特集 教育の質保証を目指したe-Learningの取り組み

慶應義塾大学におけるe-Learningの取り組みについて


福原 美三(慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構教授)
大川 恵子
(慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構教授)

1.はじめに

 e-Learningという言葉が世の中に流布しだしたのはおそらく2001年からであろう。それから5年ほどを経た現在、ようやく高等教育の現場で本格的な取り組みが始まっている。慶應義塾大学においても数年前より様々なe-Learningに関する取り組みが行われ、ようやく研究・実験レベルから実証・本格実施レベルに移行する状況になった。本稿ではその現状についてシステム的な観点と事例について報告する。


2.e-Learningの基本要件

 広義にはe-Learningとは「ICT(情報通信技術)を活用して効果・効率を高めた学習」と定義される。e-Learning普及の初期段階では特に「効率」に過度の期待と重点がおかれ、「効果」については教育の質に関して受講側の立場での検証やその着実な到達過程・結果をフォローする仕掛けや仕組みが十分とは言えなかった。これは先行的に導入が進んだ領域が企業であったこともその大きな要因と考えられるが、近年は企業内教育においても人材育成の長期的な立場でキャリアパスにあわせたスキル習得を管理する運用形態が着実に増えている。高等教育等の学校教育環境において本格的な教育支援基盤としてe-Learningを活用していくためには、教育の質を担保しつつ、効果的・効率的な学習を支援していくことが本質的に求められる。また、その効率・効果はすべての関係者(学生・教員・大学当局)にとって明確な形でなくてはならない。導入〜運用のフェーズ毎にどの関係者にとってメリットがあるのかを検討当初より明確にするとともに、想定したフェーズ毎に効果を定性・定量両面から検証することが重要である。特に、直接の利用者である学生と教員にとってのメリットを積極的かつ継続的にアピールし、正しい認識を醸成していくことも不可欠である。


3.e-Learningプラットフォーム

 e-Learningの長期的な運用を前提とするとき、学習資源(学習者、教材、講義、受講記録などすべての関連情報)を総合的に管理するプラットフォーム(LMS)の導入が不可欠である。従来、商用システムの導入によりこれを実現する形態が主流であったが、近年はオープンソースソフトウェアとしてのLMSを導入する形態が増えつつある。その理由は
 ●低コストのe-Learningプラットフォームの提供
 ●利用者のニーズに合わせたカスタマイズの容易化
 ●利用者からのフィードバックやオープンソースコミュニティによる迅速な機能進化
といった効果が期待できる点にある。
 本学ではNTTで開発されたオープンソースLMSであるsui2を導入し、一部の講義を対象とした実証運用を行っている。e-Learningプラットフォームとしては同時にe-Testシステムも導入し、評価サブシステムとして活用できる構成としている。具体的なシステム構成を図1に示す。

図1 導入システム構成図

4.取り組み事例

(1)湘南藤沢キャンパス(SFC)の例
1)Keio SFC Global Campus(SFC-GC)
 主に「大学の社会貢献」を目的として、キャンパス内の講義をグローバルに共有して学外の学習者に役立てるため2001年に開始されたプロジェクトで、現在までに、72教員による225授業(1授業は約13講義)の講義ビデオと資料が無料公開されている。2005年度秋学期は45 授業がSFC-GCで開講されているが、開講中の授業は実際のキャンパスでの授業後1〜2日で一般に公開され、キャンパス外からの受講者のみならず、学内履修者からも多く視聴される(図2)。学外受講者は、2005年10月現在、約5,200人(10代〜70代の登録あり)が登録し、その内約2,000人程度がアクティブに受講している。運用は収録・オンライン化・ユーザサポートを行う専門チームが担当し、各回の講義ビデオや資料は、公開前に不適切な部分の削除、著作権侵害に当たる部分の確認などを運用スタッフが行った上で、教員と相談しながら公開内容を決定している。SFC-GCは、ビデオ受講以外にも、授業サポートとしての機能を持ち、学内の教員学生間の資料の受け渡し、レポート提出・レビュー、コミュニケーションにも活用され、また、学内学習者の復習、欠席時のキャッチアップ、補講などにも利用されるなど、学生の自由な学習スタイルをサポートしていることから「教育の質の向上」への貢献といった効果も認識されている。

