特集 座談会「教育改善のための教育力とは」

座談会「教育改善のための教育力とは」


出席者: 服部 陽一氏(金沢工業大学副学長)
  保崎 則雄氏(早稲田大学人間科学部教授)
  井端 正臣氏(社団法人 私立大学情報教育協会事務局長)
司 会: 今泉 忠氏(多摩大学経営情報学部長)


今泉
 私立大学情報教育協会(以下、私情協)は教育改善を進める一つの手段として、ITの活用に力を入れて、多岐にわたる事業を展開してきていますが、その過程で、単にIT技術の活用だけを取り上げることが本当に教育の質を高めることになるのか、むしろ、IT活用以前の問題として、教員の教育方法などのファカルティ・ディベロップメント(FD)研究の中で、いっしょに考えていく必要があるのではないかということで、教育の質を高めるための戦略について模索したいと思います。
 最初は井端事務局長から教育現場での課題についてお話いただきたいと思います。

井端 私情協はIT活用の振興普及ということで長年いろいろな活動を行ってきましたが、顕著な結果が出てこない。16年度に2万5千人の専任教員を対象に教育改善ための問題点について調査し、その結果を「私立大学教員の授業改善白書」[1]として公表しました。その中で、教員側の問題としては、5割前後の教員が「学習意欲を高める工夫が難しい」、3割弱の教員が「授業科目間の連携が十分ではない」との指摘がありました(表1)。

表1 授業で直面する問題点『教員に関する問題』

 その上で、このような問題を解決するため、2年先での対応について尋ねますと、8割の教員は「学ぶことの動機付けを徹底して学生に自ら主体的に学ぶ授業にしたい」と、また6割前後の教員が「授業中に学生の反応を捉えてもっと学生と対話しながら授業したい」との回答が寄せられました(図1)。

図1 今後2年以内に実現したい授業(主な項目)

 その中で動機付けの徹底にはどうしたらよいかということをさらに尋ねますと、「授業のシナリオ作りがまず大事」ということでした(図2)。ITの活用が効を成さないのは、学生の能力、気質、価値観を踏まえた上での授業のシナリオ作りと相関していることがうかがえます。ITを活用する以前の問題として教員一人ひとりが授業の目標を達成するために、どのような段取りで、どのような教材を用意し、どのような授業方略でディスカッションし、ITを活用することが適切なのか、教員自身が常に授業設計を考えておくことが必要なのではないかと思います。授業でのIT活用についての問題を議論する上で、一番大きな課題と思います。

図2 授業改善のための課題『教員』

 調査でもITの効果について、「授業に刺激をもたらす」、「学習意欲が向上した」は3割から5割の教員が回答されていますが、「成績が向上した」というのはきわめて少なく、その要因は授業のシナリオ作りが十分機能していないことだと考えたわけです(図3)

図3 授業でITを活用した場合の効果

 平成12年6月の文部科学省大学審議会の答申(グローバル化次代に求められる高等教育の在り方)では、「大学が社会の要請に応え、質の高い教育を提供するためには、教育に携わる教員の教育能力や実際の社会経験によって培われた実践能力を重視する必要がある」と指摘されています。従来の教員の評価は、医学、理工学の分野では既に進められ、教育能力を踏まえた教員評価が実践されてきていますが、文科系が7割という私立大学のうち、教育目標が一様ではない分野では感心がなく、議論がなされていません。そのようなことから、教育能力について整理しておく必要があります。
 したがいまして本日は、ITの活用を議論する以前の問題として、教育能力の在り方について議論を進めていただくことを提案させていただきます。

教育能力の重視

今泉 授業のシナリオ作りやカリキュラムの連携などが課題になっている中で、教員の教育能力はどうすればよいのか。これは今までどこでも話せなかった聖域なわけです。
 金沢工業大学では以前より教育改革を進めておられ、教員の教育能力の向上に大学あげて対応されていますが、一番大きかったきっかけは何だったのですか。

