特集 ネットワーク時代の教育を考える

画面の向こうに人が見える


山本 恒(園田学園女子大学情報教育センター教授)



1.はじめに

 「画面の向こうに人が見える」は本学のネットワーク構築の合い言葉である。コンピュータを介して人と人が有機的につながり、21世紀に向けた新しい大学のシステムと情報文化(?)を構築するための基盤になればとの思いでネットワーク化を推進している。
 私は、大学におけるネットワークの諸問題について論じる力量は持ち合わせていないが、「ネットワークに接続されていないパソコンなんてコンピュータではない」とまで言えるようになってきた私自身の経験や本学の様子を紹介することでお許し願いたい。


2.ネットワークで発想が広がる

 ネットワークのことは素人の私であるが、汎用機とパソコンが同居していた時代に、なぜ、「すべてのパソコンに1台のハードディスクが簡単に接続できないのか」という思いがあった。汎用機でのソフトウェア開発ではごく当然のことであるが、パソコンの世界では一つのデータを共有したり多人数のデータをお互いに利用しあうプログラムを開発することは難しかった。
 それができるシステムに出会ったときの感激は今でも鮮明に覚えている。確実に私の頭の中が大きくぱっと広がった瞬間であった。今まで、1台の閉ざされたパソコンの前でこつこつとキーボードをたたきながら開発していたものはなんと狭い発想のものだったのかと自問した。もちろんそれまでは十分に自己満足していたのだが。その後、「本学にインターネットがやってきた」ときの驚きも忘れられない。本当に理屈でなく世界のコンピュータがつながっていることを体感し、私の発想がさらに広がった。
 このようなわけで、私はネットワークのとりこになってしまった。私がもっと若いときに今のような環境を経験できていたらと考えると、今の学生がうらやましいと思うと同時に、ぜひこのような素晴らしい環境の中で自分を磨いてほしいと願っている。


3.まず、つながっているという実感を

 本学では、すべての教職員・学生にサーバーのディスクを提供している。本学でZドライブといえば個人のディスクを意味している。このZドライブの設定は、自分のファイルが離れた部屋のサーバーに保存されているという不思議な現象からネットワークに興味を持つきっかけを作っていると考えている。
 このドライブ以外にも、それぞれの役割ごとにディスクを設定し提供している。教育研究では、Yドライブは誰でも読み書きができるディスクで、Xドライブは読むことだけができるディスク、WドライブはLANに対応したアプリケーションなどのプログラムを格納している。ネットワーク上での協同作業のために、特定のグループのディスクも必要に応じて設定している。
 このように、ディスクの共有化により、ファイルのやりとりがネットワークを通じて簡単に行えることだけをとっても、実務面(協同の作業が可能になった)からも感覚面(つながっているという実感)からもネットワークの意義は大きい。


4.イントラネットが先

 今まで学内のネットワーク上に構築していた様々なシステムを、インターネット技術を利用したイントラネットとして再構築しておくと、必要に応じて、あるいは時機が来れば、いつでも外部への情報の発信が可能である。このような観点から、まず学内におけるイントラネットを積極的に進めることが大切であると考える。
 本学では、WWWサーバーを、学外用、学内用、事務用など目的別に分けている。学内用と事務用がいわゆるイントラネットである。ファイアウォールをより強固にするための方策でもあるが、イントラを進める上でも好都合である。外部に情報を公開するものについては外部サーバーにデータを移動させるだけですむ。
 情報関連の授業では、一部のプリント教材を除いてほとんどの教材は学内のホームページ上に構築されている。調理実習のレシピも盛り付けの写真も含めて検索できる。これらの作業は学生の協力で作成されている。学生のホームページも学内では活発である。
 学生サービスについても、休講情報・学生呼び出し・各部署からのお知らせが各部署からリアルタイムで表示されている。図書館、就職部、学生部のホームページも充実してきている。
 事務局サイドでは、教職員対象であるが、「庶務発、今日のニュース」をはじめ、最新の情報や学籍移動、教職員の住所録、学生の授業の履修状況や教員の時間割や教室の利用状況などの検索システムなど、学内での情報の流通とデータの共有化を図る目的でホームページの構築が進んでいる。更に、IDとパスワードの入力によりグループウエアのホームページが準備されている。
 情報教育だけが、また教育研究面だけがネットワークの恩恵を受けるだけではなく、事務局も含めて大学全体がネットワーク化し情報を共有していく必要がある。その中で、従来になかった大学での新しい生活様式が生まれるのではと期待している。


5.メールを道具として

 入学してきた学生は、情報処理の授業で「情報社会の仕組み」「情報倫理」「コンピュータと健康」「インターネット入門」の学習を経て、電子メールのアドレスを与えられる。授業での教員との連絡やレポートの提出などで効果を発揮する。しかし私たちは、このような義務づけられた活動だけでなく、自分のためのコミュニケーションの道具として活用することを期待している。学生が初めての道具を自分の生活の中でいかに有効に使えるか、その経験を通して、電子メールの有効性や限界、問題点などを理解させたいのである。
 最初は学内の友人との「お手紙ごっこ」であるが、あっという間に学外へそして世界へと広がっていく学生たちの行動力には驚かせられる。むろんすべての学生ではないが(すべての学生に強制することではない)、文科系の女子大学の学生にはコミュニケーションの道具としてのコンピュータは好かれているようである。「手紙嫌い」の学生にとってこの新しい便利な電子郵便は、一度使うと手放せなくなってしまうようである。電子メールを使うためにだけで情報教育センターへ日参する学生も多い。
 また、「この写真を相手に添付ファイルとして送りたい」とか「肉声を送りたい」などいろいろな願望が生じそれを解決するために新たな学習意欲がわき、活動が始まるといった、電子メールをきっかけに、教員が教えなくても、コンピュータの世界にはまっていく学生も多い。


