人材育成のための授業紹介●哲学

哲学教育におけるICTの活用

中山 剛史(玉川大学 文学部人間学科准教授)

1.はじめに

 玉川大学では、各学部学科の各授業ごとに学生に向けた様々なインフォメーションを伝達するツールとして、数年前からBlackboardの活用が開始され、今やほとんどの授業で定着していると言えるでしょう。ここでは大学における「哲学教育」の意義と目的を踏まえた上で、「哲学教育」におけるICT(情報通信技術:Information and Communication Technology)の活用について紹介していきたいと思います。

2.「哲学教育」の教育的意義と目的

 現代のような科学技術の時代に「哲学」を学ぶ意義や目的はどこにあるのでしょうか。「科学」および「科学技術」が高度な進化を遂げた現代においては、「哲学」は「宗教」と同様に、時代遅れで役に立たない学問という印象を抱かれる場合もあるかもしれません。しかし視点を変えてみれば、こうした時代だからこそ、むしろ「哲学」教育の必要性はますます高まっていると言えるでしょう。
 玉川大学の講堂(視聴覚センター)の正面に、“No vision, the people perish”(ビジョンがなければ民滅ぶ)という文字が刻まれています。これはもともと旧訳聖書の箴言の中で用いられていた言葉ですが、これを混迷する現代社会の文脈に読み換えてみると、確固とした「ビジョン」を持たなければ、個人としても、集団としても、また国家としても私たちは滅び去ってしまいかねない、そうした危機に瀕しているということができるでしょう。「哲学」とは、広い意味で、まさにそうした私たち人間の「ビジョン」に深くかかわるものであり、さらに敷衍して言うならば、私たちの人生観・世界観・価値観などの根幹にかかわる学問であると言うことができるでしょう。それに加えて、「哲学」は日常の常識的なものの見方や、巷に溢れている様々な情報や知識などを根本から疑い、批判的に吟味するという「批判精神」を滋養するものでもあります。私が担当している「哲学」という科目では、そうした「哲学」の意義と目的について、様々な学部学科の学生に対して、〈対話法〉を交えて授業を行っています。下記においては、こうした「哲学教育」の意義と目的を踏まえつつ、また「哲学教育」におけるICTの活用という点も顧慮しつつ、私の属する文学部人間学科の学科科目の一つである「人間と思想」の授業での事例を紹介したいと思います。

3.「人間と思想」の場合 ――私自身の事例――

 ここで紹介するのは、2010年秋学期に私が担当した「人間と思想」という授業の事例です。
 まず、私が所属する玉川大学文学部人間学科のコンセプトから見た「人間と思想」という科目の位置づけについて簡単に触れておく必要があるでしょう。人間学科が追求するのは、「人間とは何か?」という最も根本的な「人間」への問いであり、この問いを哲学・倫理・心理・教育・社会という多角的な視点から探求しようとすることが人間学科のミッションにほかなりません。思想や倫理といった哲学系の科目は、こうした「人間とは何か?」という問いへの探究において重要な一翼を担っていると言えるでしょう。(参考までに、下記にこうした人間学科のコンセプトを示したパワーポイントの画面を提示します。)

図 人間学科のコンセプトを示したパワーポイント画面
図 人間学科のコンセプトを示したパワーポイント画面

  こうした人間学科のカリキュラムの中で、「人間と思想」の授業は、「人間と倫理」、「人間と心理」、「人間と教育」、「人間と社会」、「人間学入門」などと並んで、1年生の必修科目の一つとなっています。ここでは、「哲学教育」におけるICTの活用という観点から、2010年秋学期に私が担当した「人間と思想」の授業のケースを取り上げたいと思います。
 「人間と思想」は、上記のように1年生の必修科目であり、通常ならば50名余の1年生が受講する科目なのですが、このとき私が担当したのは、約10名ほどの再履修の2年生のクラスでした。
 この授業で直面したのは、まずは学習意欲の低い学生たちのやる気をどのように高めるのか、という課題でした。私が心がけたのは、一つは「哲学教育」にパワーポイントを導入して、どのようにして見やすくてわかりやすく、また興味を喚起させるような授業を展開できるかという点でした。一方向的な授業にならないように、パワーポイントを用いて〈問答形式〉の授業展開を行ったり、画像や映像などの視覚に訴えかける要素もできるだけ取り入れて関心を引きつけるなど、様々な工夫を試みました。例えば、「人間とは何か?」という問いへの導入として、このテーマに興味関心を惹きつけるために、フランス象徴主義の画家ギュスターヴ・モローの「旅人オイディプス」というタイトルの謎めいた絵画をパワーポイントで提示して、この絵が何を象徴しているかを各自に考えさせ、各自の解釈を発表させたりしました。
 私が心がけたもう一つの点は、Blackboardを効果的に活用して、受講生たちの学習意欲を高め、学習習慣を身につけさせることでした。前述のように、この授業の受講生は全員再履修の学生ということもあり、「学習意欲が低い」とか、「授業に積極的に参加しない」等々の問題点を抱えていました。
 第2回目の授業からは、Blackboardをフルに活用し、あらかじめ次回の学習課題をBlackboardに掲示し、学生に自分なりの答えを書かせて、毎時間提出させる、ということを励行しました。たとえば、その課題とは次のようなものです。

