人材育成のための授業紹介●化学

学生が主体的に「学ぶ」ための環境をめざして

伊藤 眞人(創価大学工学部教授)


1.はじめに

 2000年にブダペスト(ハンガリー)で開催された第20回国際化学教育会議の一環として、「21世紀の化学教育」を考えるワークショップが開催され、「新世紀の化学教育のあり方を示すキーワードは何か」が議論されました。折からITなどの新技術の活用などが提案される中で、“Learner centered”(学習者主体)、“From how-to-teach to how-to-learn”(「教え方」から「学び方」へ)というキーワードが私の心を強くとらえました。これより少し前から遠隔学習のためのWWWによる独習教材作りに取り組み、担当する授業のホームページを開設して教材の配布や授業情報伝達に活用するなど、ICTの活用に取り組んでいましたが、このワークショップをきっかけとして、授業とICTを組み合わせて学生の「学習の場」を構築できないかと考えるようになりました。この目標はまだ十分に実現できていませんが、二つの担当科目でICTを活用した取り組みを紹介します。


2.ICT活用で専門科目の学習の場をめざす:有機化学

 私の所属する創価大学環境共生工学科の専門分野は大きく化学系と生物系に二分されます。そこで、たとえば有機化学では必修科目2単位と選択科目2単位が開講されていて、大学化学の入口科目である「化学基礎論」を1年生で履修した後、「物理化学」「無機化学」「分析化学」などの専門基礎科目と共に2、3年生で履修できるように配置されています。
 「有機化学」の授業のホームページ[1]を図1に示します。この授業では、板書にあたる内容を「授業資料」としてPDFファイルで公開しています。授業ではこれを投影しながら説明します。特定の教科書は使っていませんので、「予習のページ」を用意して主な参考書を利用して予習する際の手引きとしています。また、授業で聴いた内容に対する理解を含めるために復習用の「演習課題」を用意しています。「Q&A」(図2)では、過去に学生から出た主な質問への回答を見ることができます。「演習問題」では、過去の試験問題を章ごとに再編成して閲覧できるようにして、復習および定期試験の準備に使えるようにしています。「補助教材・役に立つホームページ」(図3)では、学習の参考になる他のホームページへのリンクを用意するとともに、「プログラム学習―立体化学WWW版」をはじめ、これまでに作成した各種の独習用教材を利用できるようにしています。これらの資料や教材は学外から自由に利用できます。

図1 「有機化学」授業のホームページの入口
図1 「有機化学」授業のホームページの入口
図2 Q&Aのページの入口
図2 Q&Aのページの入口
図3 補助教材・役に立つホームページ
図3 補助教材・役に立つホームページ

 「プログラム学習−立体化学WWW版」は本協会の平成16年度大学情報化全国大会で紹介しました[2]が、竹内敬人先生のロングセラーである「プログラム学習・立体化学」(講談社)に掲載されている問題を守谷らが開発したWWW用の独習システムである「プログラム学習CGI」用に再編集して公開しているものです。その後、何人かの学生が有機化学の他のいくつかの基礎的分野の問題を追加して現在に至っています。1月と7月をピークとして、例年4万問以上が利用されています[3]
 また、本学の高木らが開発した学習支援システムであるCollbTest(図4)[4]を2008年度から導入しました。CollabTestは正式名を「学生が協調的に作問可能なWBTシステム」と言い、授業を履修する学生がグループを作り、その授業に関する問題を共同で作成することを通じて学ぶことのできる環境をWWW上に構築するものです。グループの各自が作成した問題に対して、互いに改善のための意見を出し合うことにより問題としての質を高め、でき上がったら教員に提案します。問題の作成と確認を通して、学生は自主的に参考資料を調べる姿勢が身につきます。意見を出し合いながら問題を改善していく作業には、努力に見合う達成感を感じるようです。「有機化学II」(選択科目)では、ともすれば丸暗記が通用する問題による評価に陥りがちな天然物化学の章を定期試験の範囲から外してCollabTestの課題とし、各学生の参加状況とその成果である問題の提案を評価に取り入れています。

図4 CollabTestのトップページ
図4 CollabTestのトップページ

3.一歩進んだ化学情報の活用をめざす:分子設計

 環境共生工学科では、専門分野で必要な基礎的な情報リテラシーの多くを「環境情報リテラシー」という科目と2年生までの実験科目を通じて学びます。これに続いて3年生で開講される「分子設計」では、化学系分野での情報処理を理解し、一歩進んだ情報技術活用能力を育てることをめざしています。学ぶ内容は次の三つです。

