特集 クラウドを考える

教育・研究機関におけるクラウド・コンピューティング環境の活用

安藤 弘隆(日本アイ・ビー・エム 株式会社 公共事業)
神田 博之(日本アイ・ビー・エム 株式会社 クラウド・コンピューティング事業)

1.はじめに

 IBMでは2008年より、テクノロジーを活用して地球上の非効率や無駄をなくし、より豊かで持続可能な世界を実現する“Smarter PlanetTM(地球を、より賢く、よりスマートに。)”というコーポレート・ビジョンを提唱しています。クラウド・コンピューティングはSmarter Planetの実現を支えるITインフラの中核として位置づけらており、教育・研究機関における活用を"Smarter Education"という標語のもとに推進しており、本特集では、特に大学で活用する場合の留意点と事例について述べます。

2.クラウド・コンピューティングについての考え方

 クラウド・コンピューティングにはいろいろな定義がありますが、以下の3種類の技術を、重要な要素と捉えています。

仮想化
  サーバーの物理資源を仮想化し、有効活用を実現します。複数のマシンを1台のマシンのように逆に1台のマシンを複数のマシンのように使うことができ、物理的な制約を排除します。
標準化
  CPUやメモリー、ディスク容量などの資源構成をあらかじめカタログ化し、ユーザーの利便性、IT部門の管理性を向上させます。
自動化
  カタログ化されたプロセスによりサービスの要求から提供までを自動化し、スピードアップと同時に省力化を図ります。サーバーの構成やミドルウェア設定など、人手を介さずに自動的に構成を再編 したり、アプリケーションをインストールしたりすることができます。

 この3要素がそろって初めて、コスト削減と利便性向上が実現でき、「作る」システムから「使う」クラウド・コンピューティング・システムへ転換できると考えています。
 クラウド・コンピューティングには、図1のように様々な価値があります。セキュリティーに関しては、クラウドの弱点だと思われがちです。しかし適切に構築すれば、クラウド化することで専門家による強固なセキュリティー・インフラを構築することができ、セキュリティー・ガバナンスの向上が図れます。
 また、クラウド・コンピューティングの運用形態には、学内で構築するプライベート・クラウドと共同利用するパブリック・クラウドの2通りがあります。この二つは二者択一ではなく両方の良いところを活かし、業務やデータにより柔軟に運用形態を整備するハイブリッド・クラウドという考え方もあり、広範囲の業務をクラウド化することが可能になります。

図1 クラウド・コンピューティングの五つの価値
図1 クラウド・コンピューティングの五つの価値

3.教育・研究機関におけるクラウド化の考慮点

 大学などの教育・研究機関には、民間企業とは異なる課題が存在します。まず挙げられるのが、IT企画要員の不足です。小規模な大学、文系の大学などを中心にIT要員が十分でない機関もあります。さらに運用・保守作業も負担となっています。例えば大学の研究室でサーバーを調達すると、研究室の限られたスタッフで、バックアップ、ソフトウェアのバージョン管理といった煩雑な作業をすることが多く、大きな負担となります。高額な初期費用と運用費用も課題です。買い取りのためのまとまった予算を計上し、稟議を通すのは時間も手間もかかりますし、助成金を利用する場合には、光熱費を含めた運用・保守費用の捻出も必要です。
 これらの課題の多くが、クラウド・コンピューティングの採用によって解決できますが、その一方で「クラウド化に興味はあるがセキュリティーが心配」という声を多く聞きます。では、具体的にどのような対策が取られているのでしょうか。
 図2にあるように、クラウド・コンピューティングのセキュリティー課題に対してIBMセキュリティー・フレームワークという対応策の検討指針を提供しています。アイデンティティー管理、データ保護・情報管理、アプリケーション・プロセス、ネットワーク・サーバー・端末、物理インフラストラクチャーの五つのカテゴリーに分け、認証、アクセス制御、暗号化から物理的な入退室管理に至るまでの対策が可能と考えます。