服部 私どもが教育改革に踏み切ったのは1995年の4月です。そのキャッチフレーズは、「教える教育から学ぶ教育へ」です。学ぶ教育は、先生が教えることを放棄するのではなく、今まで以上に一生懸命教えなければなりませんが、その目的は自分で学べるような、そういう学生を育むためであるというような見方に180度変えたわけです。最初はなかなか先生方に理解が行きわたりませんでしたが、今では100%理解されたと思います。
 それでは「教える教育から学ぶ教育へ」を目指すことになったのか。理事長が、本大学の研究をもっと活性化するにはどうしたらよいか、ひとつアメリカの大学を調査してきて欲しいといって、研究でリーダーシップをとっている教員数人がチームを作ってアメリカに視察に行ったのです。そして、最初の大学で、「おたくは学納金をどのくらい研究に使っていますか」という質問をしたら、全然向こうに通じなかった。それで、いろいろ話していると、「学納金というのは学生が勉強するために納めたお金だから、それを研究に使うのは何事だ」というふうに言われてしまった。2つ目に訪問した大学にも同じ質問をしたら、やはり同じような答えが返ってきて、3つ目の大学からは、訊くのを止めようといって止めたという話があるのです。
 アメリカの研究が非常に活性化している背後には、しっかりした教育をやっているという事実がある。ノーベル賞を受賞した教員がいますが、その研究を支えたのは大学院生で、彼らがいろいろな問題を発見し、それが研究に結びついているのだということを知った。そのことから、「まず研究」ではなく、「教育をしっかりやらないと研究は成り立たない」ということが分かり、その報告を受けて理事長が、教育の充実を最優先することを決断しました。そして93年から94年にかけて、教育を見るためのチームを延べ人数で百数十名、アメリカに派遣しました。一方、これからの本学の教育をどうするかということを検討する委員会を設置して一生懸命考えた結果、「教える教育」ではなく、「学生が自ら学ぶ教育」が大切ということになりました。そのためにカリキュラムを抜本的に変えました。卒業研究は、学生の総合力をつけるために非常に良い科目だと言われていましたが、教員の研究の手伝いをするデータ取りなどに学生の労力を使うという側面もあったので、新たに工学設計という科目を立ち上げ、「工学設計I」は1年生、「工学設計II」は2年生、従来の卒業研究を廃止して「工学設計III」とし、学生が自分で問題を発見し、解決する科目を中心にカリキュラムを組んだのです。

井端 平成12年に私情協も四十数人で、ハーバード大学、MIT、カーネギーメロン大学など15の大学を訪問しました。カーネギーメロン大学の社会科学者に会ったとき、目から鱗が落ちたのは、学生に原因と結果を授業の中で体得させるようなそういうシナリオ作りをやっていたことです。テーマを学生に与えたときに、そのテーマを問題解決するために何を調べなければいけないのか、リサーチから入り、学生が主体的に学べるような工夫をしていました。
 もう一つ、公認会計士の試験で、全米第2位のピッツバーグにある3,000人程度のカレッジに行ったときのことですが、学校の校門をくぐったら出るまで、必ず学生に今日は何を学ばせるかという強い使命感が教員一人ひとりに理解されている。学生約80人の90分授業で5回程度の小テストを行い、リアルタイムで学生の理解度をチェックし、一人ひとりのフォローアップをしていくという手間のかかる授業を実践されていて、次の世代を担う学生のために学納金が使われているという、まさに教育マインドが徹底されているのはうなずけますね。
 金沢工業大学は先駆的にFDに着手され、その結果、特色GPなど大変参考になる教育モデルを打ち出されていますので、教育改革のお手本として大学が学ぶ意義があると思います。

保崎 授業改善白書で、ITを活用して成績が向上したのがわずかだったという結果は、実は25年くらい前のリサーチでも出ているのですが、結局、そこに注目してこなかったのがこの四半世紀、大きな失敗だったという気がします。新しい発想が生まれると、従来のものを捨ててしまう。なぜ、従来と新しいものの良さをマッチングできないのだろうと。例えば、教育と研究についても、どうして二分してしまうのか。教育研究のプロである教員は、教育につながる研究や、研究につながる教育をもっと考えなければいけないですね。

服部 本学では95年の教育改革後は、教育が大切だということを教員の皆が理解しましたが、現在は結局、研究が大切だということになりました。それは、研究に学生を取り込むことによって、学生の能力を向上させるという発想です。2008年4月から次の大きな教育改革を行うため、今度は大学院、研究所も視野に入れた教育改革を現在計画しており、企業や地域など社会と連携した研究を展開することで、研究を学生にもオープンにして教育に繋げていくことを考えています。やはり研究がないと教育もよい教育になりません。教員も一生懸命に研究も行い、それを教育にも振り向けることが大切ではないかと思ってます。

