巻頭言

女性が新しい生き方を見つけられる大学へ

島 一路(福岡女学院大学長)

 “女性があたらしい生き方を”見つけられるようにと、キリスト教のアメリカ人女性宣教師ジェニー・ギールが1885年(明治18年)に福岡の天神で「英和女学校」を始めました。その後「福岡女学校」に改名、平尾校舎に移転し、そこで戦前、戦中、戦後の激動の時代を過ごします。その時の学院長は第11代徳永淑院長。軍部からのキリスト教教育に対する圧力に屈することなく、そして1945年6月の福岡大空襲で校舎の大半を消失しました。失意の中、集まってきた生徒、教職員を前に、“立ち上がりましょう、立ち上がりましょう、私どもの任務は今からです”と、焼け跡の校庭に凛として立ち、希望の光を指し示しました。
 戦後“福岡女学院”と改称、将来計画に徳永淑院長の願いであった、大学までの総合学園設立をめざし、現在の福岡市南区曰佐に12万平米の校地が求められます。1955年に幼稚園開園、1960年に中高が移転、1964年に短期大学英語科・家政科開設、1984年短期大学国文科開設、1990年大学人文学部日本文化学科・英米文化学科開設(小郡キャンパス)、1999年大学人間関係学部人間関係学科・人間発達学科開設(曰佐キャンパス)、2003年大学院人文科学研究科が開設されます。現在、大学は曰佐キャンパスに統合され、人文学部現代文化学科・言語芸術学科・メディア・コミュニケーション学科、人間関係学部心理学科・子ども発達学科、短期大学部英語科、そして2014年に国際キャリア学部国際英語学科・国際キャリア学科が加わり、4学部8学科となります。2008年には古賀市にある国立病院機構福岡東医療センターからの要請を受け、福岡女学院看護大学が開設されています。現在、幼稚園、中学高校、短期大学、大学、看護大学、大学院までの園児・生徒・学生数約4,000人、教職員約600人を擁する総合学園として、発展を遂げてきました。
 これから激しくまた複雑に変化する現代社会において、あらためて創設者ジェニー・ギールの「女性が新しい生き方を見つけられる大学」をヴィジョンとし、学院聖句、聖書のイエス・キリストの言葉“私はぶどうの木、あなた方はその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ(ヨハネによる福音書15章5節)”から「つながる」をキーワードに、神の愛とつながり、友とつながり、社会とつながり、未来とつながる、社会のリーダーとして活躍する女性の育成のために、豊かな教養、国際感覚、実践力を育む教育の歩みを進めているところです。
 情報教育環境についても、本学では早くから多くの取り組みを行っています。2013年度竣工の125周年記念館の建設に合わせる形で、PCルーム・CALL教室など情報端末を備えた教室は「情報フロア」と呼ぶフロアに集約され、端末台数およそ400台を設置し、そのうちの約320台をネットブートシステムにより集中管理しています。また「情報フロア」内の各教室はスライディングウォールを備え、AV機器・授業支援システムにも柔軟性を持たせることで、PCルームやCALL教室の分離統合運用を実現しています。教室運用のスタイルに柔軟性を持たせることで、授業以外での学生の自習利用などにおいて、より効率的な運用を実現しました。
 またキャンパス内の無線LAN環境についても、敷地内ほぼ全エリアをカバーしています。持込みの端末を無線LANに接続し場所にとらわれずに教育システムを活用できることが、学習環境における利便性や向上や多様性への対応に寄与しています。
 学内の学習環境とICT環境との連動という面から、2012年度に利用を開始した交通系ICカード型学生証を利用するオンデマンドプリントシステムを導入しており、「情報フロア」に設置されたプリンター・複合機は、どこからでも学生証をかざすだけで印刷物を取り出すことができます。無駄な印刷コストの削減や学生証を携帯する意識付けなどにも貢献しています。加えて図書館にはICカード型ロッカーも設置しております。
 今後も学習支援につながるICT環境整備を、計画的に実施する予定です。


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