育機関レベルと州レベルで使用される予算編成・配分モデルの大部分が、結局は、発生した運用コストを学術部門やその他の部門で清算する「原価回収」という考えに基づいて機能しているからである。ただし、ここで新たな問題が生じる。それは、一般に実際の原価が研究分野とレベルによって異なると認識されており、それに従って、公式が一般に加重されるからである。またここで「原価回収」から「価格」を導くのも簡単なことである。その一つの結果が、授業料の料金枠を設定するために履修単位を広く使用することであり(例:400$/1単位)、また学生が学費援助を通じて支援を受ける際のレベルにもそれが暗に使用されている。本来、履修単位はこうした目的に使用するものではないが、教育活動の便利な尺度であり、原価計算の一つの基準となっている。
 学習度を再び、新しいアカデミック・カレンシーの基礎として採用する方法を検討する前に、履修単位に対する教員の成績評価が不十分である理由を明確化することは価値がある。少なくとも、それは三つの欠点に区別することができ、能力ベースの方法を有効なものとするためにはその欠点の各々を改正する必要があると思われる。

●  複数の学習体験の成果を伝えられない点

   学業達成を認定する最新の方法では、学生の教育体験に関して、集団の最高レベルと最低レベルに着目し、中間レベルは省みない。ミクロのレベルでは、それぞれの成績評価によって個々の講座内容の修了を確認し、マクロのレベルでは、学位によって複数年にわたる全教科課程の修了を確認する。このような例で欠落するのは、大学生レベルのライティング、批判的思考法、数量的な判断能力といった、主要能力に焦点を当てた多くの重要な(かつ移行可能性のある)学習度を何らかの形で確認する方法である。確かに、教員はそれぞれの講座で成績評価をするたびに、これらの能力にも着目しているが、その着目方法に一貫性がないため、結果として与えられた成績では必ず、学生が複数の分野にわたる能力を身に付けている場合などに、講座内容に対する学生の理解度を判断することが困難となる。このような不整合は、学位を取得するために累積すべき単位数つまり履修時間数の要件に一貫性がないという点や、成績証明書の評価が異なれば、単位価値が異なる可能性があるといった点によってもさらに悪化する。

●  合意に基づく成績基準(妥当性)の欠如

   教員の成績評価にも、厳密に何を認定するかについての、共通の指示対象が欠如している。その結果、教員が異なれば、同じ講座を受け持っていても、異なる基準に基づいて学生を評価してしまうことが多くある。しかも、それぞれの評価は、何らかの基準に準拠したものだと思われる。つまり、教員は、実際の学業達成レベルにかかわらず、たまたま自分の講義を受講している学生集団の相対的な達成レベルを分類するために、成績評価を使用している。この原理が現場で完全に守られるということはあり得ないが、共通の達成基準に基づき、クラス全体にAやFの評価を与えなければならない教員たちは、間違いなく管理上の不満を訴えているであろう。
 また、凝縮して単位として蓄積する、どの程度まで学習度を認定するかといった判断でも、問題は発生する。いったいどれくらいの単位数を一定の学業達成レベルと同等に扱うべきか。これはさらに中等後教育の提供者が、教室をベースとしたモデルという前提に反する別の分散学習法を利用するにつれ生じてくる問題である。こうした学習法には、自己管理的学習法(家庭学習、教材に基づく教育など)、能力や試験に基づく方法(エクセルシアー大学〈先のリージェンツ大学〉やウェスタン・ガバナーズ大学など)、経験に基づく方法(フェニックス大学など)など、学習活動の多くが対面式ではなく正式な教室といった設定の枠外で行われるすべての方法が含まれる。このような状況では、確かに経費を計算することはできるが、従来の単位モデルといった前提は適用されず、学習したかどうかは他の方法で認定される。もちろん、近年、Webベースによる分散教育が急増したことにより、これらの問題点は悪化している。分散教育では、学生たちが教員と(かつ学生同士の間で)物理的な距離を隔てている場合や、それぞれの学生が異なるペースで受講を続けている場合が考えられる。この点についてイートンは、本シリーズの研究論文で次のような指摘をしている(Eaton、2002年)。
 「大学の学位は......様々なタイプの学習体験を表すものとなりつつある。それはさながら、学生によって互いに関連のない無数の教育機関から選ばれ、技術的手段と物理的手段の混合によって伝えられる、教育体験の特異なアマルガムの完成だと言える」
 関連する一連の欠点により、出席時間という尺度の使用が、教員や教育機関の行動に不適当な刺激を誘引することにより、適正なカリキュラムと教授法の発展を大きく阻害している点が指摘されている。そのうち最も顕著なのは、履修単位によって、(メンタリングや個々のガイダンスに基づく対立項として)教員の行動において「内容伝達」という考え方が強化される点と、それにより、教員が正式な教育環境外のグループワークなど、優れた実践の場の確立に関与できなくなる点である。