授業の目標とシナリオ作り

今泉 本学では学生が入学したときに自己発見ということを行っています。一種の動機付けですが、何かに気づき、変わって、自信を持っていくというプロセスを実施しようとするもので、大学自体がそこまで実施していかないと、高等教育機関として生き残れないのではないかと思っています。そのためには、授業科目間が連携してシナリオ化されていないと意味がないと考えます。

服部 学習意欲を高めにシナリオ作りが大切なのは、まさにその通りだと思います。シナリオ作りで本学が非常に成功していると思うのは、「夢考房プロジェクト」です。これは学生がチームを作ってプロジェクトを提案しますが、今プロジェクトチームが約16あります。その中にはソーラーカーや、ソーラーボート、ロボットでサッカーをするプロジェクト、建築模型を作るプロジェクトなどいろいろありますが、そういう活動をすると学習意欲が上がります。それは、例えばソーラーカーを製作するというプロジェクト目標があり、学生はある部分を設計するにはどうしたらよいかという具体的な宿題を抱えて授業に出ますので、授業を関心を持って聞くということがあると思います。ですので、その辺りにシナリオ作りの一つのヒントがあるのではないかと思います。

井端 理工系や医歯科系の分野では教育目標が明確ですが、文科系は目標を定めない抽象概念の中の学問になりますので、理論と実践が離れているのです。教員の教育力の一つとして、学生に目標が見えるよう、理論と実践をうまく結びつかせる工夫が必要ではないかと考えます。

保崎 起業家精神のようなことで可能だと思うのです。ものを作る専門家、ものを売る専門家、そこへ繋げていくことを考えるのが教員の仕事であるし、学生に考えさせ、実践させることが大切だと思います。

社会と連携した授業運営

井端 最近、企業の第一線で活躍されている社会人が大学の教員として、例えば会計学や経営学など社会科学系の授業を教えるようになってきました。その方々は、自らの経験に基づき、生の声を授業に届ける力がありますので、授業にインパクトがあります。これからの教員の教育力として、社会の力を授業に取り入れ、教員と社会人がチームで授業作りをしていくことを考えないと、教員一人だけでは限界なのではないかと考えます。

保崎 例えば大学院では社会人の学生がいると、教員も実務経験がなくても社会人と交流することで大いに刺激を受け、これまでと違った授業が実現できます。

今泉 社会人の授業はとても新鮮でインパクトがありますが、それを1年や2年という継続した教育で、どのように学生に伝えるかということは、教員が社会と連携してうまく実施していくと生きてくるのではないかと思います。

教育のオープン化の必要性

今泉 今、勉強したいという学生はどんどんいい海外に行っており、日本の大学で4年間学ぶよりもアメリカのよい大学に入って学んだほうが圧倒的に将来自分の価値が高まると考えられるようになってきました。これに対して、われわれ日本の大学はどうするのだというのが大きな議論としてあります。

井端 研究も教育も一体と考えると、日本の高等教育機関そのものが社会に期待される機関になっていないことが大きな問題だと思います。大半の大学では力がありませんので、大学にもっと大きな期待を寄せてもらえるよう、国や地域社会が大学を支援するシステムを作っていくのが一つの方法ではないかと考えます。

今泉 日本の大学が世界で生き残るために何をすべきかという議論が必要ですね。

井端 そういう意味では教育のオープン化が必要ですね。

保崎 eラーニングというのはまさにそこだと思うのです。皆さん気付いていてもたぶん触れない部分だと思いますが、例えば「e何とか」といったときには世界に繋がっていきますので、言語能力、教育力、研究レベルが世界にさらされるわけです。私はeラーニングによって、日本の教員や教育が世界にさらされることの厳しさや楽しさを味わうことができれば、本当のeラーニングだと思います。