6.メールは万能ではない

 教育におけるネットワーク上での教員と学生のコミュニケーション手段は、一般的には電子メールが代表的で、極めて有効な手段であるが、何がなんでも電子メールというのには疑問を感じている。私は初めて電子メールを使える環境になったときに、学生とのコミュニケーションを電子メールで始めたことがある。ある特定の学生にしか答える必要がない事柄は別として、特定の個人からの質問であっても同じクラスの学生全員に返した方が効果的な内容が多かったし、教室での質問なら当然全員で議論したり考えたりできる。このような理由から、授業単位で電子掲示板を設けるなどの方策も有意義であると考えている。


7.学ぶための手段としてのインターネット

 学生を見ていると、ホームページからの情報の収集も、最初は趣味など遊びの域を出ない。しかし様々な授業で、そのきっかけを作ることで、学ぶための手段として利用をはじめる。そして、様々な情報が収集できることに驚く。人や書物との出会いも生まれる。そのような過程の中で、情報の信頼性や活用方法を会得していく。インターネットを、遊びで終わらせるか、図書館と共に教育研究にとって不可欠なものにしていくかは、教員の指導力にかかっていると思われる。また、情報の収集だけでなく自ら情報を発信できるように仕向けることも極めて大切である。


8.ネットワークを活用した教育方法

 ネットワークを活用した授業については、学内であってもその有効性は大きい。本学では情報関連の授業で活用しているが、詳細については私情協ジャーナルVol.4 No.4を参照願いたい。職員のコンピュータ研修についてもこの発想を取り入れて、今年の夏は一斉研修からネットワークによる個別研修に切り替えた。研修内容を6ステップにわけ、ステップごとに課題を用意し課題を通過した者が次のステップに進めることとした。教材は事務局のホームページ上に準備し、指示や連絡は電子メールを利用した。内容は、この夏に導入したグループウェアの電子メール、電子掲示板、スケジューラー、施設予約などの使い方が主であったが、一斉研修より成果があったと感じている。


9.遠隔学習・在宅勤務にむけて

 電子メールを自分の道具として使い出すと、当然のことであるが自宅からもメールの読み書きができるようにという要求が出てくる。メールを見るために日曜日に出勤ということも起こってくる。また、自宅で仕事を継続してやるために、フロッピーディスクに保存しようと試み、1枚のフロッピーに収まらなくて困ったり、保存できたつもりで持ち帰って保存できていなくて自宅で仕事ができなかったというトラブルも生じる。
 また、パソコンを購入する学生も増えてきた。情報処理関係の授業などは、自宅で継続して学習ができないのかと訴えてくる者も出始める。
 これらの要求に応えるために、本学ではこの10月から、自宅から大学への接続によるイントラネット、インターネット、ファイルサービスなどの利用の実験的試行を始めた。
 遠隔学習、在宅勤務は現時点では現実的ではないかもしれないが、それらが可能になった時点であわてないで済むように準備を進める必要があると思っている。


10.信頼されるシステム管理者に

 このようにネットワーク化されていくと、特権を持ったシステム管理者の義務やモラルが大きな問題となってくる。「自分のメールを読まれているのでは」とかディスクへのファイルの保存に失敗していても「誰かが意図的に消したのではないか」などの不安や不信が、トラブルが起こる際に増幅されてくる。人間関係が希薄であればよけいにシステム管理者に対する風当たりが強くなる。多くの場合は、後に自分自身の誤操作であったことがわかり解決するのだが。
 規約の作成やモラル教育だけでなく、お互いに信頼しあってネットワークが利用できる人的関係を含めた体制を確立する必要がある。更に、停電をはじめネットワークの故障、コンピュータウイルスなど、危機管理の方策についても十分に検討していかなければならない。


11.終わりに

 時々「学生にそこまでサービスする必要があるのか」という議論に出くわすときがある。これらはそれぞれの先生、大学自身のポリシーであろうから、私はあえて議論には参加していない。また、私の原稿は具体性がなく、依頼されたテーマからは外れているかも知れない。
 情報流通の手段としてのネットワークは、教育研究では、というより生きていく上で不可欠なものであり、多くの教員が待ち望んでいたものであるはずである。とすればその活用方法は個々の教員が解決する課題であると思っている。
 おそらく「ネットワークが使えない大学なんて大学ではない」と学生からいわれるような時代が来ると考えている。これは決して遠い将来のことではないであろう。
 また、大学同士もネットワーク上で切磋琢磨して競争していかなくてはならない時代が来るであろう。いや、来ているかもしれない。


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