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2007年ヘルシンキ滞在記


西村 昭治(早稲田大学 人間科学学術院教授、メディア研究所所長)


1.はじめに

 ヘルシンキで研究生活を送りたいと思うようになったきっかけは、もちろんPISA(OECD生徒の学習到達度調査:Programme for International Student Assessment)の結果で有名な教育先進国の実際の姿をこの目で見たかったということも大きいですが、個人的にカレワラの物語やシベリウスの音楽が好きで、何となくフィンランドという国に対して親近感があったことです。早稲田大学には専任教員が専攻する分野について研究に専念し、それによって研究・教育を向上させることを目的として特別研究期間制度が設けられています。私はこの制度を利用して、2007年3月より約1年間フィンランドの首都ヘルシンキに家族共々滞在することになりました。私の所属する早稲田大学はヘルシンキ大学と学術交流に関する協定を交わしており、適当な受け入れ教員が見つかれば比較的容易にヘルシンキ大学で研究生活を送ることができます。
 ただ私の場合、個人的な知り合いがヘルシンキ大学にいなかったので、妻と同郷でフィンランド大使館参事の経験もある元フロリダ総領事の小平功氏に相談したところ、在東京フィンランド大使館内にあるフィンランドセンターに相談するようにアドバイスを受けました。そして私の経歴と希望する研究内容をフィンランドセンターに連絡し、Heikki Makipaa所長に面会していただき、ヘルシンキ大学副学長(Vice Rector for academic affairs)のHannele Niemi先生を紹介していただきました。そして、Niemi先生に招聘していただき私のヘルシンキ行きが決まった訳です。小平氏にはフィンランドでの生活に関しアドバイスを受けるとともに、在フィンランド日本国大使館本田均大使を初め大使館員の方々をご紹介していただき、2歳と5歳の子供を連れての渡航にもかかわらず、大変心強い思い出で旅立つことができました。また、小平氏の勧めで入会した日本フィンランド協会でも、大変役に立つ情報を得ることができました。


2.フィンランドという国、そこで暮らす人々

 フィンランドは日本の約9割の国土に520万人(日本の総人口の約4%)が暮らす極めて人口密度が低い国で、スウェーデン、ノルウェー、ロシアと国境を接しています。国土のほとんどが森林で、森林面積比率は2004年12月のOECDのデータによれば、加盟国中トップの75.5%(2位スウェーデン73.5%、3位日本68.9%)でした。今でこそフィンランドと言えば、世界の携帯電話の1/3以上を供給しているノキアに代表されるエレクトロニクス分野が産業の主役ですが、1990年代以前は長いこと林業がフィンランドの経済を支えてきました。また、現在でも林業はフィンランドの重要な産業の一つです。

写真1 湖水地方の夏の夜明け

 フィンランドの首都ヘルシンキ市は人口約56万人で、フィンランドのほぼ南端に位置しています。それでも緯度は北緯約60度で樺太(サハリン)の北端(約北緯54度)よりさらに北にあります。フィンランド湾を挟んで対岸にはエストニアの首都タリンがあります。ヘルシンキからはタリンまで定期的に高速船が出ていて片道100分で二つの都市を結んでいます。厳しい寒さを覚悟していたのですが、2007年から2008年に駆けてのヘルシンキの冬は記録的な暖冬で、クリスマスにも雪がなく、例年凍るはずの湾も凍らず、拍子抜けした次第です。我々が過ごした冬は一番寒いときで摂氏−7度、だいたいは昼夜の気温差が少なく摂氏プラスマイナス2度という日が大半でした。
 ヘルシンキでは大学(Faculty of Behavioural Sciences)まで歩いて20分ほどにあるアパート(80平米)を借りて、家族4人で生活を送りました。
 こういった部屋探しでも(息子の幼稚園探しでも)ヘルシンキ大学の国際交流課の職員の方々が親身に事にあたって下さったので大変ありがたかったです。アパートのある場所は、ハカニエミ市場にほど近く、前の道路にはトラムが2路線、5分歩けば地下鉄の駅といった好立地で、大変快適な都市生活を送ることができました。また、アパートの浴室にはシャワーのみで浴槽はないのですが、その代わりに4人ぐらいが入れるサウナがついていました。フィンランドには「酒とタールとサウナで治らない病人は死を待つのみ」ということわざがあるそうですが、このサウナのお陰で家族は病気知らずの1年を過ごすことができました。
 週日は朝8:10に長男をつれて出勤し、トラムに乗って長男の幼稚園に8:40に到着、そこから大学まで歩いて9:00に研究室到着、12:00まで研究、大学食堂か近くの店で昼食をとり、その後長男を幼稚園に迎えに行き13:30に帰宅、午後また大学に戻り、17:00頃まで研究というような日課をこなしていました。