1) 文献検索:何が知られているかを知る方法
2) 分子化学計算:分子に関する情報を得る方法
3) 構造と性質の関係:情報を活用して分子の性質を予測する方法

 1)と2)は、講義・演習・実践の三段階で構成されています。また、3)は同様の構成への移行を準備中です。
 「文献検索」では、まず学術(文献)情報の種類と特徴を概説した後、化学分野で最大の文献情報データベースであるChemical Abstractsを例として、学術情報データベースの構造と一般的なキーワード検索方法について解説します。次に、科学技術振興機構(JST)が公開している文献情報データベースJDream[5]を用いた文献検索法の演習を、大学図書館の専門職員にお願いしてパソコン演習室で行います。これと並行して、各学生は自分の関心のある検索テーマを提案し、キーワードや絞り込み方法を検討します。そして、選んだテーマについて学内から利用可能な複数のデータベースを用いて実際に検索を行い、結果を比較します。多くの学生がGoogle Scholar、国立情報学研究所のCiNii、(生物系のテーマを設定した学生は)NIHのPubMedのいずれかを選びます。この実践を通して文献検索を実体験するとともに、適切なキーワードと適切なデータベースの選択が文献検索で重要であることを学ぶことができます。
 「分子化学計算」では、まず二大分子化学計算法である分子力学法と分子軌道法の概要を、「何をして何がわかるか」に焦点を当てて講義で学びます。次にパソコン演習室での演習授業により、所載の分子化学計算システム[6]を使って、分子を組み立てて分子化学計算プログラムを使用する方法を学びます。並行して、各学生は自分の関心に応じて計算テーマを提案します。有機化学その他の授業で定性的に学んだことを確かめるテーマを提案する学生が多いようです。テーマの目標と計算法の選択の妥当性を調整した後、計算を行い、結果を考察します。テーマの独自性を意識してもらうために、2009年度からテーマの提案と調整を本学の学習支援システムに付属の「フォーラム」で行い、学生が互いに参照できるようにしています。
 この科目は「方法論」を学ぶ科目であり、一つの正解を求めることが重要な内容はほとんどありませんので、成績評価を試験で行うにはふさわしくありません。出席点を重視するとともに、1)2)の成果をレポートにまとめて提出させ、成績評価の一部としています。しかし授業の狙いは、新たに学んだことを基礎にして自分でテーマを考えて提案し、それを実践するという過程を経験することにあります。この過程への学生の取り組みを評価に取り入れるには現在の評価方法は十分ではなく、この点が今後の課題の一つであるといえます。


4.おわりに

 まだまだ十分ではありませんが、大学の化学の専門教育の中で学生が主体的に「学ぶ」場を、ICTを活用して作り出す試みの現状を紹介しました。「学ぶ」場を用意したといっても、肝心の学生がどれだけ活用しているかの検証ができているわけではありません。最近強調されている予習・復習のための課題をこなすために時間を割かれているのが実情のようです。
 学習到達目標を設定し、効果的な教授方法を導入し、学生の到達度を評価することだけを考えれば、ほとんどの科目で、講義・問題演習・試験を組み合わせる方法がもっとも効果的です。ICTを有効に活用すればこれを効果的に実践できることは今や明らかです。しかし、これを繰り返すばかりでは、学生は単に与えられたものを身につけ、試験で求められたものをはき出すという受験勉強と同じ受動的な学習姿勢を、大学に入ってなお繰り返すだけになってしまいます。卒業後の長い社会生活でもっと大切な、自ら主体的に学ぶ姿勢(自主性)、目標達成のために協力することの効果(協調性)、そして独自性の尊重を、課外活動に頼るのではなく、学生の本分である学習活動を通して身につけることも忘れてはならない教育目標ではないかと思います。科目の性格にもよりますが、ICTを適切に活用すれば、授業時間と到達度に多大な負担と犠牲を強いることなく、このためにより良い環境を学生に提供することができると信じて、少しずつ授業改善に取り組みたいと考えています。

参考文献および関連URL
[1] http://ce.t.soka.ac.jp/yuki/
[2] 伊藤眞人他: 平成16年度大学情報化全国大会. p. 158 , 2004.
[3] http://ce.t.soka.ac.jp/report/
[4] 高木正則他: 平成21年度全国大学IT活用教育方法研究発表会予稿集. p. 78, 2009.
[5] http://pr.jst.go.jp/Jdream2/
[6] 現在は富士通のCAChe(http://software.fujitsu.com/jp/scigress/)を使用。

【目次へ戻る】 【バックナンバー 一覧へ戻る】