巻頭言

「したたかな試行錯誤」の時代

村上 宏之(松山大学・学長)

 情報通信技術(ICT)の大学教育への活用の発展過程は、新たな段階にある。それは、大規模な投資によって情報設備を全学的に整備していく段階から、教員が個々に創意工夫していく段階への変化である。「真実」・「実用」・「忠実」からなる校訓「三実」を掲げ、地域における「高等教育」と「知」の拠点として、地域への有為な人材の輩出を使命としている松山大学も、このような変化に対応しているところである。
 変化の第一は、情報設備投資の一応の「完成」である。20年も昔は、情報処理系等の一部を除き、文系学部の講義や演習教室における情報機器利用は、オーディオ設備による教材ビデオの視聴等が行われる程度であった。また、10年ほどの昔は、学生は大学備え付けPCから有線でインターネットに接続していた。今日では、教員だけではなく学生も教室でノート型PCやタブレットから無線で接続し、スクリーン等を用いて講義や演習を行うことは全く珍しいことではなくなっている。各自のノート型PCやタブレットからWi-Fiを通じて学内外の情報資源にアクセスすること、いわゆる「BYOD」は、学生にとって必要最低限の環境といえる。このようなインフラの構築は、ほとんどの大学において完了済みのタスクであろう。もちろん、情報技術が日進月歩する中、その設備やソフトウェアの更新や再構築のために、大学は多額の費用を投じ続けなければならない。その意味で、情報投資に「終わり」はない。しかし、「最新鋭の情報設備」などが他大学との差をつける優位性として学生の関心を引き付ける時代は、とうの昔に「終わり」を告げている。
 第二は、ソフトウェア面における情報サービスの高度化とそれに伴う陳腐化である。大学教育における情報システムの要の一つに、データやファイルの共有といった双方向的な情報環境の提供がある。それは、日常的な採点や添削活動、さらに「アクティブ・ラーニング」においても特に有用なものである。ICT活用の黎明期には、このような情報環境の構築にも、やはり大規模なまたは学部規模の比較的大掛かりな取り組みが必要であった。例えば、自前のサーバを学内に設置し、セキュリティの設計を含め、管理を行わなければならなかった。また、相当にカスタマイズされた、いわばオーダーメイドのソフトウェアによって、教育系情報システムが運用されていた。セキュリティの関係上、学内インフラは依然として必要であろう。しかし、このような教員と学生との双方向的な情報共有環境は、既に陳腐化してしまっている。クラウドの普及に伴いサーバ管理はより容易となり、オープンソースのMoodleを基盤とした学習管理システムの市販商品も充実しつつある。さらには、フリーアカウントによって、教員が学生との双方向的なファイル共有環境を容易に構築することができる。極論すれば、今日のICTの大学教育への活用のフロンティアは、ソフトウェアやハードウェアによって「何ができるか」ではなく、個々の教員が「何をしたいか」にある。
 今日のICT活用による大学教育に重要なことは、学校法人や学長のトップダウン型リーダーシップによって一律の教育サービスや教育手法、そのための設備を押し付けることではなく、むしろ各教員が周囲の情報環境を理解し、それを現場の教育への活用に結び付け、その経験を共有するという、いわばボトムアップ型の取り組みをより一層促すことである。そのためには、教学組織と法人理事および学長との協議・対話、教育現場におけるFD活動の推進、またICT活用については本誌を始め他大学との交流を通した情報収集と学内での周知徹底が鍵となるであろう。最新鋭モデルの大規模投資を一度に行うことを決断する「力強さ」ではなく、汎用モデルに関する運用方法の試行錯誤を続ける「したたかさ」が肝要であると考える。


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