巻頭言

社会で学び続ける“基盤”を考える

曄道 佳明(てるみち よしあき)(上智大学 学長)

 Society5.0の言葉に代表される次代社会は、データ駆動型社会であると同時に、グローバル化社会でもある。ポピュリズムの台頭等で、グローバル化そのものも混沌としているが、貧困、環境問題に代表される地球規模課題の解決なしには、もはや人類社会の存続そのものが危うい。グローバル化は質の変容を伴いつつも、やはり果たされるべき一定の方向付けであろう。一方、情報社会において、ビッグデータは国を超え地域を超えて集積される。AIを駆使する若きイノベーター達は、国境なきデータが持つ意味を正しく捕捉しなくてはならない。社会は、グローバル化からデータ駆動型に移行するのではない。AIを活用したデータ駆動型社会への移行とグローバル化の同時進行というこの局面が、日本の高等教育機関に大きな課題を投げかけていると言える。
 一方、この社会変革期においては、個人も組織もそして社会も学び続ける土壌が必要である。人の育成に視点を与えたとき、この土壌に対して、土を耕し、水をまき、肥料を施すことが、これからの日本の高等教育の役割であろう。その対象は、大学生だけでなく、組織、社会の学び続ける力を創出する社会人も同様に主体である。学生時代に学び続ける基盤を作り、社会においてソフト、ハード両面での生産的活動に携わる学びを続け、結果として良質な社会が導かれるという“学びの意義と位置づけ”に対して、今一度社会的コンセンサスが必要である。次代の社会は見通せないという指摘は度々行われているが、一方で、質の異なる新しい社会の創成期にあるという見方もでき得る。創成期にある社会は見通せないことは自明であり、だからこそ現代の若い世代は、新しい社会の創成に関わる大きなチャンスを有している。したがって我々高等教育機関も、将来社会が見通せないことに悲観的立場に立つのではなく、新しい教育へのチャレンジのタイミングと捉えるべきであろう。
 新しい教育への移行において、データサイエンスやAIの活用に対する教育プログラムの整備が各機関で進められている。本学でも株式会社三菱総合研究所殿との協働により、データ解析の入門から応用までの科目ラインナップを、全学部生を対象として開放している。また、データ社会に向けた基本リテラシーについてはさらに全学必修化に向けて準備を進めている。データ駆動型社会における人間の関わりは4つの段階にあると考えられる。第一段階はデータを集積し、編集すること、第二段階は、ディープラーニングなどによるデータ認識技術を開発すること、第三段階はデータを分析すること、そして第四段階は得られたデータ分析結果を活用することである。このように段階を整理すると、現段階での高等教育における新たな取組みの多くは、いわゆるデータサイエンティストの養成、そして主に経済社会での解析結果の活用手法の修得に注がれているように思われる。この取組みが社会の発展に大きな意義を持つことは論を待たないが、前述のデータの集積や編集といった“入口”に向けた教育機会とはどのようなものであろうか。
 この問いは、新しい社会の創成期に非常に大きな意味を持つと思われる。入口段階での教育は、「AIに何を問うのか」という人間の本質的な立ち位置に対する問いかけと連動する。このことは、単にマーケティングや経済動向予測等に効果を発揮するということではなく、データ駆動型社会における倫理、価値、規範に少なからず影響する人間社会の「質」を導く土台でもある。AIに判断を委ねる社会ではなく、社会の中心には常に人間があるという根本を維持するために、高等教育がこのことについて果たす役割は大きい。本号にて特集される「イノベーションの担い手」が持つべき資質とは、まずもってこの部分にあるのではないだろうか。社会で学び続ける基盤を学生に具備させる教育を考えることは、教養、専門性、コミュニケーション力、スキルを、国際通用性、創造性という観点からどのように養成するか、そしてそれらの要素を、グローバル社会、データ駆動型社会の進展、変化にどう適応させるかの議論に他ならない。これは高等教育の新たなチャレンジと言って過言ではないだろう。


【目次へ戻る】 【バックナンバー 一覧へ戻る】