歯学教育における情報技術の活用

歯科医療をめぐる二つの二極化と情報教育


那須 郁夫(日本大学松戸歯学部助教授)



1.「2025年の予測」

 21世紀の歯科医学教育をどう変革していくかは、当面の大きな問題である。約10年前、WHO(世界保健機関)歯科部長バームス氏が来日し、2025年時点での歯科医療の姿を予測して当時としてはかなり大胆な発言を行った1)。疫学データによる世界の子供たちのむし歯減少や各国成人での歯周病蔓延度などから判断して、次の6項目は「2025年にはなくなっている」との予測を語ったのである。
 まず、1)むし歯はなくなっているので、歯を削るためのエアータービンが歯科医院からなくなっている。2)歯石を予防する薬物の登場によりスケーラー(歯石除去の道具)がなくなっている。3)歯学部はなくなる。現在のような歯科疾患の治療に重点を置いている歯科医学教育はなくなり、広く歯科健康科学教育を行うようになる。4)歯科医師もなくなる。歯科に詳しい健康専門家となりオーラルフィジシャンなどと呼ばれる。5)個人開業医はなくなりチーム医療になる。6)学校歯科保健サービスは、地域の青少年保健サービスに組み込まれるようになる、と。


2.新しい経営形態

 10年経って日本の現状を見たとき、子供と若い女性から始まったむし歯の減少は、治療形態の変更をもたらしつつある。とにかく削るべき歯が少なくなった。その結果、若い歯科医師はこれまでのような、むし歯を削って詰めて歯髄を抜いて金冠をかぶせ、歯槽ノーローになって動揺の激しくなった歯を抜いて入れ歯を入れるといった旧来型あるいは伝統型のタイプの歯科医業から、インプラントや矯正など高度に専門的な歯科医療を行う医療形態を摸索し、その一方で歯周病の予防やメンテナンスを中心に据えた歯や口の健康維持を目指すという新しいタイプの経営への移行を余儀なくされはじめている。伝統型の歯科医院と21世紀型の歯科医院の二極化が始まっているといってよい。
 このような時代にあっては、歯科医師は歯学部で学生時代に教わった歯科医療の知識と技術をベースに、歯科医師免許を得た後でも特別なコースでさらに高度な専門技術を積極的に身に付けざるを得ない。これは、単に先輩に弟子入りして学ぶとか、生涯研修と称して多少のリフレッシュをすればよいといった生易しいものではない。


3.アクセス型ネットワーク社会の認識

 21世紀に向かい、もう一つの二極化が訪れようとしている。これは歯科医療に限った話ではない。他でもない、インターネット接続による情報ネットワーク社会2)における二極化である。
 こんにちコンピュータは、ネットワークに接続する高性能デジタル端末となって、職場は当然のこと家庭にまで普及してきた。若者はさらに進化して情報端末化した携帯電話を持って街に出没している。居ながらにして、デジタル化情報を介して結びつきあう社会に確実に移った。
 学生たちの携帯電話の使い方には教えられることが多いのだが、私はこの「ネットワーク社会」の前に「アクセス型」の語を付けてみたい。これまで、情報はトップダウンで一方的に、少ない限られたチャンネルで「流れ」てきた。人々は決まった場所と時間に型どおりに一斉に流れてくる情報を受け取り、それが「ニュース」であった。これから始まる「アクセス型」社会においては、情報は少なくとも自然に流れてくるものではなくなる。必要な人が必要な時にアクションを起こして、情報の蓄えられている場所に「アクセス」し必要な情報を得る。得られた情報は時を移さず隣にいる仲間に伝言され、そのようにして情報は広まっていく。学生の間では、どうやら授業中でも「アクセス」が行なわれているフシがないでもない。
 さて、歯科医学教育の現場で、このアクセス型ネットワーク社会にどのように対応すればいいのだろうか3)


