音楽分野の情報教育

音楽学科専門科目における情報技術活用
音楽工学コースを中心に


志村 哲(大阪芸術大学芸術学部音楽学科講師)



1.音楽学科における音楽工学の位置付け

 大阪芸術大学における芸術学部音楽学科は、ちょうど30年前に開設された。音楽系学科としては歴史が浅いほうかと思われるが、その分、学科構成には当時の先見性に満ちた先進的アイディアが盛り込まれていた。現在は、音楽制作(作曲)、音楽文化(音楽学)、演奏研究、そして音楽工学の4コースからなる。音楽工学以外は、いわゆる音楽諸分野の伝統的な体制を基盤としているが、音楽工学は今世紀後半にめまぐるしい発展を見せたテクノロジーと、音楽との関わりの重要性を見越しての、独自の体系づくりから出発した。本稿は、音楽学科における情報技術活用の現状、内容、問題点等を特にテクノロジーや自然科学との関わりの深い音楽工学コースの現状を中心に報告する。


2.音楽工学の諸領域

 音楽工学コースは、テクノロジーを応用した創作、研究の両面をカバーし、そのための新しい発想や思考法のできる人材の育成を目的としている。現在扱っているテーマの例を、三つ領域に分類した概念図として示す(図1)。本コースにおいては、電子楽器・機器を活用した作曲と演奏、自然科学的アプローチによる音楽の研究において、それぞれを3名の専任教員が分担しているが、特に近年は、どの領域においてもコンピュータの活用頻度が高まっている。
図1 音楽工学の諸領域


3.情報技術が関わる音楽工学専門科目

 今世紀の音楽文化に最も貢献したテクノロジーは、世紀前半より発展した録音技術、そして、後半においては情報処理技術であろう。(もちろん後者の成果を見るには、もうしばらくの時を要するが。)音楽工学コースのカリキュラムは、科学技術の発展に対応してその内容が改正されてきたが、近年は情報技術の関わる内容が増えつつある。講義においては、「コンピュータ音楽論」、「音楽情報処理論」等、その名称が示すとおりのもののほか、他にもいくつかの科目においてコンピュータと音楽との関わりや、マルチメディアの応用について論じられる。
 次に演習、実習における、具体的な内容と使用環境を示す。まず、作曲領域においては、コンピュータを創作ツールとして使用することが中心であり、譜面作成ソフトウェアによる作譜、シーケンス・ソフトウェアによる電子楽器の演奏制御、デジタル・レコーディングによる音・音楽の編集・加工のほか、各種作曲支援ツールを用いた作曲法の学習を行っている。
 演奏領域においては、人間の身体器官や自然現象を各種センサによって認識させるシステムの設計・製作、そしてこれをいかにして芸術的表現に結びつけるかといった楽器・演奏研究と、生演奏のためのシステム設計、リアルタイム・コントロールのためのプログラミング等(実例は、参考文献[1]参照)を学習する。作曲、演奏の両面で最も柔軟かつ優れたアプリケーションとしてはMaxがあげられ、これはNext、Macintosh、Indy等で稼働するが、本学では多くの学生への対応や設置スペース、予算との兼ね合いからMacintosh版を採用している。
 また、演奏法の開発においては、それがたとえ新しい楽器であっても、人間の身体性や感性との関わりという観点においては、伝統楽器のそれを学ぶことが不可欠であると考え、特に日本伝統楽器の代表的存在である尺八をとりあげ、情報技術を活用した楽器・演奏研究に取り組んでいる。そして、その成果はマルチメディア・データベース化し、ネットワークによる授業への活用、WWWでの公開等の準備を進めている(参考文献[2]参照)。また、応用研究として、伝統音楽の修得に不可欠な、伝承者の生の音声を検索・試聴できる「口唱歌・音声データベース」の開発を行っている。
 音楽・音の基礎研究領域においては、研究の方法論の基礎を、音響学、情報科学等におき、各種の信号処理ソフトウェアや計測システムを使用する。また、音楽を情報として捉える論理的思考法を身につけるために、プログラミング言語による演習も重視されている。


