教育事例紹介 国際関係学


国際関係学のアクティブ・ラーニングにおけるICT活用の可能性と課題


毛利 勝彦(国際基督教大学教養学部準教授)


1.はじめに

 国際基督教大学のキャンパスには、かつて零戦のエンジンを設計製作していた研究所がありました。戦後、武器ではなく平和をつくる人々を世界に送り出すために、日本で初めて大学名に「国際」を掲げ、「責任ある地球市民」を育む「行動するリベラル・アーツ」の伝統を築いてきました。このミッションを達成するために、国際関係学分野においても多様なアクティブ・ラーニングに取り組んでいます。ここでは三つのアプローチを紹介し、ICT活用の可能性と課題を考えてみたいと思います。三つのアプローチとは、政策ディベート、ケース・メソッド教授法、サービス・ラーニングです。これらの学習法は、演繹法、帰納法、意味解釈法といった方法論にそれぞれ対応するものとして考えています。


2.政策ディベートへの活用

 国際関係論の授業では、様々な理論を体得する方法として政策ディベートを活用しています。ディベートとは、一つの論題をめぐって肯定側と否定側の二つのチームが、三角ロジックを駆使しながら、多くの聴衆を説得するコミュニケーション形態です。まずディベートの方法を学び、次にディベートに適用しうる概念や理論を概説した後、軍事、政治、経済、社会、環境など今日の日本が直面する論題についてディベート試合をしています。通常4〜5名のディベート・チームを編成します。グループごとに模擬ディベートの練習をした後、授業用eラーニング・システムのグループ機能を紹介し、オフラインでもオンラインでもグループで準備を進めることを促します(注)
 入学直後からの英語教育プログラムやこの授業でロジカル・シンキングやクリティカル・シンキングの学習姿勢を身につけることは、その後の学習経路に意味ある影響を与えると考えています。とりわけ、何らかの主張をする際には、必ず論拠と証拠を挙げる三角ロジックを考えることが重要だと思います。もっともディベートらしい部分は反論や反駁ですが、そこで使うディベート技法を解説するビデオ・クリップも作成しました。若手の政治家、官僚、ビジネスマン、大学教員など社会人によるモデル・ディベートを収録したテキストに基づいたものです。[1]
 ディベート試合の勝敗は、聴衆による判定シートによって決定します。試合の前後に論題に対する聴衆の立場についてアンケートでデータを採り、クラス全体の平均値が試合後に肯定側と否定側のどちらに動いたかで勝敗を決めます。これは、国際関係論における英国学派のバリー・ブザン教授に教えていただいた方法です。イギリスの議会ディベートには、有権者である国民が判断する民主主義の伝統があります。携帯電話から学生が判定を投票できるサイトを構築すれば、国会の電子式投票システムのようにディベート試合直後に勝敗をクラス全体に知らせることも可能でしょう。実際にはコメントも書いてもらっているので、判定シートを試合直後に回収し、授業後に計算した判定結果をコメントとともにBlackboardの掲示板に勝敗速報として掲載しています。


3.ケース・メソッド教授法への活用

 国際政治学者ジェームズ・ローゼノウ教授によれば、「これはいったい何の事例なのか」という疑問こそが複雑な国際社会を理解する鍵になるとのことです。研究者が分析した事例研究とは異なり、ケース教材には現実に生じた国際問題ストーリーが再構成されています。これを事前に学習者が予習し、教室では教員がファシリテーターとなって学習者が問題発見や分析をしながら問題解決策を探していく方法です。国際関係学会(ISA)のアクティブ・ラーニング部会では、国際関係分野のケース教材の蓄積とケース・メソッド教授法の普及を進めています。日本でも90年代初頭から国際開発高等教育機構(FASID)が、国際開発分野におけるケース・メソッドの普及とケース教材の蓄積に取り組んでいます。[2]
 伝統的なケース教材はテキスト・ベースのものですが、欧米のケース・プログラムを中心にマルチメディアを活用したケース教材も増えてきました。私もメディア教育開発センター(NIME)の科学研究費プロジェクトの一環として、日本の政府開発援助(ODA)案件についてマルチメディア・ケース教材を作成したことがあります。[3]フィリピンの石炭火力発電所建設をめぐる教材でしたが、90年代の環境と開発をめぐる国際的関心の高まりの中で、メディアや市民社会の注目を浴びた援助案件です。実際に現地を訪問して、開発推進派と環境保護派に実施したインタビュー撮影を中心に教材を作成することで多くを学びました。とりわけ、テキストによるケース教材ではカバーしにくいプロジェクト・サイトの状況や登場人物の表情や声などをデジタル映像や音声で学習者に効果的に伝えることができるメリットを確認できた一方で、インタビュー撮影時のパン、チルト、ズームによる効果や教材に取り込むマルチメディア素材の構成によって、学習者が受ける登場人物の印象が大きく左右されることも分かりました。むしろテキスト・ベースの教材だからこそ学習者の想像力をかきたてる側面もあり、テキスト教材とマルチメディア教材は補完的、統合的に活用していくべきだと思います。

