附録

The Virtual University
By Carol A. Twigg and Diana G. Oblinger

A Report from a Joint Educom/IBM Roundtable, Washington, D. C.
Nobember 5-6, 1996

http://www.educom.edu/nlii/VU.html
The document is copyighted by Educom and reprinted with permission.

翻訳は、米国のEDUCAUSEの許可を受けて広報委員会翻訳資料分科会が行ったもので、ジャーナルVol. 7. No.2より3号にわたって掲載します。



2007年における学習環境

 専門家たちのほとんどは、高等教育が2007年に注目し実行していかなければならない方法は、100年以上にわたり存在してきた方法とは大きく異なることを認めている。教育内容やその普及は、外部のグループ、消費者や雇用者によってますます左右されていくであろう。仕事を持ちながら、教育や訓練・再訓練を受けることを必要とする永続的学習者、すなわち生涯学習者を対象に、供給者側が競争していくであろう。この学習市場での大きな競争は、より多くの選択肢や普及方法、一層の低価格化、自由度の増大などの利益を学習者にもたらすような潜在力を持っている。

 高等教育における学習環境が2007年にどうなるかということについて、専門家たちはどのように考えているのか。教育機関、教育プログラム、資金調達、公共政策に対する決定は過去に確認された因果関係に影響されるということを考慮して、専門家の考え方を幾つか紹介したい。


2007年における教育機関


ディスカッション:高等教育は変化しうるか

 2007年までには高等教育の需要は全世界で1億人を超えると予想されている程に、教育は一つの成長産業である。しかし熟練を要し、技術的に熟達した従業員に頼る多くの会社は、国内の卒業生の能力水準に不満を表明している。それらの会社は学位には興味をもたず、むしろ特定能力修了証書に興味をもつようになってきている。たとえば、ミネソタ・ビジネス・パートナーシップは、高等教育は共同組合(パートナーシップ)の必要条件を満たしていないと公に明言している。Boeingは工学の学位を提供することを考えている。雇用者は要求に応じた学習プログラムに対して有効な投資を行い、そのような投資が彼らの成功に欠くことができないものであると確信している。

 今日伝統的な教育機関が直面している最も激しい競争は、高等教育の中からではなく、中等教育後の教育サービスの新しい供給者から起こってきたものである。これらは増加している私立の教育機関を含む  そのうちあるものは伝統的な仕組みに従っているが  Phoenix大学、DeVry工科大学やMotorola大学のように昔の訓練校を思い出せるものもある  。それらのより柔軟な構造と市場志向の文化は、非伝統的な中等後教育において、新しい供給者に教育市場を支配させることができるであろうか。以下は、今日のカレッジや総合大学が新しい需要や競争者と苦闘しているときに教育者から生じるいくつかの問いかけである。

 高等教育の変化が、21世紀の学習者の要求に答えようとしなければならないという議論の中で、二つの異なったの見解が支配的である。一つの見解は、大学の役割は訓練校のような非伝統的な供給者と競争しようとする中で失われるべきではないというものである。大学側の擁護者は、特殊な職業に関連した技能の学習よりも、教育のほうにより多くの価値があると論じている。たとえば、学生たちは自分たちが何を望み、あるいは必要としているのかわかっていないかもしれないが、伝統的な教育機関はガイダンス、構造、組織を供給している。合衆国は世界で最高の高等教育のシステムを提供している、と擁護者は発言するであろう。根本的にシステムを変えるよりはむしろ、アメリカの高等教育を優れたものにするように、それらの品質を確認し、保持し、拡充するであろう。

 一方、他者は、高等教育が伝統に根付いたものであるため次第に実状とは当てはまらなくなってきていると主張する。外部からの力−学生の要求、市場の需要、教室利用の教育の費用、伝達技術の普及−は既に高等教育の優位性を徐々に損なわせている。伝統的な学部教育−18歳から22歳までの通学生−に対する市場の重要部分は縮小してきている。大学は学生を訓練し、技能を授け、変化している産業界に向けて学生たちを準備させることが必要であるということを、教育者は受け入れる必要がある。学生が学習資源に精通している消費者となってきているので、この見解の支持者は学位の価値が損なわれるであろうと予言している。学習者の要求や生活様式に合わせるためには、高等教育の消費者の都合に合わせ適時に提供していくようになるであろう。高等教育は、生き残ろうとするならば、非伝統的環境の中で競争していかなければならない(Twigg、1995)という発言もある。

 伝統的なカレッジや総合大学が営利目的で供給された教育ネットワークで補われるか補われないかは、大部分のところ伝統主義者の反応に左右される。高等教育は過去においては社会的要求に対応してきており、一部の教育者は高等教育が今後も対応し続けていくことを信じる方向にある。遠隔学習について増大する関心や教育技術のカリキュラムへの組み入れについて触れると、彼等は、変化は多くの伝統的な教育機関で進行していると断言する。この状況は、1970年代末、高校生人口が減退するために在籍者が減退することを予測されたときと似ている。しかし、それらの予測は間違いであった。高等教育は、学生のうち、年配者、女性、少数民族の占める割合を増加させようとするにつれて、市場が原動力となった。システムによる対応を信ずる人々は、変化は増分的でシステムの内部からくるだろうと示唆している。