4.情報音楽基礎演習の設置と現状の課題

 音楽工学は、音楽諸分野における新しい思考方法、方法論の確立をめざしているとはいえ、その究極の目的は、音楽の創作あるいは、その本質の究明であり、その意味では歴史的な創作体系、学問体系となんら変わりはない。むしろ、現在では逆に伝統的な意味での作曲、演奏、音楽学のどの領域においても、テクノロジー、特にコンピュータとの関わりが密接になってきているので、両者の境界はあいまいになりつつある。そこで、時代に対応できる人材を輩出するためには、音楽学科全体で、これからの情報教育のあり方を真剣に考えていかなければならない時期にきている。
 しかし、音楽工学コース生を除く、一般的な音楽系学生の多くは、音響・情報機器の操作が不得手であり、また、これからの社会におけるネットワークの重要性に気づいている者が少ない。そこで、本学科においては「情報音楽基礎演習」を必須科目として開講し、音楽情報処理の現状の理解、楽譜情報の処理に関わる操作演習をはじめ、ネットワーク上の音楽コンテンツの利用方法、ホームページや電子メール等による情報発信の方法を身につけさせるよう、取り組んでいる。
 ところで過去には一部を除きほとんどの場合、コンピュータと無縁であった芸術系大学の学生に対して情報教育を根付かせることは、予想以上に困難を伴った。経験や理解度が千差万別の学生に対してどのようなカリキュラム内容と運営を行えばよいのか、学生1人に1台のコンピュータを設置できる教室をどのように確保すればよいのか、そして、教育効果を重視するために、使用の自由度を上げれば上げるほど発生しやすくなる機器トラブルに、対処するための人的体制づくりなど、現在も多くの問題を解決できずにいる。これから真に本格化する情報化時代に対応していくためには、いままでこの領域での意識が稀薄で組織的にも手薄であった文系各学部にこそ、高度情報処理機器・施設の充実や、TA、研究員、技術職員の採用等によるきめ細かな人的対応、オリジナリティの育つ環境づくりなど、新しい発想が必要であると考える。


5.音楽諸領域とコンピュータとの関係、そして今後の展望

 音楽にコンピュータを活用する例は、情報技術における草創期の、半世紀ほど前からみられる。これは音楽の構造に数理的側面があることが古くから知られることによるが、その後、道具としてのコンピュータは、脳の拡張から手足の延長へ、そして現在、心の領域へのアプローチに使用されようとしている。音楽学科においては、創作系、研究系という異なった2方向を持つ教育体系が敷かれているが、その両面にコンピュータは重要な役割を果たすであろうと私は思う。
 また、情報処理技術を応用した音楽教育には、コンピュータの操作にかかる負担をできるだけ軽くして、本来の目的に早く到達することがよい場合と、逆にコンピュータと格闘して情報科学的思考方法を身につけ、曖昧かつ複雑な音楽世界を論理的に記述しようとする側面があると考える。どちらにしても、現在のアプリケーションの在り方は不十分であり、より現状に則したシステムの開発が必要である。
 そのためには、学際的協力体制が非常に大切であり、その成果は、たとえば、(社)情報処理学会音楽情報科学研究会、ICMC(コンピュータ音楽国際会議)等で知ることができる。また、音楽系専門の学会でも近年、ようやく注目され、テーマにとりあげられるようになってきた(例えば、参考文献[3])。今後、これら学際的議論の機会をより活性化していくことにより、近年、創作領域におけるコンピュータ音楽が盛んになってきたように、研究領域における情報音楽学が育ってくることも期待できると考える。



<参考文献>
[1] 志村哲:Cyber尺八と《竹管の宇宙》−コンピュータによる虚無僧尺八の現代化.
「コンピュータと音楽の世界−基礎からフロンティアまで」,
bit別冊,共立出版, pp.463-469,1998.
[2] 志村哲:音響画像データベースと音楽研究
−パーソナル・コンピュータ環境とインターネットの活用.
東洋音楽学会編「東洋音楽研究」第63号,pp.124-130.1998.
[3] 志村哲:音楽研究のためのコンピュータ技術−現状と展望(シンポジウム1記録)
日本音楽学会編「音楽学」43巻3号,pp.197-205, 1998.

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