特集 大学教育への社会の期待


“カナエ型”人材育成の必要性!


坂内 正夫(国立情報学研究所所長)

 言うまでもなく、資源のない我が国は、人とチエで厳しい国際競争社会を生きていかざるを得ない。そのための人材育成・大学教育については、すでに多くのことが語られている。「独創性があり、意欲が高く、協調性、国際性、専門性が高い」などの像が期待される。しかし、そんなスーパーマンみたいな人材はそう簡単には育てられない。また、独創性、意欲、国際性などは、いわば、日本社会全体のそれの反映でもあり、短い本稿ではふれないこととして、以下では、専門性に関する高等教育について、「カナエ型」教育/人材育成の必要性を提言したい。
 “カナエ”は、3本の脚を持つ。今後の専門人材も、三つの専門性を合わせ有する必要がある、というのが“カナエ型”人材育成のポイントである。
 第1は、情報学や工学、経済等の専門性、これは現在の大学教育体系の中で付与されるもので、言うまでもない通常の意味での「専門性」である。しかし、これだけで、現代社会の中で新たな価値をつくり、国際競争力のあるビジネスやサービスを展開することは困難である。例えば、情報学分野で言えば、多くの場合、“情報学の専門性”は言わば手段であり、実際の価値あるサービスを形成するのは、その“適用分野”である。製造、金融、流通、交通、環境、エンタテーメントなどなど、あらゆる適用分野での価値を生むことが要求され、その分野への知識、興味、見識が合わせ必要となる訳である。よく知られた、π型人材、ダブルメジャーはこの観点をいっている。つまり、第2の専門性である。もちろん、「学位」をもつレベルの専門性を獲得することは難しいとしても、その基礎となるある程度深い「教養」は不可欠である。
 しかし、これら二つの専門性でもまだ十分ではない。その由縁は、研究・開発の方法論の大きな歴史的パラダイムシフトと無縁ではない。
 科学技術研究・開発に関する「第4の方法論」への移行が、パラダイムシフトのポイントである。数千年前から実験・観測を主とする「実験サイエンス」が、数百年前から、それらを体系、一般化する「理論サイエンス」が、数十年前からモデルを立て、シミュレーションを行う「計算サイエンス」が、そして、今やネットワークやコンピュータを駆使して、以上の三つの方法論の結果や「知のストック」たるデータベース等を統合し、その中から新たな知を発見、活用、形成する第4の方法論「Eサイエンス」がその主役になりつつあるというパラダイムシフトである。
 欧米で急速に進みつつあるこの「Eサイエンス」の方法論こそ、人材、教育に求められる第3の脚となるものである。即ち、自らの専門性を具現、活用する武器としての「Eサイエンス」手段の具備である。
 「Eサイエンスの手段の具備」の具体例として、国立情報学研究所(本位田真一教授)で進められているトップレベルのソフトウェア技術者の育成のための教育プログラム、トップエスイーを挙げる。
 トップエスイーの教育理念は、「計算機科学の知識を有する受講生を対象として、ソフトウェアシステムの背後にある本質を把握し、モデルとして具体的に記述・表現し、理論的基盤に基づいて体系的に分析・洗練化を行うことにより、高品質なソフトウェアシステムを効率的に開発できるスキルの開発」である。その理念の実現のために、産業界、大学等と密接に連携し、カリキュラム開発、講座開発、教育、そして教材の普及活動などを進めている。産業界からは、現在15社が参加しており、教材開発、講師派遣、受講生の派遣などの連携を実施している。教材開発においては、企業から教材の題材として数年先に顕在化することが予想される実問題を扱う。講師は、国立情報学研究所、産業技術総合研究所、信州大学、筑波大学、東洋大学、東京女子大学、立命館大学などからの総勢で約30名に及ぶ。平成19年の秋学期の時点では、1期生6名(12名が18年度に修了)、2期生25名(企業から18名と大学院生7名)、3期生31名(企業から24名と大学院生7名)が受講している。また、全国の大学や企業においても同等な教育の実施を図るべく、普及のための教材の開発も合わせて実施している。
 このプログラムでは、ソフトウェアの科学的な開発は、本質的には多段階のモデル変換工程であると考え、図1に示すように、実際の問題を対象に必要な様々なモデリング能力を共通スキルとして身につける教育を行っている。このために、20以上の先端的なソフトウェアツールを駆使できる教育を徹底している。

図1 教育手段としてのソフトウェアツール教育

 図2に、目標とするスキルレベルとカリキュラム内容の概要を示している。(大学院修士を対象とする文科省のITスペシャリストプログラムでは、このサブセットのカリキュラムが選択されている。トップエスイーに関しては、http://www.topse.jp/を参照されたい)

図2 トップエスイーのカリキュラム

 上記は、一例であるが、この他の多くの専門分野教育に、それぞれに適応した「E―サイエンス」能力が、国際競争環境下で不可欠である。「高等教育はカナエ構造へ」、筆者の最も強調したいポイントである。

 


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