数学の情報教育

早稲田大学・理工学部における数学の情報教育


小島 順(早稲田大学理工学部教授)



 「数学の情報教育」というテーマだが、ここでは数学科に限定せず、早稲田大学・理工学部の全体に対する「数学の情報教育」を考える。我々数学科の教員は数学科(大学院を含む)の教育の他に、理工学部の基礎共通科目としての数学の教育に責任を負っている。


1.情報リテラシー

 まず、理工学部全体としての情報教育として1年生の「情報リテラシー」がある。その項目の一つにMathematica 実習が組み込まれている。
 理工学部では、1年生の全員を対象に、入学時に4月の2週間を使って、「情報リテラシー」の教育が実施される。学生数は1,800人弱で、学科単位に5グループに分け、各グループに月から金までのどれかの曜日が割り当てられる。一人の学生についてみると、例えば月曜日終日の実習が2回というわけである。
 これは1995年度からのカリキュラム改訂で始められたもので、今年度までで3回実施された。1年生前期の必修科目として「理工基礎実験A」(週1日、8時間)があり、その一部として組み入れられたものである。
 「講義要項」によれば「コンピュータを人間の知的活動を補佐し、拡大する道具として上手に使いこなすことは、現代人にとって重要な技量の一つといっても過言でない。コンピュータ・リテラシーの実験では、最初の2週間を使って、道具としてのコンピュータの枠組みを学び、利用の方法を知る」ものとされている。
 実習項目は、導入の後、Windows入門、ワープロ(MSWord)、表計算(Excel)、電子メール・ネットニュース(Win/Yatというソフト)、数学汎用ソフト(Mathematica)の5つである。(インターネットのWWW閲覧はデモだけで、一斉実習はやらない。)


2.コンピュータ環境

 コンピュータとしては、原則として4つの端末室のNEC PC9821Xa 13など計370台をWindows-NT 3.51のもとに使う。その中の一番大きな、185台を置く部屋は「製図/CAD室」の兼用である。
 グループの人数次第では他の教室のパソコンも使う。大学広報室によれば、(端末教室に設置の)インターネット利用可能なパソコンは理工学部で649台ある。
 実習項目の中で、「数学の情報教育」としてまず取り上げるべきものはMathematicaである。数学の汎用ソフトとしての Mathematica や Mapleなどは研究・教育に今や不可欠であるが、早稲田大学では1994年度からWolfram Reseach Inc.と結んだサイトライセンス契約で、早稲田大学の全キャンパスで機種・台数に制限なくMathematica が使用できる。各端末教室のパソコンにもMathematicaはインストールされ、学生はそれを自由に使える環境にある。このような条件下では数学汎用ソフトとしてはMathematicaが唯一の現実的な選択肢となる(なお、研究室等では Mathematica のVer.3.0がサイトライセンスの下で選択できるが、端末教室の教育用は現在も Ver. 2.2.3のままである)。
 2週間で終わる「情報リテラシー」だから、その後の在り方が本質的な問題である。多くの端末室は「情報関連」でない一般の授業でもスポット的な専有使用が可能であり、さらに、空いた時間は個々の学生の「オープン利用」に活用されている。時間帯としては9時から21時までがオープン利用に解放されている。
 ついでに述べると、学生は無料でアカウントを保有でき、端末室から、各自の研究室から、あるいは自宅から(大学施設経由で)インターネットに接続ができる。各研究室からは「情報コンセント」を通して学内バックボーンネットワークに繋がっているし、自宅からはダイアルアップIP接続ができる。


3.学部内の「数学」の位置

 「情報についての教育」は学科あるいは研究室単位で多様な形で行われている。しかし、学部の共通の基礎科目としての「情報教育」は不必要だろうか。これまでは数学、物理、化学、物理化学実験などが通年のコースで置かれていたが、情報も共通基礎科目として置くべきなのだろうか。実現したのは既存の「物理実験・化学実験」の見直しの中で、「理工基礎実験」の3番目の柱として2回の情報リテラシーを加えるという規模のもので、これが限度であった。
 理工学部は厚い層の「技術系職員」の組織をもっていて、教員とともに物理・化学実験の担い手となっていた。一方で、数学科は伝統的にこのような実験系の人的組織や設備と無縁であった。しかし、「情報リテラシー」の形で数学もこれらと関わりを持つようになり、状況は変わってきた。
 「情報リテラシー」は担当の教員、技術系職員、助手、さらにTAとしての大学院生(約100名)など多数の人たちの協力で成立するプロジェクトである。技術系職員の組織としても、大きな「総合技術系」の枠の中に、「第三教育支援」と呼ばれる物理・化学実験系の組織の他に「情報支援」という新しい組織が確立し、これらの協力態勢が組まれている。
 私は数学科選出の「情報リテラシー担当者会」の一員だが、数学科を含む学生グループの担当教員であるとともに、実習項目としてはMathematicaの部分の担当者でもある。テキストが大きな合本として作成され、基本的にはそれに沿って自力で実習ができるようになっている。Mathenaticaの部分も3年を経て安定したテキストとなった。


4.数学とコンピュータ

 5年前ならまだ Mathematicaがどういうソフトであるかを説明し、その効能を並べ立てる必要があったかも知れないが、今はその必要がないと思う。
 なぜ、普通の手続き型プログラミング言語の演習の前にMathematicaかという点については、了解が広まりつつある。例えば C言語のプログラミングを教えれば、「学生が日常的にコンピュータを道具に数学をする」習慣を育てることに繋がるかといえば、普通はそうならないからである。これはその後のプログラミング教育を否定するものではない。もっとも我々は、Mathematica自体のプログラミング言語としての多彩なパラダイムに惹かれている。Mathematicaは「数学教育」に関わるだけではない。理工系一般の仕事における“数学的処理”の道具として広く使われているのである。数学専攻の学生だけでなく、理工学部学生全体を対象とするMathematica実習に十分な根拠がある。
 私自身は今年度は1年生の微積分の講義を、学生が自らMathematicaを使えるという前提で実行しただけでなく、年間で6回は端末教室に専有利用の形で連れていくプランを立てた。数学科の幾何学の講義でも同じように端末教室のスポット利用を実行している。
 数学科のコンピュータ関連の科目については現在見直しの作業を進めている。1年生に半期の「実験数理科学」(仮称)を新設する案などが検討されている。
 数学科における研究・教育へのコンピュータ活用の実態を描いたものとして守屋悦朗編「数学教育とコンピュータ」早大教育叢書 3(学文社、1997年)の、橋本喜一朗・長谷川雄之両氏の論考「数学研究におけるコンピュータ」を参照されたい。


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