特集 AI人材、AI活用人材の育成を考える

AI時代の働き方〜直観力を鍛える〜

玄田 有史(東京大学教授)

 人工知能(AI)にまつわる話題が事欠かないです。初公開から今年で50年になるスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』の世界が、2020年が間近に迫る今、おおよそ現実のものになろうとしています。
 AIがもたらす未来に関する主張には、生活水準が着実に向上するという楽観的見通しもあれば、人間が不要になるという悲観的な予想まで様々なものがあります。悲観論には、現在の仕事の半分が消滅するというものから、人類そのものが消滅する可能性を否定しないものまで多岐にわたります。
 一方でAIは、ビッグデータにもとづく深層学習という武器を得たことで、人間を上回る鑑識の目と、複雑な意味をある程度は類推できる脳を持つようになりました。さらには自動運転など、それらの能力を携えたロボットとして広範に活動できるようになります。その普及からは、これまで経験してこなかった利便性を人類が獲得することも確実に可能になります。
 論者によりAIがもたらす未来の予想図は異なるが、共通することが二つあります。一つは、大きな変化が近いうちに必ず起こることです。もう一つは大きな衝撃がいつどのくらいの規模で生じるかは、まだ誰にも正確にはわからないことです。だからこそ、今必要なのは、AIについて、過度に振り回されたりせず、かといって過度に侮りもしない両にらみの冷静な構えであります。
 数あるAI本のなかでも、羽生善治・NHKスペシャル取材班著『人工知能の核心』(NHK出版新書)は興味深い。羽生氏は、今のAIには人間と違って「恐怖心がない」ことが特徴の一つだといいます。対照的に人間は、畏れの感覚やそれに基づく何らかの美意識に基づき、行動や選択をすることも少なくないです。プロと呼ばれる人ほど特にそうです。AIが示す理由なき判断を人間が「なぜなのか」と問い続けます。その過程を通じ、恐怖心や美意識など、未解明な人間の本質に迫れることを羽生氏は期待します。
 そんな本質の追及は永世七冠に限らない。AIと向き合うことは、働く一人ひとりにとって仕事の誇り(プライド)とは何かを考えるきっかけになります。AIが右といっても、働く誇りにかけて左に進む決断が、多くの仕事でこれからもあるはずです。
 AIの強みは、圧倒的な記憶力、計算力、分析力などにあります。それに対し、人間が誇れるものがあるとすれば、それは学習や鍛錬に裏打ちされた直観力であります。
 人間に固有の直観力とそれに基づく実践力を、文化人類学者のレヴィ・ストロースは著書『野生の思考』のなかで「ブリコラージュ」と表現しました。ブリコラージュをこなす人々はブリコルールと呼ばれ、「くろうととはちがって、ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作る人のことをいう」としました。
 ブリコラージュの対概念は「エンジニアリング」であります。エンジニアリングは正確な情報を収集して慎重に計画・設計し、科学的認識により構造を適切に把握した上で限界を乗り越えていくものでした。それに対しブリコラージュは、情報が不十分で構造の把握が困難な状況や、科学的認識が未だ及んでいない状況でこそ意味を成します。ブリコラージュは、何らかの記号や断片などを手掛かりに、目の前にある道具や材料を並べ替えたり、再構成しながら、不確かな状況になんとか対応しようとします。エンジニアリングの究極にAIがあるとすれば、人間に残された可能性は、ブリコラージュによる直観力の発揮にこそあります。
 無論、人間である以上、直観は誤ることもあります。だがデータ化されていない困難な状況を克服する源泉は人間の直観以外ないです。2011年の福島第一原子力発電所の事故や今年9月の北海道地震で経験したような電源喪失が生じた状態ではAIもお手上げになります。情報も限られたなかで、復旧・復興を可能にするのは、失敗や教訓から学び、現場を知り尽くした人間の直観力であります。
 これから働いていく上で、大事なのは人間とAIの優劣を競うことではないです。人間の直観力とAIの正確性を組み合わせながら未来を切り拓いていくことなのです。レヴィ・ストロースは、エンジ(ニアリング)とブリコ(ラージュ)の関係は「人智の発展の二段階ないし二相ではないです。なぜならば、これらの手続きはどちらも有効」と述べました。エンジの基盤には紛れもなく自然科学の知見があるが、ブリコにとって人文・社会科学で培われる知恵は不可欠です。だからこそAI時代も大学は、エンジとブリコが出会い育まれる学修と経験の場であり続けなければならないのであります。


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