2007年における学術プログラム

ディスカッション:分散された高等教育環境において変化する仲介者の役割

 分散の概念は高等教育において新しいものであるが、教育の場所、テーマ、伝達法、品質を長きにわたり支配してきた。教授法を評価から、教えることを学位授与から、テーマの開発をテーマの普及から、サービスを盲従から分離することで、伝統的役割は再定義され、新しい役割が出現する。高等教育の分離モデルでは、品質はどのように定義され、誰がそれを決定するのであろうか。

 伝統的には、有資格校認定は教育の供給者を適切に管理することにより、品質レベルを保証してきた。しかし、有資格校認定標準は数値(入力)志向−本の冊数、椅子の個数、博士の人数、学生の入試時の得点のように−であり、また現存のシステムを維持する中で強力な既得権をもつ人々によって作られたので、有資格校認定は根本的変化に対する障壁としても作用してきた。分散された高等教育環境においては、有資格校認定は新しい品質管理機構に直面して変化するか、もしくは崩壊する。

 数字は異なってくるが、高等教育市場は年に1,650億ドル〜2,500億ドルの価値があると見積もられている。新しい供給者が市場に参入し、カレッジや総合大学は非伝統的な学生に対し、より魅力のあるものにしようと努力している。その結果、授業、訓練、修業証、さらに学位を取得することがずっと複雑となり、混乱させる労苦になっている。高等教育が分割へと向かうとき、学生と供給者の両者が潜在的な教育の混沌から秩序を作り出すように支援する仲介者の役割が出現するであろう。彼らなしには、何千もの可能な選択から適切な教育プログラムを選ぶように努めることはほとんど不可能であろう。

 分散された学習環境においては、いくつかの教育機関やその他供給者は仲介人として働く。たとえば、メイン州教育ネットワーク(ENM、Education Network of Maine)は、Maine大学システムの1構成単位であるメイン州の学生に対してその役割を果たしている。Maine大学の学生たちは、今やENMの電子配布ネットワークを通して、South Carolina大学から図書館学と情報科学の修士の学位を得ることができる。さらに、他のシステムが出現している:Western Governors大学や他の地域のそれと同等な教育機関は管理機構としてではなく、情報センターとして働く。それらは明確な基準(たとえば、プログラムの卒業生の90%が国家試験に通るといったもの)に基づいて品質を定義している。

 他の機関は仲介者として教育市場に参入するであろう。新たな専門家は、学生が教育の選択や教育機関を評価するための手助けをするであろうし、他の専門家達はテーマを定義したりひとつにまとめにしたりし、また、別のまったく違うグループは提案や配布のシステムに対する役割を担うかもしれない。仲介者として働く教育機関は、Maine州が図書館学と情報科学におけるSouth Carolina大学の学位に対して行ったように、プログラムの品質を評価するであろう。これら同じ教育機関は、プログラムの開発費や維持費を自己で負担することなしに、それらの仲介もするかもしれない。多くの場合、このような役割は、付随する資源の負担なしに、プログラムの深度、幅、品質を拡大するチャンスであると考えられる。多くの教育機関−特により小さい、地方のカレッジ−が厳しい予算不足に直面しているとき、この方法は、プログラムにかかる費用と収益とを分離していく機会であると捕えることができる。


2007年における財務計画


ディスカッション:新しい高等教育のための財政モデル

 第2次世界大戦以降の50年間に、高等教育に対する公的支援は、高等教育機関による学位提供と密接に結びついてきた。もし、バーチャルユニバーシティ(VU)が予想通り実現した場合には、その需要を満たすように公的支援の手が差し伸べられるであろうか。専門家の中には、モジュラー化した仕事場、家庭、あるいは技術に立脚する学習は、成人の間で非常に普及すると予想されるので、公的資金で賄う必要はないと言う者もいる。その主張の核心は、もし便益が学習者個人に帰属するのであれば、その支出は各個人あるいは雇用者が負担すべきと言うのである。又、財務戦略的には、工学、経営管理、保健、更には教育といった分野の大学院レベルのプログラムは民有化すべきとも言っている。
 現行の教育への財務投資の見方は、全ての雇用者を包含する生涯事業としては捕えられていない。Rick Heydingerが述べているように、教育訓練に対する政府支出の大部分は全人口のほんの一部である就職を求める人々に対するものである。企業の場合にも、主として職位の高い役員に対して支出されており、これも全社員の人口のごく一部に過ぎない。人口の中心部分、すなわち中位や若年の経営管理者、あるいは新入社員などに対しては、極めて小額しか支出されていないのである。これらの人々こそ、VUのターゲットになる層である。
 次の10年間に生ずるであろう他の財政的選択肢を考える際に、公共支援が国公立機関から私立あるいは準私立機関にシフトしていくことは、十分に考えられる。このシフトは、国公立教育機関の対応の下手さによって助長されるだけでなく、新しい資金供与のメカニズムの台頭によっても影響を受けるであろう。国家レベルにおいては、学生証明書が今日の特定教育機関への在籍という制約を解き放つことになろう。VUの環境下では、地理的的、時間的制約は存在せず、個人を差し置いて教育機関への支出というものは、ますます意味をなさなくなるであろう。私立および準私立教育機関では、一般教育の内容についての検討が進み、雇用が増大し、給与算定の基礎が変わり、一機関の影響力が低減化し、ますます競争が激化していくであろう。国公立機関が今後如何にうまく対応しても、ますます緊縮化される国家予算がより多くの教育機関に配分されると予測されているのである。
 学習者や消費者へのサービス向上に関心を持っている専門家達は、従来のような高等教育機関への助成金を止め、バウチャー(受け取り証明書)を発行して、直接学生に支払ったらどうか提案している。このようなアプローチは、資金の助成を政治的解決でなく、市場にゆだねさせようとするものである。もし市場がこのような措置を受け入れなければ、市場は活性化せず、収益は減少するであろう。これがスポンサーを持たない研究や一般教育に対して予想される。というのも、これらは必ずしも学習者や消費者に支持されているとは限らないからである。このようなアプローチの結果、全体として、ジャストインタイムで、成果中心的教育になり、費用以上の効果を生み、学習者や消費者により即効的高等教育が実現されることになるであろう。