図2 クラウド・コンピューティング導入における課題と対応策
図2 クラウド・コンピューティング導入における課題と対応策

4.教育・研究機関におけるクラウド・コンピューティング適用事例

 それでは、大学において実際にクラウド・コンピューティングを導入して成果を挙げている事例を紹介しましょう(図3)。まずは「教育」そのものの分野です。クラウド化により、情報技術分野の教育では従来のプログラミング実習主体の教育に加え、学生の付加価値を高める世界水準の授業を提供しています。最新あるいは社会で求められるコンピューター技術を習得し、企業でも浸透しつつあるクラウド環境に学生時代から慣れることで、社会で求められる人材の育成に貢献します。
 東京工科大学では、学生がクラウド・コンピューティング環境構築の「企画立案」、「導入構築」「プロジェクト管理」、「構築後のアプリケーションの検討」までも含めたトータルな演習をProject Based Learningにて学習しています。構築されたクラウド環境は L-cloudの名称で次年度以降のPBLでの学習環境として引き続いて活用されています。
 九州大学では、次世代分散コンピューティング環境の教育および研究や検証を行うため、分散コンピューティング用のHadoop環境をオン・デマンドに構築するクラウド・コンピューティング環境を構築しました。先進的な分散処理プログラミング技術の習得や検証が効率的に可能となり、クラウド・マネージメント・サービスによりコンピューティング資源を集中管理できるようになっています。また学生に実験の場を提供するなど、教員や学生は、教育・研究の目的や形態に応じ柔軟に分散コンピューティング環境を再構成し、活用することができるようになりました。
 次に「研究」の分野です。理系の研究室などでは一時的に高スペックのコンピューター資源を必要とすることがあります。従来は学内の限られた資源で計算するために、式を変更したり対象を制限したりして対応するか、レンタルなどの煩雑な手続きを取らざるを得ませんでした。必要なときに必要な分のコンピューター資源を利用し、その分だけの費用を負担するクラウド・コンピューティングの利用により、コスト低減と研究効率向上の両立が可能です。

図3 大学の課題解消におけるクラウド・コンピューティングの活用
図3 大学の課題解消におけるクラウド・コンピューティングの活用

 早稲田大学理工学術院山名研究室の研究対象は、Hadoopを活用した大規模データの分散アプリケーションでした。この研究のために当初は物理サーバーを112コア、本格解析時は一定期間だけ研究に必要な896コアに増強して利用しています。コンピューター資源の増強時にも、ハードウェア環境構築やOS・ツール類の導入の手間がなく、必要な環境を必要な期間だけ利用することが可能な環境は、大規模な計算環境が必要で、さらに物理的なパフォーマンスも優先したい場合、最適なクラウド・コンピューティングのサービスです。同研究室では、2008年から本年度まで継続して当サービスを利用しています。
 次に挙げるのは「学生教員サービス」の分野です。全教職員、全学生にメール・アカウントを発行し、仮想空間にコミュニティー・スペースを設ける大学が増えていますが、その構築、運用作業と障害対策は大きな負担となります。大学では特にメールサービスについてクラウド・コンピューティングサービスを利用する例が増えていますが、それだけでなくコラボレーション機能をパブリック・クラウド環境で提供するサービスを利用することで、Web会議やファイル共有、スケジュール管理やメンバー検索など、学内コラボレーションを促進する事ができます。
 「事務」の分野における効果的なクラウド化の適用事例を紹介しましょう。サーバーを自学で構築する従来の運用形式の場合、利用が集中する、例えば4月の履修登録処理に対応する能力を準備する必要があります。しかし、夏季休暇期間中などほとんど利用がない状態では、サーバー能力の無駄が発生します。
 工学院大学では、同校の事務系基幹システムを日本IBMのパブリック・クラウド・サービスを活用して刷新し、利用率の無駄を解消しました。年度内の業務のピークに合わせてサーバー処理能力を購入できる他、データ量の増加にも柔軟に対応できます。工学院大学の詳しい事例は本誌Vol.18 No.2 の71ページ[1]にも掲載されています。
 「学校経営」という観点からもクラウドは効果的です。数年ごとのシステム更改の手間を軽減し、経費のピークを平準化すことができます。デスクトップ・クラウド・ソリューションは、ユーザーが使うクライアント端末に必要最小限の処理をさせ、ほとんどの処理をサーバー側のクラウド環境に集中させることにより、セキュリティーの向上、TCO削減を実現するソリューションです。
 海外の実用事例もいくつか紹介しましょう。米国ノースカロライナ州立大学では、デスクトップ・クラウドを用いて大学内だけでなく州内のコミュニティーカレッジ、公立学校に、教育用ソフトウェアのサービス提供を行っています。公立学校の古いPCでもネットワークを介していつでも最新ソフトが利用可能となり、同時にソフトウェア・ライセンス費用を75%削減することができました。しかも、約30,000ユーザーに対してわずか2名で運用管理を行っています。
 米国ケンタッキー州パイク郡の公立学校でも、不揃いの6,000台のパソコンを有効活用したデスクトップ・クラウドが導入されました。郡統一定着度テストがすべての学校で平等に実施できるようになった他、運用が単純化・省力化され、ITサポート費用が削減しました。同じシステムを自前で構築する場合と比較して64%のコスト削減効果があったと試算しています。

 このように既に国内外で多くの教育・研究機関が、クラウド・コンピューティングを採用することにより、効率化、経費削減を実現しています。

IBM, Smarter Planet は、世界の多くの国で登録されたInternational Business Machines Corporationの商標です。

関連URL
[1] http://www.juce.jp/LINK/journal/0904/06_07.html


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