巻頭言

パンデミックと教育

小原 芳明(玉川大学 学長)

 2020年2月に武漢発の新型コロナウィルスが日本上陸した時に、これが世界を混乱に陥らせるパンデミックに進化しようと誰が予想しただろうか。3月の卒業式と4月の入学式だけではなく、当該年度事業計画そして中期計画までもが根底から覆されてしまった。しかし、世界史にパンデミックが社会構造を根底から崩壊させる事例が多く見受けられるので、今回もその例から外れることはないのかもしれない。
 人口の多い東京都では感染拡大を抑えるために、生徒・学生たちが閉鎖された教室に集い近寄っての学習形態(集・近・閉)を避けてきた。オンライン教育の導入である。
 本学のキャンパスは幼稚園から高等学校(K-12)と大学が同居しており、K-16の教育施設となっている。そのなかでも初等教育は1993年のMedia Kidsプログラムをスタートさせ小学校一年生からパソコン導入を図ってきた。そして1998年に子供(Child)、親(Home)そして教師(Teacher)を繋ぐ「CHaT Net」を構築し、家庭と学校間の諸連絡と多くの学校活動の場面でのデジタル化を推進してきた。一時的ではあるが、小学生のほうが上級生よりもICT活用に長けていたこともあった。
 大学もK-12よりは遅れたが、それでも2001年に経営学部がMyPC(一人一台のPC必携)プログラムを開始し、2006年は全学部で導入しICT活用教育の推進を図ってきた。K-12の一家に一台のPCプログラムは、提携しているアメリカのプレップ・スクールからの推薦で、共同学習推進のために導入したのに対し、大学のMyPC導入には1999年に出版されたPerlmanによる“School’s Out”が強く影響した。そこで彼は、ネットワークが普及改善されると、やがて校舎のある学校は消えていく、と予言(推測)したのである。
 その昔、schoolは読み書き計算(3R)を教える場であり、その後、社会の知的レベルの高まりに準じてより高度な知識を伝授する場となってきた。そのために子供たちは定められた場と定められた時にその内容の教えを受けに登校するようになったのは、知識を効率よく伝授するためでもあった。そしてそれが唯一の手段でもあったことから、教育=学校=登校という制度となったと言えよう。登校先が確保され安全な手段が可能との前提に、履修主義による学校教育が成立したとも言える。
 今、まさに2019年までの履修主義による学校教育の前提がパンデミックにより崩壊しつつある。これからCOVID-19と医科学との闘いがどのように展開するのかは予想できない。確証はないが、次に新たに動物からヒトへ感染するウィルスがヒトからヒトへと感染するウィルスへ変異するのが出現するとの噂も聞く。それへの対策として新たなワクチン開発も必要となろう。答えのない課題を解決する力が問われる昨今ではあるが、そもそも次に何が課題として襲来するかも判っていない現在、少なくとも昭和23年(1948年)来の教育パラダイム(集・近・閉型学校教育)での解決策は解答とは言えない。
 パンデミックのさなかの今、K-16の教育に関わる全員が腰を据え考えるべきは2019年に戻る努力ではなく、新たに集・近・閉型に変わる教育枠組みのことである。それは子供たちを一定の空間に閉じ込めることなく、離れ散らばっていても必須の学習内容が修得できる離・開・散型の教育枠組み作りである。やがてCOVID-19との闘いは終わるだろうが、次なる感染力の高い病原菌や病原体による感染症は無くならない。
 日本の大学など学校が教育危機に直面している今こそ、多くの科学と技術といったSTEAM分野が学際的に知識と技術を持ち寄って子供たちの学校教育に貢献する教育機器と指導法を創り出すべきである。緊急対策として行われているオンラインやハイブリッド教育を「一時しのぎ」的教授法とするのではなく、各教育年齢に最適な教授法をどの学校も求めているのである。私はSTEAMにその課題に応える可能性があると考えている一人である。


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