2007年における公共政策


ディスカッション:市場の容認

 Jim Mingleが言っているように、米国の高等教育における意思決定と配分の基本は公共政策に基づくものであった。
 政府からの直接歳出、税金免除、民間機関への政府基金支援、専門機関からの応募に対する財務支援、更には公的助成金は、長い間、高等教育機関に無くてはならぬものであった。公的支援のいかなる変更にしろ、教育上の意思決定プロセスや多くの教育機関の生き残りのため、劇的な影響を与えることになってしまう。
 空間、時間および政治的境界線を越えてしまう技術力に加えて消費者の力の増大は、公共政策から市場に動かされるメカニズムによる意思決定プロセスへとシフトしている。教育内容や伝達方法はますます外部の人々、つまり雇用者や学生に影響されるようになってきている。コミュニケーション技術の発達は、プロバイダーの数や消費者の選択肢を増やし、より開かれた高等教育市場を作り上げている。
 かつての米国の高等教育の基盤であった地理的、政治的境界線は、ますます関連が無くなってきている。従来のプロバイダーの力が弱まっているため、学生に即応できる教育機関が登場し影響力を強めている。政策立案者は教育の質を高め即応性を増す仕組は競争を激化させる誘因になり、修了証書などを見直すことを検討し始めている。
 このような見方が高等教育機関内外に広がりつつある。特に現行のシステムが化石化し、改革不可能と信じている人々にとっては、魅力的なビジョンである。彼等にとっては、この傾向は高等教育の変化に対する重要な予兆と考えている。一方、別の人々は、米国高等教育の法人化や専門領域の自主性の崩壊を恐れて、過剰な技術中心主義に対して警告を発している。
 Rick Heydingerは、このようなより競争が激しく分割された教育市場における政府の果たすべき新しい役割について提言している。政府の最も適切な役割は、市場の存在を認めることである。教育というものは、非常に重要なものであるので、コントロール、ライセンス、および信用がなければ存在することはできない。
 政府の役割は、教育成果に責任を持つプロバイダーを把握することである。手段は重要でなく結果が把握されねばならない。しかしながら、どうやって教育成果を測定するか、又その成果に報いていくか、あるいは非効果性にどのような罰則を適用するかについては十分な議論を要する。このような環境を育成できる他の仲介者は、教育市場が如何によく機能しているかについての情報(その情報は未来の学生達が容易に理解できるもの)を提供できる人々である。認可者の仕事は、情報を収集するだけでなく、誰がプロバイダーになろうと教育市場が効果的に機能するように支援することである。


将来に対する位置付け

 教育者や政策立案者が直面する重要な問題は、高等教育が情報技術の普及、新市場の需要増大、そして学生人口構成の劇的変化の結果として変革するのでなく、むしろどのように教育機関を将来の環境変化に合わせて成功裡に運営するよう位置付けるかということである。つまり、ここからどこに到達するのに何をなすべきかということである。
 教育組織が将来における役割について探究するにつれて、この変革を実現するため、以下の質問に回答していくことが構想を策定するために役立つと思われる。


競争関係


運営


財務


組織編成

コラボレーションとパートナーシップ

 教育者と政策立案者は、学生を新しい方法で教育するために社会のニーズがあるという挑戦状を突きつけられてきた。しかしこのニーズにまだ十分答えていない。学生市場の変化、技術支援による学習、さらには競争の激化などの要因は、伝統的な高等教育のすべての側面を再検討させるであろう。この論稿の中に記述されていることに対する各教育機関の反応は、各々の組織の特性や競争上の優位性に対する認識度などによって異なってこよう。以前に存在していた以上に学習上の選択肢が生まれているため、教育機関が新しい動態的役割を包含していくことが必要なのである。VUの目指す方向は、高等教育としてのアクセスの向上、質の向上、更には費用の削減といったことを消費者の需要に多面的に対応していくことにあるのである。

(終わり)


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