図2 SFC-GCサイト

2) e科目等履修生制度パイロットプログラム
 2005年春学期より、上述のSFC-GCを利用して、既存の科目等履修生制度にインターネット受講を取り入れるための試みとして「e科目等履修生制度」のパイロットプログラムが開始されている。外部受講者は、内部受講者と1〜2日遅れで、ビデオ受講、課題提出、BBSでのディスカッション、メールによる質疑応答などで学習を進め、正式運用時には単位が取得できるプログラムである。2005 年度春学期はIT系、ビジネス系で2授業を開講し、希望者77名中選抜の上29名がモニター生として履修を行い、IT系授業では53%、ビジネス系授業では73%が最終課題に合格して修了証が送られた。このプログラムは、社会人などに向けて「開かれた大学教育の実現」を目指したe-Learningの一つの試みであり、今後の本格運用に向けて準備を進めている。

(2)その他の事例
 SFC以外の各キャンパスにおいても大学環境における様々な形態での本格的なe-Learningシステム運用の条件を明らかにすべく、パイロットプロジェクトとしてのLMS活用を始めている。その主な形態は以下の通りである。
 1)通常の講義との連動
 2)通常の講義の補完教材としての利用
 3)講義ライブラリとしての整備
 本学での形態1)の事例は人文系の講義(経済史)で試行されており、講義は大学における正規の単位認定科目の一環として通常の時間割に組み込まれ、履修申告をした学生はその時間に指定の教室で講義を受講することが義務付けられている。ただし、この科目の具体的な講義は画像やPowerPointを活用したビデオ情報としてWeb上で提供されており、履修者は教室での講義に出席する前にWebで講義を聴講することを求められる。学期を通しての教室授業の中ではWeb講義の背景にある特定のトピックやビデオ鑑賞や演説の録音テープなどの視聴覚教材を利用した講義が行われる。また、グループ・プレゼンテーションと学生による相互評価が重視されており4から5名のチームによるプレゼンテーションが半期で2、3回実施されている。一般的には予復習を前提とした講義であっても、そのほとんどはテキストの事前熟読であり、この科目のWeb配信での予習形式は予習そのものの効果・効率を飛躍的に向上させる可能性があるという意味でもe-Learningを学習効果向上の目的で活用した新しい事例になると思われる。
 形態2)の典型的な活用事例は基礎学力不足の解決手段としてのリメディアル学習である。本学内で試行対象とされているのは理工学部における理科系基礎学力(数学、物理、化学)の向上のための教材である。 現時点では試行段階であるため、具体的な評価結果は未だ確認できていないが、通常の教室講義のビデオ映像を構造化し、補足情報を付加した教材、演習課題を例題として提示し、類似問題を提供する演習型教材などをe-Learningとして配信し、再履修者および学生の自主判断に基づく補習教材として試行活用することになっている。
 形態3)は特に医学部などの基礎、専門教育に関する習得対象知識が多岐に亘る分野での利用を想定したe-learning教材である。現在、講義情報の録画を中心とした教材化を進めているところである。

5.おわりに
 慶應義塾大学において、e-Learningはまだようやく本格実施へ向けた緒についた段階であるが、「知の世紀」における基本的な知識流通基盤となることは間違いなく、その実現に向け着実な進展を目指していきたいと考えている。また、この知識流通基盤は国内のみならず海外の高等教育機関との間での交流の基盤ともなるものであり、広く内外の機関と連携・協調していくことも不可欠である


【目次へ戻る】 【バックナンバー 一覧へ戻る】