●  教員の学部判断に一貫性(信頼性)がない

   教員の成績評価が学習成果を判断するための共通基準に基づいているにもかかわらず、教員間のコミュニケーションがほとんどないまま独自の成績評価が行われるために、成績評価の信頼性が乏しくなってしまう場合が多い。一貫性を維持するための指示や類似ツールの欠如が原因であり、同じ学業レベルに対して、異なる教員から異なる評価が与えられたり、さらに日が変われば同じ教員でも評価が異なったりする場合もある。近年、一部の教育機関では、多部門の教養科目でこうした問題に取り組む進展が見られるが、依然、多くの教育機関で見られる問題であると言える。確かに、学生評価のばらつきが原因で、実際の学生の学力を計る上で信頼できる基準であるべき成績評価に対して、外部の利害関係者から大きな不信が寄せられている(Milton、Pollio、Eison、1986年)。

 三つの欠点はどれも、学部評価システムの包括的改革を通じて、全米中の大学で一貫して克服できる可能性のあるものばかりである。確かに、第2と第3の欠点は、1950年代には今日ほど、教員の成績評価に典型的に見られるものではなかった。だが、同じように時計を巻き戻せる見込みは低い。近年のように専門教育と技術資格が進展する状況では、移行可能な学習度の「通貨」に対する道筋を示す方がはるかに期待の持てる話である。

 本来、履修単位はこうした目的に使用するものではないが、教育活動の便利な尺度であり、原価計算の一つの基準となっている。


資格の急増

 特定レベルの成果に対して、学力に基づく、移行可能な、独自の資格を授与するといった考え方は、決して新しいものではない。医学や法律などの明らかに専門性の高い分野では、学科や科目の修了ではなく、試験によって証明される成績に基づいた免許付与が長年にわたって行われてきている。100年前(カリフォルニア州ではごく最近まで)、弁護士を開業するのに必要なすべての条件は、司法試験にパスすることであった。そのため、司法試験志願者は認定大学で法律の学位を取得しなくても、試験を受験することができた。

 初等教育や中等教育と同様、現在では、保健専門家のほとんどが、実務に向けて、プログラムを修了するだけでなく、試験に合格することを必要とする独自のライセンシングを行っている。これは一般に州によって規定される要件であり、一般市民が危険にさらされないように、明らかに職務不能な人物が認定されないよう定められている。その結果、ライセンシングは、不適格性によるマイナス影響が重大な結果を招く分野にのみ存在している。話は多少異なるが、実務に要求されることはないが、資格を有するには専門的知識が要求されるために、高賃金が保証されるといった資格認定がますます一般的になりつつある。おそらく、こうした「付加価値」のある資格の最も初期の例は、医学の様々な下位専門分野における専門委員会による認定であろう。最新の国家認定資格要覧では、会計士や監査人から安全装置設置責任者まで、この種の独自の職業資格は1,600以上に上っている(National Organization for Competency Assurance〈NOCA〉、1996年)。近年見られる第三者機関による資格の増加は、その多くが急速に成長を続ける情報技術分野においてである。その中でも、ノベル認定ネットワーク技術者という資格(Certified Novell Network Technician)は、一つの拡大例として広く引用されている。クリフォード・エーデルマンの推定によると、2000年の時点で約250万件の独自資格がIT分野で発行されている(Adelman、2000年)。そうした状況をエーデルマンは「並行中等後教育」と呼んでいるが、この数字は1年間に認定される従来の学士号や準学士号の数を上回るものだ。
 学生の学習度に基づいたアカデミック・カレンシーについて考える場合、このような種類の資格には、考慮すべき価値のある数多くの特徴が見られる。実質的には、以下がその特徴である。

●  学力ベース

   認定されるには、資格志願者は一定の訓練を修了するだけでなく、試験にも合格しなければならない。既存の評価体系のほとんどが、当該分野の筆記試験(多くの場合、セキュリティサイトによるオンライン実施)と、現場または模擬現場での実技試験から構成されている。このような結果から、ゴールトン、プロメトリック、チョーンシー・グループ(ETS=Educational Testing Serviceの営利目的の子会社)といった企業に代表される代替的なテスト業界が発展することになった。