写真2 アパート前のトラム停車場
写真3 ヘルシンキ市内の地下鉄
(つり革がありません)

 フィンランドでの仕事の進め方はちょうどクレジットカードのリボルビング払いのように、毎日一定のできる範囲の仕事を黙々とこなし、無理な残業をせずに、新たに仕事が入ればその重要度によって仕事の順序を変えるだけで、すべてを期日までにきっちりと終わらさなければならないということはないようです。しかしその仕事ぶりは着実で、長期間でみると生産効率は大変高いと思います。私も彼らのやり方を真似てみましたが、お陰でだいぶ研究がはかどったような気がします。
 フィンランドに1年間家族と暮らしている間、フィンランド人は人間一人ひとりをとても大切にするということを折に触れ感じていました。例えば、12月24日のクリスマスイブの午後から翌日のクリスマスの昼まで、ヘルシンキの交通機関はすべてストップします。それは、交通機関で働く人々にもクリスマスは家族と過ごすべきだということがあるからだと思います。その一方、日本は競争社会で、常に他人より優位に立つことに向けて競争を行っていると思います。この違いはどこが原因で生じたのでしょうか?荒っぽい仮説を立ててみました。北緯60度以上に位置するフィンランドで生活するということは、常に厳しい自然環境に対峙していかなければならないことを意味しています。そこでは、人々は協力し合って厳しい自然環境と戦っていかないと生き残ることはできません。一方日本は、比較的温暖な気候で、豊かな自然に恵まれ、その結果人口密度が高くなります。そして、ついには日本人は自然と闘うことより、お互いに戦うことが重要になってきたのではないのでしょうか。実際、知り合った多くのフィンランド人から、フィンランドでは人が宝で、一人ひとりを大切にしていかなければならないといった話をよく聞きました。また、フィンランド人は他人と比べて自分がどうであろうかということはあまり気にしておらず、自分自身が何をしたいかが大切であるようでもありました。


3.ヘルシンキ大学

 ヘルシンキ大学は11学部を有したフィンランドで最も歴史のある総合大学で、学士課程約1万3千名、修士課程約1万9千名、博士課程約5千4百名の学生を有しています。その前身は、1640年のスウェーデン占領時代に創立されたトゥルク王立アカデミーまで遡ります(ロシア占領時代の1829年にヘルシンキに移されました)。2008年度の英国Times誌の大学ランキングでは91位にランクされています。
 私の招聘元のHannele Niemi先生は副学長としての職務に専念している関係で、ヘルシンキ大学での実際の研究はNiemi先生の片腕のAnne Nevgi先生(Centre for Research and Development of Higher Education, Department of Education, Faculty of Behavioural Sciences)と、私と研究分野が重なるSeppo Tella先生(Research Centre for Foreign Language Education, Department of Applied Sciences of Education, Faculty of Behavioural Sciences)とチームを組んで行うことになりました。ヘルシンキ大学は6月には夏休みに入ってしまうので、4月、5月はお互いの研究内容を紹介し合い、夏休みが明ける8月後半から具体的な共同研究に取り組むことになりました。Nevgi先生の御夫君がインド出身であったこともあって、Nevgi先生はインドの教育事情に大変詳しくインドの大学に知人も多くいます。インド担当のNevgi先生、日本担当の私、そしてフィンランド代表としてTella先生ということで、フィンランドとインドと日本の文化的差異とその教育に及ぼす影響を、特にICTの活用方法に注目して分析しようということになりました。偶然ですが、このフィンランド、インド、日本の3国はITがその経済に重要な地位を占める国です。その文化的背景は大きく異なっているので、大変興味深い結果が期待できます。既に私が帰国して半年以上経ちますが、現在でも継続的に共同研究を続けています。
 フィンランドには21の大学がありますが、すべて国立大学であることが特徴です。聞くところによれば、学生定員は教育省が必要な労働力の将来予測をもとに柔軟に決められて、大学を出ても希望の職に就けないという事態ができるだけ起こらないようになっているそうです。ちょうどヘルシンキ大学でもコンピュータサイエンス関係の入学定員を絞り、その分バイオテクノロジーに振り分けているということでした。このようにフィンランドでは大学は、社会が求める人材の育成が主たる目的とされ、それに基づいて運用がなされています。
 授業の考え方も日本の大学とフィンランドの大学では大きく異なります(フィンランドというよりヨーロッパといった方がよいかもしれません)。我が国の大学ではご存知のように典型的な講義科目は2単位で構成され、2単位の基準を満たすためには、毎週90分の授業を15週行わなければならないという、教師の授業回数を基準に単位が設定されています。フィンランドでは教師がどれぐらい授業をするかが基準ではなく、学生がどれだけ勉強することになるかを基準に“European Credit Transfer System(ECTS)”に従って単位の設定を行っています。例えばSeppo Tella先生が担当する「Subject Didactics(教科教授学)1」という科目では、以下の表のような具合です。