服部 本学には教育支援機構という委員会組織があり、私は教育支援機構の委員長を務めていますが、大学と併設の専門学校の教育を横断的に支援し、授業の支援が全体の中の3割で、残りは課外活動の支援です。機構には七つのセンターがありますが、工学基礎教育センターというのを作ったことによって、教育が次第にオープンになってきて、教員がよい意味の競争するようになってきました。
例えば、工学基礎教育センターには数学、物理、化学などの分野がありますが、ある教員には課外に大勢の学生が質問にくるのに、ある教員にはまったく学生がこない、そうすると自分でも何かしなくてはいけないという気になるのです。また、年に一度、高校や他大学の教員を招いた1日のセミナーを実施していますが、そこで最も効果があったのは、本学の教員のやる気が出たことなのです。教育がオープンになるだけでなく、内容の充実にも繋がってくるという効果があります。
 七つのセンターの他に、全体をコーディネートするような企画調整部という横の連携をとる役割の事務組織があり、その職員達がそのような仕掛けを作り、ものすごく働いています。
 工学基礎教育センターを作ったとき、教員には個室から衝立で仕切られた大きな部屋に移っていただき、当初は随分抵抗がありましたが、これによってオープンになった効果は大きいです。

今泉 本学でも研究室がオープン型と個室型と二つあり、結果的にはすぐ相談に行けるのでオープン型のほうがよいという意見になり、やはり、学生が誰も質問にこないとなると、教員から自分の教育を変えなくてはいけないという話が出てきます。

教員評価と自己点検

服部 教員の評価に研究だけではなく、教育を評価の中に入れるべきではないかという話ですが、本学は95年に教育改革を始めたときに学長が宣言をして、「これからは先生の評価は教育が5、研究が3、学事運営に対する貢献が2」ということを言いました。
 授業改善のため、教員は教育に関するいろいろなドキュメントを提出することにになっています。それらは、シラバス(本学では学習支援計画書)、小テストの答案、レポート、定期試験を廃止して教員が個別に1、2回行う達成度確認試験の答案です。また、卒業研究(本学では工学設計III)では個々の学生の活動週報と中間発表で用いた成果物、最終レポート、教員の指導記録を提出します。提出しない教員には主任会議で名前を公表し、それでも未提出が何回か続いた場合は学長が注意し、最終的には適正化委員会に掛けることになります。
 評価の基準がはっきりとした形で公表されているかというと、まだそこまで行っておりません。これからはもう少し透明化する必要があると思います。講演会での発表査読つきの教育論文集は一つの評価基準になりますが、あとは口コミです。やはりいい教育をやっている教員というのは見えるものなのです。教育力というのは論文だけではないと私は思っております。

井端 そうなると学生の反応はどうですか。評価の対象が論文ではないとなりますと、学生として「この先生の授業はすごくインパクトがある」、「この大学に来てよかった」、「高いお金を払っただけの価値はある」といった学生の評価なのでしょうか。

服部 それは言えます。学生の評判がよい教員は、まず間違いなくよい教育をしています。ですので、工学設計の配属のときに学生に投票をさせ、どの先生のところにつきたいかというときに結果が如実に現れます。それから大学院に進学したいという学生の数が多いというのも一つの目安になります。

井端 評価は、評価のための教員評価ではなくて、教員の自己点検のための仕組み作りであって、教員一人ひとりが教育改善を意識して何かに気付き、自己改善してもらえれば一番よいわけです。

今泉 今おっしゃったように学生や教員同士がよいと評価するのは、まさしくそこに信頼感があるからなのです。自己評価は何のためにあるのかというと、理想とする大学像や教育を描いていくためにあるわけです。

保崎 研究は研究費という形で努力した結果が報いられます。要するによい研究、面白い研究をしたら研究費がつきますが、教育というのは努力しても評価されることはあまりないので、インセンティブがつきにくい。よい授業をする教員だから給料を上げるといっても、他の教員はあまり納得しないでしょう。それが難しいです。

今泉 本学では実施しています。それがある意味で、教員同士の学科・学部での教育に対する信頼感なのです。信頼感があってはじめて成り立っており、安定して動いていけるということだと思うのです。

井端 ヒントとして、JABEEでは教員が何を教えるかではなくて、教えた結果、学生はどういうふうに学習行動を起こすかというのが評価基準のようです。したがって評価というよりも、一人ひとりの教員が気付いて、素晴らしい授業を作ってもらうことが、大学からすれば最大の利益なのです。また国の利益です。そこのところを強調していけば、多くの教員に理解してもらえるのではないでしょうか。

大学のガバナンスと意識改革

保崎 自分がよい教員、教育家になりたいというインセンティブは、教育改善の動機付けとしてよいのですが、自己満足の世界になってしまうのではないかと思ってしまいます。

今泉 それは大学のガバナンスによると思います。大学自体が企業にたくさんの学生を入れることに価値があると思っているのか、きちんと育てたいと思っているのか。
 大学が生き残るためには、学生を4年間(6年間)でどのように育てていくか、大学がミッションを持つことが重要だと思います。アメリカの大学でも生き残っている大学というのは、やはり外部にも誇れるしっかりした教育を行っています。