●  移行可能性

   資格を認定された場合も、10年前に企業内トレーニング・プログラムを修了しているような場合と同じく、特定の企業では社内昇進を求めることはできない。その代わり、資格証明書は、どこに就職しようとも、正式な学校教育に加えて有効な証明書であり続ける。

●  業界全体におよぶ知名度

   有資格者は所与の業界内で、会社に給与面での優遇を求めることができる。実際のところ、近年の資格急増における顕著な特徴の一つは、高い競争力を有する企業が、直接資格を発行するわけではないにもかかわらず、このような資格を認めることに利害の一致を見出している点である。ハイテク企業では、労働者に終身雇用を要求できない点を認識しており、その代わりとして、有能な地域労働力を「育てる」ことに利益を見出し、企業間において人材競争の必要性が生じることを十分に理解しているのだ。

 今日まで、このような資格認定は主に、従来の研究者が「トレーニング」と嘲笑する傾向のある研究分野に限られてきた。確かに、資格認定プログラムは、a)特定の知識や技能が習得度を定義すると大方の関係者が認めている、b)その習得度は実技を通じて直接評価できるといった点で、歴史や哲学といった伝統的な学術分野とは異なっている。だが本当は、多くの学術分野がこうした特徴を駆使できないという事実自体が、批判されるべきことなのかもしれない。実際のところ、伝統的な学術分野にも、移行することのできる学習認定の類例がいくつか見られる。


伝統的背景における「通貨」としての学習度

 普及というには程遠いが、非実務的な研究分野にも、受講とは関係のない、学力に基づいた成績証明書と何らかの関係が見られる。その初期の一例は、1930年代のシカゴ大学におけるハッチンス改革の結果として生じたものである。当時、学生たちは、大学の試験管事務所が作成・管理する総合テストに基づき大部分のカリキュラムを実地に試みることができた。1960年代には、ニューヨーク州のエクセルシアー大学(先のリージェンツ大学)やニュージャージ州のトーマス・エジソン大学、コネティカット州のチャーター・オーク大学などの数機関が設立され、試験に基づく学力のみに準拠した認定が行われている。これらの教育機関のすべてにおいて、成績評価を科目同等価に割り当てて従来の学位を授与しているが、これらの評価の裏付けとなる基準は、基準参照テストによる学生の実績に直接基づいたものであった。
 評価学力に基づいた別の教育機関はまだそれほど存在せず、ほとんどの既存の大学では、より一般的な例として、移行性を有する学力ベースの成績証明書が大きな問題もなく使用されている。最も顕著な例には次のようなものがある。

●  飛び級試験

   大学入試委員会による飛び級試験(AP)が、従来のほとんどの大学で履修単位として認められている。23分野で行われるこの試験の成績が良好であれば、学生はフルセメスター単位の平均(あるいは最低でも特定分野の既得単位)を取得できる。

●  科目等価の試験

   大学入試委員会によるCollege Level Examination Program(CLEP)が代表例。従来教育機関の相当数で、学生は特定科目の成果を実証することができ、全国標準の科目固有の試験により単位を取得することができる。

●  キャンパス内外の学習成果に基づく単位授与
   最後の例として、数多くの大学では、軍や企業での受講に際する正式な評価に基づいて単位が授与されている。American Council on Education(ACE、アメリカ教育評議会)によってこのプロセスの管理、およびAP試験とCLEP試験の大学単位推薦のための評価も行われている。さらに、教育機関によっては、Council for Adult and Experiential Learning(CAEL)の作成した入学前学力評価によって単位が授与される場合もある。

 近年の資格急増における顕著な特徴の一つは、高い競争力を有する企業が、このような資格を認めることに利害の一致を見出している点である。

 こうした方法は多くの教育機関で利用されているが、それよって授与される履修単位は、全体からすればほんのわずかな割合を占めるに過ぎない。各教育機関はまた、自由に独自の基準を設定し、その結果としての成績証明書を用いて、入学許可や単位授与が適当かどうかといった判断を行うことができる。ただし、これらの方法が完全に従来の大学の枠組みの中で存在していることからすると、実証型の、基準参照式学力に基づく、移行可能な成績証明書といった概念は、思ったほど異質ではないようだ。
(次号に続く)


筆者紹介
Sally M. Johnstone is the founding director of the Western Cooperative for Educational Tele-communications at the Western Interested Commission for Higher Education.
Peter Ewell is vice president of the National Center for Higher Education Management Systems, a nonprofit policy research center in higher education.
Karen Paulson is senior associate at the National Center for Higher Education Management Systems.




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