表 ETCS単位数計算例
対面授業 一般教授学講義 8時間
教科教授学講義 16時間
教科教授学(グループ学習) 24時間
学校(講義) 12時間
ポートフォリオ作成(講義) 4時間
試験 3時間
予習復習 52時間
文献学習(2冊、1時間に10〜15ページ) 40時間
作文 ポートフォリオ作成 5時間
レポート作成 10時間
試験準備 20時間
合計 194時間
(7 ECTS)

 このように科目ごとに学生が費やす時間数が算出され、それに基づいて単位が決められます。したがって、同じ学期中の科目でも科目によって単位数はまちまちです。
 また、一人の学生は年間60ETCS単位を取ることを期待されていて、学士号取得のためには180単位(3年間)、修士号取得のためにはさらに120単位(2年間)履修する必要があります。フィンランドの大学では学士のみで終わるケースは稀で、5年間で修士号を取得するのが一般的です。


4.幼稚園から見たフィンランドの教育

 長男は8月に幼稚園で就学前教育の課程に進学しました。この就学前教育とは正式に小学校での教育が始まる1年前に任意で幼稚園あるいは小学校で受けられるもので、自治体が決めたカリキュラムに沿って、読み書きそろばんを習う場です。9月初めに、保護者達と担任の先生、園長先生で話し合いの会が開かれました。内容はこの1年でどのようなことを園では計画しているか、保護者の希望は何かということです。また、子供たち自身の話し合いの中で「年少の子に親切にしてあげる」「けんかは話し合いで解決するよう心がけ、無理なようであれば大人に仲裁を頼む」などが決められたという報告がありました。驚くべきことは、この会には私たち家族のためだけに日本語・フィンランド語の通訳が手配されていたことです。また別の機会に、個別教育プランの作成ということで、長男と我々両親が幼稚園に呼ばれ、園に対する希望等を聞かれましたが、やはりその際にも通訳が用意されていました。給食やその他教材費を含めてすべて無料であるにもかかわらず、これだけ手厚いサービスを受けると、罪悪感すら感じてしまいました。
 また、長男の幼稚園は、通う子供の数は29名で、それに対して給食、用務、保健の担当者を含めて15人の専任スタッフで運営されており、17人の子供を1人の先生が見ています。長男は日本語しかできないので、特殊なケアが必要な子供とされ、それに合わせて1名教員が増員されたようです。園では、子供は小屋の屋根に登ってもしかられることはなく、多少危険なことをしそうになっても常に3m以内に大人がいるような状態であるので、自由に動き回ることができ、子供達はのびのびと幼稚園生活を楽しんでいるようでした。

写真4 長男の通った幼稚園


5.フィンランドの奇跡の秘密

 2000年以降3回に亘って行われてきたPISAで、フィンランドの生徒の読解力は常にトップで、他の分野でもトップグループに入っていることは、報道等で広く知れ亘っています。その要因として、

1)教員になるには修士号が必要とされるような教員レベルの高さ
2)学力テストで低いと見なされた学校に予算を多く配分する梃入れシステム
3)図書館の充実など、国を挙げての読書の奨励

