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日米大学マルチメディア教育セミナーに参加して


小澤 太郎(慶應義塾大学総合政策学部助教授)



 マルチメディア教育の必要性が唱えられてから既に久しいが、私はかねがねマルチメディア教育が効果を発揮するには、ITの進歩もさることながら、むしろ、より本質的にはシステム・教材作りの戦略性が鍵になると考えてきた。今回の私情協主催の第1回日米大学マルチメディア教育セミナーに同行させていただいた際に私が重きを置いたものも、まさにこの戦略性の何たるかを知ることにあった。以下本稿で、この点についての私なりの考えを簡単に述べさせていただくが、これはあくまで個人的な見解であり、訪問団の公式見解ではないことをお断りしておく。また、紙幅が限られている関係で、非常に多くの優れた発表で充実していた日本側の発表に関する論評は差し控えさせていただくし、また取り上げる米国側の発表に関しても、私が特に興味を感じたものに限らせていただくことをお断りしておきたい。訪問団による網羅的かつ公式な見解については、別途、私情協の報告書をご覧いただきたくお願い申し上げる次第である。


2000年11月2日 ハーバード大学

 最初に訪れたハーバード大学ケネディスクールで、はじめに思ってもいない方の話が伺えた。ロースクール・バークマンセンターのC.ネッサン教授(Prof. Charles Nesson:Berkman Center for Internet and Society, Harvard Law School)である。"Information Technology in Education at Harvard University"と題して、"Modular"、"Open"、"Architecture"という三つのコンセプトが重要であると述べられたのが印象的であった。バークマンセンターは、サイバースペース内の法律問題に関して研究を行う極めて斬新な研究機関であるが、教育IT化の取り組みに関しても並々ならぬ熱意が伝わってきた。研究面で一流であれば、教育については多少手を抜いても仕方がないなどとは微塵も考えていないようである。

 そして続くE.ザルツマン氏(Eric Saltzman: Berkman Center for Internet and Society)の発表("The Rotissierie: An Online Tool for Student Collaboration")で、上記のネッサン教授のビジョンの具体例を我々は直ちに知ることになる。"Rotissierie"というオンライン・ツールの特徴は、一言で言えば教室外の仮想の「場」の提供につきる。講義前に提示されたテーマについて、予め学生間で議論が行われ、未解決の問題に関して改めて教室で再度議論するというやり方は非常に効果的とのことである。ここで注意しなければならないのは教員の役割であり、適切な議論の管理こそ、このツール利用の成功の鍵と感じた。実際、議論の履歴を教員はすべてフォローし、議論が錯綜、混乱した場合には、適宜助言のための介入が必要となるだろう。また、学生間の議論の過程は成績評価に反映され得るから、まさに学生にとっては十分な準備を必要とする真剣勝負の場となる。しかし、逆に言えばこうした議論の公開性は、成績評価の客観性を保持する仕組みと考えるならば、努力を厭わないモチベーションの高い学生には優れた仕組みと言えよう。

 コーヒー・ブレーク後のE.スパイサー氏(David Eddy Spicer: Case Program,Kennedy School of Government)の発表("Harvard Governance: Hypermedia Case Studies")も、私にとっては大変参考になるものであった。実践的な知識として"Know How"が重要であるとの認識から、前記の"Rotissierie"と同様に"Discussion Based Learning"を重視する。ハイパーテキスト形式の教材を利用することで、学生の学習経路を情報管理することが可能となる。これは私の推測であるが、学生の学習経路を正確に把握できるならば、学習上のどの段階でいかなるニーズが発生するかを教員は知ることができ、適切なアドバイスを提供しやすくなるであろう。


