人材育成のための授業紹介●哲学

哲学の授業とICT
〜理工系の学生のための対話術入門〜

村上 学(東京理科大学 基礎工学部准教授)

1.理工系の学生が学ぶ「哲学」(授業の位置づけと概要)

(1)「哲学」がICTと結びつく?どこで?

 科目「哲学」は、一方では「哲学史」の知識として先人の考えを学ぶ場ですから、クイズ形式のWebページや授業の録画による復習といったICTの仕掛けで一定の効果を上げることが可能でしょう。しかし他方、「デカルト」なら「我思う。故に我あり」と答えるといった類いの哲学史の知識や哲学理論(これを便宜的に「哲学T」とします)とは区別される哲学的活動(以下「哲学P」と呼びます)があり、そこにICTを導入するのは全国的にも珍しいかもしれません[1]。東京理科大学基礎工学部長万部キャンパスにおける「哲学P」に関わる授業とは、少人数のゼミ形式で実施される討論クラス「哲学的対話術」(前期)と「倫理問題のための討論入門」(後期)です。以下、この授業の目的や設置背景、そしてICTの利用を説明していきます。

(2)求められる人材

 さて、「哲学T」と「哲学P」が、哲学を専門としない学生(以下、ここでは理工系の学生に限定しますが、人文社会系一般の学生もほとんど事情は変わらないと思われます)にとって、どちらも相即的な仕方で学ぶべきであるという点は、詳述する暇がありません。ここでは、哲学の本体が「観想」と「対話」の両方の方法を併せ持つことを指摘するに留めます。
 理工系を専門とする学生に哲学を学ばせる意義は、他の教養科目と同様、大学が育成する人材像と連動します。「人材」というのはあまり響きの良い言葉ではありませんが、現在の教育を語る上で必須の用語ですので、そのまま用いることにしましょう。高等教育機関としての大学でも、単に高度な専門知識の教授という役割を越えて「人材育成」が強調されるようになりました。では、そうした社会の要求に大学はどのように応えるのか。その一つの応え方が、育成する「人材像」の提示です。
 東京理科大学基礎工学部の長万部キャンパスでは学部が求める人材像「高度な専門知識を備えつつ、集団の中で自らの役割を果たせる個の育成」を受けて、その実現のため全寮制という特徴を活かしつつ、北海道の自然体験、地域との交流、課外活動の充実等を図ってきました[2]。また、正課においては、学科をまたぎ「グループディスカッション」を求める科目および人文社会系の少人数ゼミクラスを延べ人数で1学年全員(約320名)が受講できる数を用意しました(文部科学省「特色GP(平成15年度)」)。さらに、人材像を絞り込み、「ピア・ガイド(peer guide)」「コミュニケーション能力」「社会性」「倫理観」「共感できる感性」を高い専門性と同等なものとして身につけさせるため、それらの教育の効率化をICTの導入によって目指しました(文部科学省「現代GP(平成18年度)」)。ICTを導入した哲学系の科目も、この少人数ゼミクラスの一つです。
 こうした人材像は、現在の研究や開発、さらには企業でのプロジェクトがチームで実施されるという点から導かれています。チームで働くとは、それぞれが得意分野(専門分野)を持っている個人が集まり、それぞれの特徴を出し合うことで目的を高いレベルで問題解決を行うということです。このチームでの活動の際には、相手の立場や考え、能力を尊重したり、時には引き出すなどして、目的へと一緒に向かう「学際」的態度や力が必要です(ピア・ガイド)。また、必須のツールは「社会性」に裏打ちされた「コミュニケーション能力」ですし、最先端の技術に関わる以上、個人として高い「倫理観」を備えている必要があります。その倫理観も、チームの人間やさらにその外の共同体の人々の側に立った「共感」に基づくものでなければなりません。 そして、この人材像を涵養する大きな柱となるのが「哲学P」の学びであると我々は考えます。

2.学生のいる場所(授業科目の設定とICT導入の背景)

 「哲学P」に関わるスキルの大学1年生の平均的な初期値は、どのようなものでしょうか。彼らが理工系の専門家としての人材像に近づく階梯を上がっていくために、どこから始めるのかを見定めなければなりません。

(i) 対話力

「ゆとり教育」等で発表の機会が増えたようで、発言自体に抵抗がある学生は減った。しかし、一方的に発言はできても、相手の話を聞いて、その話に対して意見を述べたり質問したりする力が足りない。

(ii) 論理性

直感的に好き嫌いを言えても、それがなぜなのかを説明できない学生が多い。証拠(事実)や前提となる信念と、そこから導き出される(推論される)結論との関係を意識していない。

(iii) 倫理性、道徳観、社会性

ある事象に対して、それが社会的にどのような道徳的ないしは法的問題になるのか、その方面に関る知識や関心が低い。また、自分が信じる「善悪」が、どのような前提(倫理観)に基づくのか反省した経験に乏しい。

 ここから出発し、必要なスキルを身に付けるためには、次のように二本立てで授業を行う必要があると考えられます。

イ) 論理や倫理、法律や社会、あるいは歴史についての知識を教授する授業

ロ) ディスカッションを実践する授業

 先述のように「哲学T」を(イ)、「哲学P」を(ロ)に割り振ることができます。以下、(ロ)としての「哲学P」に属する授業について、具体的な狙いやICTの利用を絡めながら次の章で説明していきます。

3.「哲学P」を効果的に学ぶ道具立て(ICTの利用)