4.歯科医学情報リテラシー教育

 歯科医療は、常に最新の医学的知識に基づいて実施されるべきである。したがって、情報教育における第一の対応は、生涯にわたる医療情報利用のための教育であろう。すなわち、専門家として医学、医療に関する最新の情報へのアクセス方法と、得られた情報の取捨選択法、日々の臨床への効果的な活用法に関する教育である。これは医学医療情報リテラシー教育と名づけられよう。
 学部教育の中でその教育に取り組むとすれば、直接歯科臨床に関連したものでなくてもよい。学生本人に切実感のある情報へのアクセスによる教育が効果的である。私たちは20年以上にわたって衛生学実習の中で、フィールド調査や環境衛生実験のテーマ実習を続けてきているが、その導入段階において自分の関心事であるテーマが社会の中でどのように認識されているかを調べるのに、これまでは新聞雑誌の切抜きや縮刷版での調査に頼っていた。
 今日では多くの学会情報や専門情報ばかりでなく、一般の人々の考え方も含めて電子化された情報がネット上で公開されている。利用が本格化した今年は、インターネット検索から重要なヒントを得た学生がいた。本人に切実なテーマの場合「検索」というよりも「探索」とさえいえるような発見の喜びがあったようで、その後の実習展開によい効果をもたらしている。
 得られた情報の整理、活用のためにはコンピュータは使わないもののKJ法4)が有効である。医学医療情報リテラシー教育はコンピュータ教育ばかりでなく、利用できる情報処理技術を総動員して、実際のテーマを探求しながら進めていくのが効果的であり現実的である。


5.情報発信技術教育

 歯科医師は社会に対し医療健康情報を提供する側に立たねばならない責任があり、今後ますます重要視されよう。情報教育で次に取上げるべきは、情報発信者としてのあり方や技術に関することがらである。地域における専門家としてホームページの作成に参画したり、自分でネット上に相談窓口を開設したり、診療室で行なってきた患者指導を越えたネットワーク発信に関する情報教育が必要である。単に治療にのみ専念していればよいという時代はもはや終わった。


6.情報の質見極め教育

 第三には、アクセス型ネットワーク社会における情報の質の見極めについて教育が必要となる。このような社会では、人々は健康問題について自分に有利なネット上の情報を引き出そうと試みる。医学的情報は「健康情報」と形を変えてホームページにあふれ、そこに掲載された玉石混淆の情報を片手にかなりの患者たちが医療の現場を訪れるであろう。これは、インフォームドコンセントの考えからすれば、医師の権威主義的なパターナリズムからの開放という重要な意味を持つのではあるが、医学的根拠の乏しい情報にまで、反証を用意した解説を迫られるのではたまったものではない。彼らに対しどのように対応するか。情報の質の見極め方を学んでおく必要がある。


 情報ネットワーク社会への対応の二極化も、歯科医療の変化による経営形態の二極化も、時代の要請に敏感な若い世代の方からすでに自発的に移行が開始されている。
 歯科医学教育の現場において、伝統的な歯科医療のスキル教育は、治療の上手な歯科医師を目指すために欠かせないが5)、一方で新しい経営感覚を磨くための歯科医学情報教育も重要である。


参考文献
[1] 那須郁夫:この2年間に、バームス先生がわが国の歯科界に投げかけたもの、
−「2025年における予測」の成り立ちと背景.日本歯科評論,591号,pp71-82,1992.
[2] 今井賢一:情報ネットワ−ク社会.岩波新書(黄-285),1984.
[3] 岡野友宏,那須郁夫,田中昌博:歯科医学教育における情報教育のあり方.
日本歯科医学教育学会雑誌,第12巻, pp.144-151, 1996.
[4] 川喜田二郎:発想法.中公新書(136),1967.
[5] 那須郁夫:新しい領域を取り入れたカリキュラムを考える上での前提と問題点.
日本歯科医学教育学会雑誌,第11巻,pp.19-23,1995.

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