井端 アメリカの大学は、教員が個人民主主義でありながら、一つの大学のミッションに対してうまく反応していますね。教員一人ひとりの持っている知恵をどのように大学のミッションに引き継いでいくかという課題は非常に難しい分野ではありますが、これから大学の理事会なり執行部がチャレンジしていただきたいと思います。

服部 99年の年頭の挨拶で理事長が「みんなこれから一つ事務職員は日本経営品質賞を目指そうではないか」と呼びかけました。日本経営品質賞委員会というところが賞を出しているのです。教育界ではまだどこも受けていないけれども、賞を取ることが問題ではなくて、それに挑戦するところに意味があるのだ、そういうビジョンが示されました。
 それ以来、事務部門の若くてやる気がある人を中心にして顧客満足度プロジェクトというプロジェクトを組んで活動を続けています。彼らは顧客である学生が満足するというのは一体どういう状態かということをいろいろ考えた結果、「自分はこの大学に入って確かに力がついたと思うこと」だという立派な定義を出した。何年か経った現在では、「学生が大学を卒業して結婚し、やがて子どもが大学へ行く年になったときに、自分の出たあの大学に子どもを入れたいと思うこと」が満足だというふうに変わってきました。
 会議のときに事務の人たちが、こういうことをしたら学生のためになるのではないかとかいう発言をすることも珍しくありません。それによって教員も気が付くのですが、その効果は非常に大きいです。
 成果が出るようにするには、どうしたらよい教育ができ、よい研究に繋がるのかということを大学の皆が真面目に考え、組織を挙げて着々と取り組めばよいと思うのです。

井端 多くの大学に、そのような意識改革という波が伝わっていただけるようになればよいと思います。

服部 それは、意識改革に目覚めた人が牽引車になってやる以外にありません。
 先ほどご紹介した「工学設計」は「知識から知恵へ」というキャッチフレーズのもと、教員の大テーマに対し具体的なテーマを学生が見つけ、そのテーマに向かって、知恵を出し合い、顧客のニーズを発掘してとりまとめ、仕様を考えるということを毎週行い、それを1学期かけて実施いくものです。この「工学設計」を始めた頃は、「こんなつまらないことをやって」と非難囂々でした。それから定着するまでに数年かかっていますが、段々周りの人がいろいろ評価をしてくれました。そうすると、反対の声が下火になってきました。

保崎 変わることですよね、変われるかどうかですね。

井端 今、私情協の研修会でもそういう方向で職員の方々に意識改革について考えてもらうよう、努力しているのですが、服部先生にヒントを教えていただいたのは、まずリーダーシップを持った素晴らしい教員と、そういう教員を大学がキャッチして、そこにブレーンがついて、職員がブレーンの一角として大きな機能を果たすこと、それは非常に重要ですね。

服部 教員はどうしても自分の所属する学科という目でものを考えてしまい、大学全体という立場でものを見ることが苦手ですが、優秀な職員はある学科の利害とかそういったこととは無関係に、大学全体を見ることができます。だからそういう点で職員はまさに学長のブレーンになれると私は思います。

今泉 本当に着実にやっていく、これが教育だと思うのです。研究は結果がすぐに出てくるけれども、教育は5年、10年とやってみて初めて出てきます。これは不断の努力といいますか、正しく「これでいいのだ」と満足しないで次々と改善していくことは、どこの大学でも求めておられることだと思います。次のステップに進んでいかない限り、日本の大学教育自体が駄目になっていくのではないか、そういう時代になっていくのではないでしょうか。

服部 そうですね、大学全体が良くならないと駄目ですね。自分のところだけ考えるのではなくて。

今泉 教育機関は信頼が第一番ですから、本当に社会に信頼されないといけないと思います。

井端 だから苦しい時には、大きな目標をかざして常に原点に返る。常に大きな目標、世界の人材作り、世界の中の高等教育機関として、恥ずかしくないものにしていく。そしてアジアの雄として日本がこれからも大いに頑張れるようにしていかないといけないと思います。

今泉 本日は貴重なご意見をいただき、ありがとうございました。

関連URL
[1] http://www.juce.jp/hakusho2004/

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