 問題解決を進める何らかの知としての「哲学P」の基本はディスカッションです。ディスカッションを通じて問題解決を図るためには、発言するだけでなく、その発言の表現法(言い換えの可能性)、発言内容の理解、個々の発言の議論全体における効果や位置づけ、その発言への応答の仕方などを学ばなければなりません。特に、他人の意見を理解していく過程で、自分の意見の相対化や論理構成の理解などが期待できますし、表現法にまで踏み込んだ指導で、非形式論理のレベルでも論理性について実践的な訓練が可能です。また、応答や質問の可能性の追求は、議論全体を俯瞰的に眺めることを要求しますし、それによって共同作業全体の目的と現在行われている議論の相関性に意識的になることができます。
 こうした訓練が組み合わさることで、活動としての「哲学P」の経験値を上げることができると考えます。そして、経験値をより効率的に上げるためにICTを導入します。
 授業内でのディスカッションは、次のような流れになります。

1解くべき問題の理解(提題)

2意見交換(ディスカッション本体)

3まとめ(時間切れの場合の「暫定的まとめ」もあり)。

 本キャンパスではそれぞれの段階にICTの仕組みを取り入れています。13の段階については紙幅の都合で詳細を省きます(前掲『報告書』参照)。要は教室外=Webページ上で議論の準備やまとめを実施します(ブレンデッド・ラーニング)。
 2について、教室では全員がノートパソコンを開き、必要な操作をしてWebブラウザからテレビ会議システム「nice 2 meet you(理科大カスタマイズ版:V-cube社)」(以下「NtMY2」と表記)のページにアクセスします。NtMY2を使って授業中に学生ができることは以下の通りです(図)。

図 テレビ会議システムの画面例
図 テレビ会議システムの画面例

(A)ホワイトボードに書き込みや記録、資料の提示をして全員に示す

(B)チャット機能でテキストによるコメントをの全員に配信する

(C)発言権利を得た者の顔をモニター上で見ることができる

 さらに(A)〜(C)すべての中身と、参加者それぞれの顔(表情)と発言(音声)が記録されます(D)。
 議論のスキルをあげるための効果的な方法は何か。それは経験値を上げることです。そして、単なる体験ではなく有意義な経験にするためには、体験したことを振り返って反省することが必要です。NtMY2では、 授業が終了すると、(D)として、ログとビデオファイルが生成されています[3]。 そして、そのログとビデオファイルを学生はWebブラウザ上で振り返ることができます。また、授業で前回のディスカッションを振り返り、個々の発言内容の検証や論理構成、全体の議論の妥当性を検証します。こうしたビデオファイルでの振り返りは、ちょうど、スポーツ選手が自分の姿をビデオに撮影して、後に検証するやり方と同じです。
 以上の仕組みによって、議論のスキル向上(先の学生に不足する要素(i)〜(iii)の補完)を進められるはずです。実際、授業内アンケートでは、参加学生(16名)の学生全員が、ディスカッションスキルの向上という点で、このシステムがある方がないことに比べて「より良い」「まあ良い」と答えています(2009年)。

4.「クロスディシプリン」という考え方(展望)

 「哲学P」に類する訓練を進めていくと、学生達はある時点でどうしても議論を深められないことに気が付きます。意見の前提となる情報の不足だけでなく、基本的な信念となる考え方(その多くが「哲学的理論」、たとえば「公平・公正(=正義)」を「善」に優先させる正義理論等)の理解の不足に気がつくのです。そのとき、ようやく、退屈に思えた「哲学T」に意味が見出されるようになるはずです。その関心にも応じられるように、今年度後期から講義「科学者のための倫理学入門」においてはクリッカー[4]を使用して、参加者の関心や思想傾向に応じた授業展開を試みて、自らを見直す哲学的活動に繋げています。このように、今後も様々な機会に人材像であげられた要素を学ぶ機会を、有機的に組織していかなければならないと考えています。
 結局、哲学Pは、理工系の活動(研究や開発)における、学科や分野をまたがり、それらを結びつけるという行為に繋がります。長万部キャンパスではこれを「クロスディシプリン」と呼び、次は「書く」行為にもICTを使った「哲学的」授業の試みを広げる予定です。それによって、先の人材像に近づく学びの環境をより良いものにしていくつもりです。

[1] 文部科学省「現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)」を機に整備。システムの詳細やプロジェクトの全貌は『報告書 全人的教養教育の新たな展開』(東京理科大学、2009)に詳しい。興味のある方は東京理科大学広報課、また、基礎工学部までお問い合わせ下さい。
[2] 学寮で学生がどのような経験をし学んでいくかについては、村上学『東京理科大学寮物語』(ダイヤモンド社、2011)を参照。
[3] これまでの授業録画システムとの違いは、ファイル生成がサーバ上で順次行われている点で、テープからデータをパソコンに取り込んでWeb上にアップするという一連の手間を省くことができる点です。 さらに、担当教員は、学生の議論の見直しをサポートするために、着目すべき、あるいは教材として使えそうな、特徴ある発言があったとき等に「タイムスタンプ」を押してビデオファイルに「印」を付けることができます。また、教員はビデオファイルを切り出して教材を作ることができます(コンピテンシーディクショナリー)。
[4] 各自が持った機器の番号ボタンを押すと、その番号がパソコンで集計され即時的にグラフや表にして表示できるシステム。長万部キャンパスでは1学年全員(約320名)全員に貸与されて授業やイベントで使用されています。

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