生物学の情報教育

生物化学における情報教育


猪口雅彦(岡山理科大学理学部講師)



1.はじめに

 近年の生命科学分野の進歩は目覚ましく、ますます飛躍的に発展を続けている。しかし、「情報化」に関しては、他の理系分野に比べ、われわれの分野は立ち後れている感がある。
 かつて教員は「清書のための機械」に貴重な研究費を費やそうとは考えなかったし、現在でも多少このような傾向が残っていないとは言えない。一方、学生も、理系学生の中ではコンピュータに関する関心が低いように感ずる。入学時のパソコン保有率の調査は行っていないが、4年次にゼミに配属された学生でも、パソコン保有率は3〜4割程度ではないかと思われる。
 ここ数年来のパソコンブームとインターネットの急速な普及の結果、素養としてのコンピュータリテラシーが求められるようになった。また専門情報の取得にも、インターネットの活用は必須のものとなっている。同時に、研究装置も年々高度化・複雑化し、機器の操作から分析結果の取得、データ解析にいたるまで、全てコンピュータを扱って行われている。
 このように、生物化学においても既に情報教育は重要なものとなっているが、本学の取り組みはまだまだ遅れているのが実状である。岡山理科大学生物化学科での取り組みの現状を以下にまとめ、最後に問題点も述べたい。


2.コンピュータリテラシー教育

 本学科では、平成9年度入学生より、2年次の選択科目として「パソコン演習」(半期)を開講している。この演習では、パソコンのWindowsオペレーティングシステムの操作と、その上で動作する代表的なアプリケーションソフトを用いた文書作成やデータ計算、およびインターネット環境での電子メールサービスとWeb閲覧について、講義と実習を交互に行う形式で指導している。3年次には、必修科目の「生物化学実験」(通年)の中で、実際に実験で得たデータを独自の解析ソフトで処理させ、プリントアウトした結果をレポートに添付させている。
 カリキュラム以外でも、本学の情報処理センターは、学生の情報教育用のパソコンを250台余り設置し、正課科目で使用していないときには学生に開放して、自由に利用できるようにしている。また、授業に関係なく常時開放されているインターネット端末も30台用意されている。さらにセンターでは、電子メールやWeb閲覧などのインターネット利用の講習会を随時開催し、受講後希望者にインターネットメールアドレスを発行している。
 本学科では4年次から各研究室に配属されて卒業研究を行うが、4年次生および大学院生には全員に学科のメールアドレスを発行している。本学科のLAN環境は3年前に整備され、当初は各研究室1〜2台だった端末も着実に増加し、現在では学生3人に1台程度で自由に利用できる状況となっている。研究室に所属し自由にパソコンが使える環境になると、大半の学生はまず電子メールやWeb閲覧に夢中になるが、すぐにそれらを用いて就職活動のための情報収集や連絡に利用を始める。また、卒業研究の資料作成やデータ整理のためにワープロや作図、表計算、グラフ作成などのソフトウェアを利用し、卒業する頃には研究発表の資料や卒業論文の作成もすべてコンピュータを利用して行えるようになっている。


3.研究におけるコンピュータ利用

 日常の研究業務では、ワープロによる文書作成、グラフィックソフトによる作図、表計算ソフトによるデータ処理、およびグラフ化ソフトによるデータの可視化が主な用途である。インターネットは、Webを利用した図書館の蔵書検索や研究文献検索、および電子メールによる研究情報の交換に、日常的に利用されるようになった。
 生化学的な研究においては、画像解析が頻繁に利用されるようになった。例えば、タンパク質やDNAといった生体物質を、ゲル電気泳動法と呼ばれる方法で、それらの分子サイズにしたがって分離した後、その分離画像をCCDビデオカメラを介してコンピュータに取り込み、特定の物質の分子サイズや濃度を画像解析により読み取るといった利用が急速に普及している(図1)。
図1 NH ImageによるDNA電気泳動の画像解析
 遺伝情報の解析では、DNA塩基配列データベースが利用される。大腸菌やいくつかの微生物では既にその全遺伝情報が解読され、ヒトなどの高等動植物についても全遺伝情報の解読プロジェクトが世界規模で進められているなど、現在までに決定された遺伝子の塩基配列は膨大な量に及び、日々新たに追加され続けている。そのため、インターネットを利用してネットワーク上のデータベースにアクセスするのが常態となっている(図2)。主要なDNAデータベースは、日・米・欧の公的な機関がそれぞれ開設しており、それぞれに追加されたデータは相互に参照できるようになっている。
図2 日本DNAデータバンク(DDBJ)のホームページ
 また、生物化学では多種多様な天然有機化合物の構造決定が行われるが、その構造解析に分子動力学計算ソフトや化学構造描画ソフトが利用されている。また、従来書誌文献を用いていた化学物質情報の検索も、インターネットを利用したオンライン検索で行われるようになっている。


4.おわりに

 以上述べてきたように、生物化学分野でもコンピュータの利用は必須となっている。本学のLAN環境、研究室におけるパソコンの導入など、インフラストラクチャーはこの数年で格段に整備された。入学時にはコンピュータに不馴れな者も多い本学科の学生も、卒業時にはほとんど全員がインターネットを活用し、卒論をすべてコンピュータで仕上げるまでになっている。しかし、清書マシンとしての利用の域を出ていない例も多く、さらに専門情報の収集や科学的データの処理や分析を的確に行うといった専門的コンピュータリテラシーに関しては、十分に修得されているとは言い難い。これは教員・研究者にも言えることである。
 これは、体系的なコンピュータ教育の不在に起因していると思われる。現在は4年次の研究室での実地経験に頼っている専門的利用能力の涵養について、既設のコンピュータリテラシーのカリキュラムと連動した正課教育課程として編成する必要があると思われる。そのためには、情報科学の基礎を修めた教員がよく計画されたカリキュラムにそって行う必要があるが、現状では専門的利用までの一貫した情報教育を担当できる教員がいない。情報科学の基礎をふまえて各分野の専門的コンピュータ利用能力まで教育できる人材は、全国的にも育成されていないのではなかろうか。
 今後、専門研究がより高度化するにつれてますますコンピュータ利用は必要不可欠になり、その理解なしには真に先進的な研究は進まなくなると思われる。今こそ、各専門領域の知識を持ちながら情報教育を行う、学際領域の人材を育成すべきときであろう。


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