特集 データサイエンスと教育

慶應SFCにおける未来創造のためのデータサイエンス教育

古谷 知之(慶應義塾大学 総合政策学部教授)

植原 啓介(慶應義塾大学 環境情報学部准教授)

1.はじめに

 慶應義塾大学総合政策学部・環境情報学部(以下、SFC)では、1990年の開設当初から、文理融合・学際的研究のためのキャンパスとして、外国語・情報技術・ウェルネスと並んで、数理・統計科目の習得を重要視してきました。ほぼ4〜5年間隔でカリキュラムが改定されるなかで、ナレッジスキル科目、データサイエンス科目など名称の変遷を見るものの、データサイエンス関連科目は研究会(ゼミ)でのプロジェクト中心型の学修に必須の科目として位置づけられています。
 また、社会の問題を的確に認識し、解決していくためにはデータサイエンスが不可欠であるとの認識の下、データビジネス創造ラボを設立し、産学連携でSFCの学生のみならず、広くデータサイエンス人材の育成に取り組んでいます。
 本稿では、SFCにおけるデータサイエンス人材の育成について、SFCのデータサイエンス関連カリキュラムとデータビジネス創造ラボの活動について紹介します。

2.SFCにおけるデータサイエンス教育の目的

 SFCのデータサイエンス科目は、学部4年間において、実社会における「問題発見・問題解決」能力を涵養する上で、その「足腰を鍛える」ために必要な科目群の一つとして設置されています。データサイエンスに関するスキルを多くの学生に身につけてほしいと考えていますが、昨今指摘されているようなデータサイエンティストの育成のみに重点が置かれているわけではありません。卒業後に組織のリーダーやマネジメント層としてデータサイエンティストとともに社会課題解決に取り組むことができるようになってほしいと考えています。一般入試合格者は、入試科目が外国語(数学・情報)だったからといって数学や情報(外国語)ができなくてよいとは考えていません。学力より意欲を重視しているAO入試では、入学後に必要となる学力を自身で習得することが前提となっています。入試科目で外国語を選択した卒業生にも、データサイエンス分野で活躍する人も少なくありません。また学生時代には数学や統計学が苦手でも、卒業後に実社会でデータサイエンスのスキルが要求されたときには、SFCのカリキュラムを思い出して学び直す機会を得て貰えればと思います。入試で数学を必須科目としていない上、数学が不得手な学生が少なくないにもかかわらず、データサイエンス科目を必修化しているのは、このような意図からであります。

3.カリキュラム設計

 SFCにおけるデータサイエンス関連カリキュラムは、2014年の学則改定からは、基礎的な数理・統計科目を中心とした「データサイエンス1」と、より応用的な「データサイエンス2」から科目群を構成しています[1]。学生は入学後にデータサイエンス認定試験を受験し、一定の点数に満たない学生は「データサイエンス基礎」という履修単位数0の科目を履修することが要求されます。2014年度学則でデータサイエンスを履修した学生が、大学院進学後もデータサイエンスとマネジメントに関する科目を履修できるように、大学院政策・メディア研究科の修士課程ではデータサイエンスとマネジメントに関する科目群を履修した院生にサーティフィケートを与えるコースを設置しています。
 他学部・他大学と比較して、学生個人の関心に応じて高い自由度の下で履修授業を組み合わせることが可能なSFCでは、データサイエンス科目の必修化やデータサイエンス認定試験の導入には、当然のことながら学生の不満が高いです。しかしこれは、自由な科目履修が可能となるのは、一定の能力や学力を有する学生であるということを、学生自身が理解していないためだと考えられます。また上述したような入試のメッセージが、受験生に十分伝わっていない可能性もあるだろうし、受験生自身の質が低下しているとの見方もあります。
 データサイエンス科目の担当教員が統計学の専門家でないことも、特徴の一つであります。統計学自体の理解を深めることも大事だが、データサイエンスを実務や研究で使いこなすことの楽しさを知ってもらうには、このようなやり方の方がよいのかもしれません。学部予算の制約やキャンパス立地上などの面から、非常勤講師の確保が困難なことも事実であります。一部の非常勤講師は、常勤教員の研究費で雇用するなどしています。応用的な「データサイエンス2」の一部の科目については、博士院生やポスドクに非常勤講師をお願いしています。いまのところ、若手研究者の教育体験の場として有益に作用していると考えています。