次回の授業(11/16)の課題

1.「人間とは○○である」という定義を自分なりに三つ考えてくること。さらに、それぞれの定義の「説明」および「反論」も書いてくること。

2.前回配布したプリントの「『人間』の定義」という部分の1の定義(プラトン「羽のない、二本足の〜」)の問題点がどこにあるか、考えてくること。

3.「人間のさまざまな定義」の25について、それぞれ(1)誰の言葉か、(2)どういう意味か、(3)意義と限界はどこにあるかを考えてくること。

次回の授業(12/7)の課題

1.今まで様々な人間の定義を学んできたが、そもそも人間は定義しうるのだろうか? もし定義しえないとしたら、それはなぜなのか?

2.前回のプリントに、「人間はまだ確定されていない動物である」というニーチェの言葉が書かれているが、これはどういう意味か?

3.ポルトマンの「人間は一年早産の哺乳動物である」という言葉が書かれているが、1これはどういう意味か? 2また、この生物学的条件のゆえに、人間はどのような固有のチャンスを獲得したのか?

4.ポルトマンの見方によると、動物と人間との違いはどのような点にあるのか?

5.フランクルによると人間はどのような存在であると言えるのか? また、そのことのもつ意義は何か?

6.今まで学んできた「人間とは何か?」という問いは、はたして人間を問うのに本当にふさわしい問いなのだろうか? もしそうでないとすると、どのような問いが適切なのか? 各自考えてくること。

 レポートや試験とともに、こうした毎回の課題も「評価」の中に組み入れることを初回の授業のときに伝達しておいたので、ほぼ全員が毎回課題を提出するようになりました。毎回の授業がBlackboardに掲載された課題に答えてくることを前提に展開されていたので、授業中の〈問答法〉やグループワークなども比較的円滑に行うことができるようになり、全員が何らかの形で発言し、積極的に授業に参加することが促進されたように思います。こうした授業課題を課すことによって、毎回授業に臨む際の学生の学習意欲や問題意識も高めることができたと言ってよいでしょう。もっとも、これは「顔の見える」少人数の授業であったという事情も幸いしたと言えるでしょう。
 このように、Blackboardを通じて、あらかじめ課題を提示し、それについて次の授業までに考えたり、調べたりして課題について答えてくるという授業形式は、「哲学教育」という観点からみても、

1課題の「問い」について、授業で配布された資料などをもとにじっくり考えてくることができる

2それを自分なりの文章で表現することができる

3それをもとにグループワークや〈問答法〉を活性化することができる

 などのメリットがあると言えるでしょう。

 その他、Blackboardでは、中間・期末レポートのテーマや期限などを提示したり、参考文献や配布資料などを提示したりしてレポート作成や試験準備の際の便宜を図っており、また授業で使用したパワーポイントの提示を行うなどして、授業の予習・復習のための便宜も図っています。

4.おわりに

 以上、私の授業の事例をもとに、Black boardやパワーポイントといったICTを用いた「哲学教育」の例について述べてきましたが、特に

1授業の予習・復習を習慣づける

2学生の学習意欲を高める

3授業への積極的な参加を促す

 などの点で教育的効果が見られたと言えるでしょう。もちろん、これらのことは他の分野の授業においても当てはまることでしょうが、「哲学教育」という点に特化して見ると、哲学的なテキストやその引用を熟読し、熟考するという哲学的な「学び」のモチベーションを上げるためにも、ICTを用いた「問いかけ」が一定の効果を持つ、と言えるでしょう。
 今後の課題としては、例えば、ICTを用いて課題レポートの添削ができるようにするとか、掲示板のようなツールで授業のテーマについての自由な意見交換や討論ができるようにする、といった双方向的な「学び」や「思索」をより一層拡充させていくことなどが挙げられるでしょう。
 こうした「双方向的な学び」ということをもう少し具体的に言うと、例えば、1)ポートフォリオなどを含む学習支援システムなどを用いることによって、一人ひとりの学生の「学びのプロセス」を記録し、振り返り学習を行うことや、2)対面またはネットなどを通じて卒業生や学内の他の教員、あるいは他大学の専門家との意見交換やコミュニケーションを行うことによって、「学び」の動機づけを高め、既成の枠を超えた多様な教育を実施すること、などが未来に向けた課題として挙げられるのではないでしょうか。


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