図 開発と環境に関するマルチメディア・ケース教材

 現地でのインタビュー撮影は学生にとっても重要な学習機会となりえます。国際基督教大学には、ビデオ・ドキュメンタリー作成を通じて、コンテンツを生産する側の視点から批判的に問題発見、考察、発信していく授業もあります。学習者を発信者とする次のステップとしては、実際の社会との交信があると思います。かつてハーバード大学で開発された大統領選挙をめぐるケース教材は、実際の選挙キャンペーン・スタッフ等にオンラインでリンクしたWebベースの教材でした。[4]前述したODAに関する教材も、日本の援助機関の環境社会ガイドライン策定時のパブリック・コメントにリンクすることを想定した課題設定を工夫しました。様々な国際関係の現場とリアルタイムでリンクした効果的な交信型学習環境を創出しうると思います。


4.サービス・ラーニングへの活用

  「国際関係の現実は、黒澤映画『羅生門』のようですね。」かつて大来佐武郎元外相のメモワールを翻訳させていただいたとき、イランの米大使館占拠事件をめぐる描写について、大来日記とブレジンスキー米大統領補佐官のメモワールとの間に若干の相違がありました。この点について大来教授は、黒澤映画を例に、世界は見る者の視点によって変わることを示唆されました。[5]平和や開発の意味は、多文化多言語世界の文脈の中で、生身の人間として共感しなければ十分に理解できないものなのかもしれません。
 ICTでは十分に捉えきれない感覚として、リアルな世界での味覚、嗅覚、触覚などがあります。寝食を共にしたフィールド体験やサービス体験での共感理解は、コンテンツを発信・交信する以前の貴重な原体験となります。学生たちは、事前に現場の情報をインターネットや文献資料で検索を試みますが、遠隔地の情報は入手が難しく、入手できたとしても古いものか断片的であることがしばしばです。むしろ既存メディアにあふれる情報から漏れてしまう生活世界を自ら見聞したい動機で国際サービス・ラーニングに参加する学生が多いように思います。
 個人体験を振り返り、言語化する表現プロセスは、既存メディアで伝えられる世界像を脱構築し、集合的な経験知として再構築する作業にもなります。世界各地の現場でサービス体験をしている期間は、メール・リストによる情報共有も試みていますが、電化されていない村落ではネットカフェのある街まで出て行かなくては発信できません。しかし、フォーマルな発信がなくても意味ある学びがないわけではありません。mixiなどよりインフォーマルなSNSでの情報共有はなされているようですし、帰国した学生から直接話を聞くと、情報化しにくい、あるいは情報化したくない豊かな個人体験があります。ICTに頼らず、対面教育によってハートを高める学びも国際基督教大学が大切にしてきたアプローチです。


5.国際関係学の理論から見たICT

 国際関係をどのように学ぶかは、国際関係学における思想や理論と深く関わっていると思います。知識伝授型の一方的な講義スタイルは、権威やヒエラルキーを重視するリアリズムを体現するもののように見えます。学習者中心の研究を期待するゼミ形式の演習は、確立した個人の自発性を前提としたリベラリズムのスタイルなのでしょう。しかし、「授業をすれば私語、ゼミをすれば死語(沈黙)」とも言われる状況は、一方的な講義に対するリベラリズムからの反発や自発的学習環境におけるリアリズムの反革命なのかもしれません。Moodleの開発者が社会構成主義を実践するツールとしてそれを開発したように、アイデアを共有し、国際関係の知識や知恵を協調的に学習してゆくディベートやケース・メソッドのような方法は、国際関係学におけるコンストラクティビズムの実践なのだと思います。


国際基督教大学では、現在、WebCT, Blackboard, NetCommons, Moodleなど複数のeラーニング・システムを運用してそれぞれの特長と問題点を比較検討しています。
参考文献および関連URL
[1] 小沢一彦,毛利勝彦,水上慎士,道下徳成(編):ディベートで学ぶ国際関係, 玉川大学出版部, 2001.
[2] http://www.fasid.or.jp/kenshu/case/index.html
[3] Katsuhiko Mori, Ryo Fujikura, and Mikiyasu Nakayama, Calaca after 1992: Technology, Democracy, and Sustainable Development in a Coastal City of the Philippines, a multimedia case study CD-ROM, 2002.
[4] http://www.ksg.harvard.edu/3pt/
[5] 大来佐武郎(原著):エコノミスト外相の252日 多極化時代の日本外交を語る.東洋経済新報社, 1980.


【目次へ戻る】 【バックナンバー 一覧へ戻る】