4.SFCにおけるデータサイエンス教育の成果

 データサイエンスに関心を持ち、卒業後もデータサイエンス関連の職業に就きたい学生は、「就職」という面では非常に有利であるようです。データサイエンス科目を履修後に、研究会の履修とあわせてデータ分析系企業でのインターンシップやデータ分析コンテストなどで実践的な活動を行うことで、企業などの即戦力として活躍できる学生が少なからず育っています。データサイエンス関連の企業でも、通常は修士課程修了者しか採用しない企業が、SFC学部卒業予定者を採用する場合があります。データサイエンティストが売り手市場なのは喜ばしいことではあるが、そうした学生には就職後に企業と大学連携して大学院の学位取得を促す仕組みも必要ではないでしょうか。
 現時点では、SFCのデータサイエンス科目は、卒業後にデータサイエンスを武器として活用したい学生にとっては、有効であると考えています。課題としては、①数学や統計学が苦手な学生でも楽しんで学べる仕組みづくり、②データサイエンス科目と情報科目との連携・融合、③大学院科目の拡充、があげられます。①については、おそらく入試の位置づけや入試改革などを通じた受験生の根本的な意識変革が必要かもしれません。日本の大学には、「入試に合格したから卒業も担保されるべき」という伝統的な考え方が根強く、カリキュラム運営においても「苦手な科目は勉強しなくても卒業できるようにする」ことが求められます。大学入学許可者が、自身で自由にカリキュラム編成し卒業資格を得るためにも、最低限必要な科目(≒必須科目)を習得し、時間をかけてじっくり学ぶような仕組みがあってもよいです。最近はデータサイエンスの基礎教育を行っている企業もあることから、民間のデータサイエンス教育と連携することも有効でしょう。②については、SFCが得意とする情報系科目と連携して、データサイエンスをより深く学びたい学生向けに、例えばRとPythonの両方を体系的に学ぶ仕組みがあると良いと考えています。学生の科目負担を減らす、あるいは非常勤講師を効率的に確保するという経営的側面からも、検討すべき余地はあります。③に関しては、残念ながら研究科委員長が変わるたびに大学院教育の方針が変更されるなど、中長期的な観点から高度なデータサイエンス教育に取り組めないのが実情であります。データサイエンスの必要性を感じ学び直したいと考えている社会人大学院生も少なくありません。自治体や企業などと連携した高度データサイエンス人材育成が可能な環境は整っているものの、十分に活用できていません。世界的に見れば、データサイエンス分野は学位取得者が当然のように活躍しています。我が国でも学部レベルでのデータサイエンス教育の拡充は勿論重要であるが、今後は大学院レベルでの研究教育を充実させる仕組みが必要と考えます。

5.データビジネス創造ラボ・コンソーシアム

 社会の問題を的確に捉え、それを効率的に解決していくためには、数理と統計・情報技術・経営の視点が重要であると考え、2013年にSFC研究所においてデータビジネス創造ラボと企業と協業するためのデータビジネス創造コンソーシアムを設立しました。ラボは大学内の教員や研究員が協力して研究を進めるための組織で、個々の企業や自治体など外部との共同研究なども推進します。コンソーシアムは企業などと協力して、業界のためにWin-Winの関係で協業するための組織であります。この二つの組織を活用することによって、データサイエンス業界を盛り上げていくと同時に、個々の研究を推し進める体制をとっています。
 現在、企業などにおいてもデータサイエンティストは非常に不足している人材の一つであります。多くの企業が大学でのデータサイエンス人材育成に期待をしています。ここでいうデータサイエンス人材は必ずしも統計家ではなく、データをビジネスや問題の解決に活かすことができる人材であります。データビジネス創造コンソーシアムでは、このことを強く意識し、単なる解析ができる人材ではなく、未来を創造することができる人材の育成を目指しています。

6.データビジネス創造コンテスト

 データビジネス創造コンソーシアムでは、設立当初より、「データビジネス創造コンテスト」を主催してきました。データビジネス創造コンテストでは、企業などから教育用ではない本物のデータの提供を受け、それを活用しながら与えられた課題に対して新しい提案をすることが求められています。また、毎回、企業1社にビジネスパートナーとなってもらい、実ビジネスの視点でも企画立案から参加してもらうこととしています。コンテストはおおよそ半年に1回のペースで開催されており、今年の9月には第8回データビジネス創造コンテストの本選の開催が予定[2]されています。
 データビジネス創造コンテストへの参加資格は、社会人経験を持たない高校生、高専生、大学生、大学院生となっています。高校生から大学院生までが部門に分かれることなく、その提案を競います。一般的なデータ分析コンテストでは、高校生が大学院生に勝る分析を行うことは殆どないと考えられますが、データビジネス創造コンテストでは、データ分析能力に加え、問題を捉える視点、与えられた以外のデータの収集能力、斬新なアイディア、人を動かすためのプレゼンテーション能力、チーム力など、様々な能力が求められるため、必ずしも大学院生が強いということはありません。事実、過去7回のコンテストのうち、3回は高校生が最優秀賞を勝ち取っています。これは、データ分析を得意とする大学生や大学院生が、人を動かすためのプレゼンテーションを軽視したり、データ分析のテクニックに溺れて提案の本質を見失ったりした結果であると考えられます。本コンテストに関わることによって、データ分析の目的や人を動かすことの重要性などを学んで貰えればと思います。
 また、本コンテストの特徴の一つには、企業がビジネスに活用している実データを提供していることがあります。ある入賞者は受賞の席で「こんな汚いデータは始めて触りました。」とその感想を述べています。実社会においては、データの解析能力もさることながら、大学のカリキュラムではあまり触れられない前処理などの重要性について学ぶことができます。
 本コンテストに参加した参加者の中には、コンテストに参加したことがきっかけで、将来に大きな影響を受けた者も多いです。コンテストに参加することで、データサイエンスの面白さに目覚めて留学した者、企業の方とのつながりを得て新規事業の計画をしている者、仲間を得てデータサイエンスに関する学生団体を運営するようになった者などであります。このような参加者たちが将来、データを使って様々な問題解決をおこない、未来を創造してくれることを期待します。

7.おわりに

 SFCにおけるデータサイエンス教育は、社会問題の解決に取り組むためのスキルを養う教育であります。そのため、数理・統計だけではなく、データを扱うための情報技術、それを社会で使うための経営スキルなども重要視しています。SFCのデータサイエンス教育に触れた学生たちには、社会のリーダーとして、グローバル社会の未来を創造していって欲しいです。

参考文献
[1] 慶應義塾大学,“SFCデータサイエンスカリキュラム,”[オンライン]. Available:http://ds.sfc.keio.ac.jp/curriculum.html.
[アクセス日: 29 7 2018].
[2] データビジネス創造コンソーシアム,“第8回データビジネス創造コンテスト,”[オンライン].Available:http://dmc-lab.sfc.keio.ac.jp/dig8/.
[アクセス日: 29 7 2018].

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