を上げる解説が多いようです。確かに2)、3)に関しては全面的に同意しますが、1)に関しては前述したように、フィンランドの大学ではどの学部も、基本的に5年かけて修士号を取得するのが一般的で、ことさら教員だけが修士号を取得しているわけではないということに注意する必要があります。個人的には、フィンランドがPISAでトップになる大きな原因はフィンランド語にあると考えています。フィンランド語は長い間文字を持たず、16世紀になってはじめてローマ字で綴られるようになったと言われています。比較的新しく表記法が整備されたため、発音と綴り方は完全に一対一に対応しています。つまり、たったアルファベット26文字と2文字()の計28文字さえ覚えれば、意味や理解はどうであれ、すべての本を読むことができるのです。したがって文盲率はほぼ0です。フィンランド語自体は格変化が非常に多く、また、インド・ヨーロッパ語族とは異なるフィン・ウゴル語族に属し、欧米では外国語として学習する場合には非常に難しい言語とされているようです。ただ、母語としてフィンランド語を獲得してきた幼児にとっては会話自体には何も問題はないので、外国人にとって難しい言葉であっても、そこで生まれ育つ子供にとっては関係ないことです。長男が通った就学前教育課程では、フィンランド語の綴り方を習いますが、アルファベットを1ヶ月ぐらいで覚えると、あとはいきなり作文を作ったりしています。したがって、フィンランドでは読むだけであれば、幼稚園生でも新聞さえ読めてしまいます。
 一方、日本語はその読み書きを修得するには大変困難な言語です。日本では新聞を読むためには「ひらがな」、「カタカナ」の他、「新聞漢字」2,000字を知らなくてはならず、また、呉音・漢音・唐音、訓読み・慣用音、同音異語もたくさんあるので、豊富な語彙力と文脈の理解力が必要で、高校生程度にならないとすべてをきちんと読むことが困難です。
 このように読み書きを学習することにおいては、フィンランド語と日本語ではまったく困難の度合いが違います。当然我が国では、国語の時間は読み書きを修得させることに多くの時間を費やすことになりますが、フィンランドではその時間は不要で、むしろたくさんの読書をしたり、その意味することを理解することに費やすことができます。フィンランドの学校では日本より授業時間数が少ないにも関わらず、読解力が優れているのはこういった言葉の特徴によるところが大きいと思われます。
 また、別の大きな要因としては長男の幼稚園に見られるように、子供に対する教師の多さが上げられます。先に紹介したように、一般的なフィンランドの小学校では1クラスが日本の半分の17人程度であると言われています。この少人数であることが子供一人ひとりに対する十分なケアにつながり、落ちこぼれを生みづらくし、結果としてPISAの平均点を押し上げているのだと思います。


6.フィンランド人と英語

 フィンランドは英語教育に力を入れていることも有名です。しかし、私は、それをそのまま日本に導入してもあまり効果がないのではと考えています。ヘルシンキのテレビのチャンネルは東京と同じぐらいありますが、フィンランド語で常時番組を流しているのは2局ぐらいです。あとの局は他のEU諸国(特にイギリス)かアメリカのもので、ほとんどが英語での番組にフィンランド語字幕をつけて流しているものです。子供の好きなアニメも多くは英語にフィンランド字幕という形で放送されています。
 フィンランドの全人口は約520万人と福岡県の人口よりやや多い程度です。この人口規模では、番組をわざわざフィンランド語に吹き替えてもコスト的に見合わないといった事情があると聞きました。しかも、前述したようにフィンランド語は字幕に適した言語です。一つの字幕を作れば大人も子供も読むことができるので便利です。そのようなことから、フィンランドではテレビをつければ英語が流れ、そこにフィンランド語字幕が現れるというのが常態なのです。さすがに幼稚園生には英語は通じませんが、小学生の高学年程度になれば十分英語で意思疎通が可能になります。大人に関しても概ね50歳代より若い世代は自由に英語を操ることができるようです。もし、日本で英語を普及させたいのであれば、子供や若者が好む番組を英語のまま日本字幕をつけて放送するのが近道だと考えます。


7.最後に

 ヘルシンキでの1年間は、私にとっても家族にとっても実り多いものでありました。多くの素晴らしい方々と出会うことができ、友人になることができました。3歳になった次男も未だに赤色のことをプナイネン(punainen)といったり、お休みなさいをユオタ(yt)と言ったりしています。この次男は日本にはサンタクロースが少ないのだろうと訝っています(ヘルシンキではシーズンになると町中サンタクロースだらけになります)。
 共同研究を進める中で、文化や言語、そして社会によって教育というものが大きく異なるものだということも理解できるようになりました。今度は2009年秋より半年、ヘルシンキ大学のSeppo Tella先生が早稲田大学で研究・教育をして下さることになりました。今後の共同研究の発展が楽しみです。



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