2000年11月3日 ハーバード大学

 翌、3日の午前中は、前日に引き続いてハーバード大学のプレゼンテーションが行われた。P.ベルゲン氏(Paul Bergen: Instructional Computing Group Manager,Faculty of Arts and Sciences)とB.バルセルミー氏(Bill Barthelmy: Instructional Computing Specialist,Instructional Computing Group, Faculty of Arts and Sciences)は、"Overview of the Faculty of Arts and Science Instructional Computing Course Environment"と題して、教養教育におけるマルチメディア教材の紹介を行った。ハイパーテキスト形式の中国歴史の教材、幾何学の教材、作曲の教材は共通して、"Event-driven Learning"のコンセプトに支えられている。すなわち、ある程度学生が自分の興味に従って、全体の理解のための試行錯誤をする余地が与えられている(Database-driven)。その際、学生が自身のポータルサイトをカスタマイズできたり、教員の教材作成のためのツールキットの操作性を向上(HTML-free)させることが肝要とのことである。ただし、あくまでもDocument-basedな教材作成に拘る必要性を唱えていた点には、注意が必要ではないだろうか。視覚的効果は、あくまでも学習効果を引き上げるための補助手段ということであろう。

 続くA.エルスワース氏(Ameila Ellsworth: Specialist for e-Learning,Harvard Business School Publishing)の"The Vision and the Reality: e-Learning for Business Professionals"と題した講演では、多忙なビジネスパーソン用に、いつでもどこでも利用可能なシステムを提供するため考慮しなければならない事柄について、"Topic","Unit", "Module","Granule"の四つのポイントから話がなされた。


2000年11月3日 マサチューセッツ工科大学

 午後のMIT(マサチューセッツ工科大学)は、e-Learningの試みに関して世界最先端の大学の一つとしてよく知られている。R.ラーソン氏(Richard Larson:Director,Center for Advanced Educational Services)、M.セルニー氏(Melinda Cerny: Manager,External Relations and Pfizer-MIT Projects)、M.バーカー氏(Mike Barker: Manager, Educational Media Creation Center and Singapore-MIT Alliance)、D.マイキュー氏(David Mycue: Director, Streaming Media and Compression Services)による"Technology-enabled Learning Initiatives"と題されたプレゼンテーションは、まさに白眉といえる内容であった。惜しむらくは、これだけの内容を極めて短時間に聞かなければならなかったことであろう。手短に述べるならば、彼らの"Technology-enabled Learning"はいわゆる"Distance Education"とは一致せず、特に前者には後者とは共通しないかなり広い領域が存在するとの認識を持っている点が特徴的であろう。一番重要なポイントを一つ挙げるとするならば、1対1の学習環境を保証するということであり、この点で通常の講義よりも学習上の助けになったとの学生のコメントが紹介されていた。

 しかし、次の授業が始まるとのクレームで、プレゼンの教室を早々に追い出された我々に、思いもよらぬ幸運が訪れた。何と、完成してまだ1ヶ月しか経っていないという特別教室を見学できたのである。確かに教卓でボタンを押すと、僅か1秒で質問者の顔を捉えるカメラには目を見晴らされたし、またタッチ式の操作ディスプレーからも目が離せなかったことは言うまでもない。しかし、そうした最新鋭のハイテク設備を備えた教室であるにも関わらず、教壇背後の壁(中央のスクリーン以外)を埋め尽くす黒板の存在には、正直驚かされた。最新のITの粋を集めた教室に黒板を「伝承」するにあたっては、スタッフ間で少なからぬ議論があったようだが、授業中の議論に即応してすばやく概念を記載したり、数式を展開するにあたっての柔軟性において黒板を凌ぐ道具はないとの結論に達したそうである。第一人者の余裕とはこのようなことを指すのであろうが、合理性を重んじ本質を決して見誤らない、彼らの見識の高さからくるものと理解すべきなのかもしれない。
 ボストンでのハーバード、MIT訪問後、訪問団は学問分野別のグループに分かれ、私の所属した経済・経営・会計グループは、6日にピッツバーグのカーネギーメロン大学、7日にボルチモアのロヨラ・カレッジを訪問した。


<経済学・経営学・会計学グループ>

2000年11月6日 カーネギーメロン大学

 カーネギーメロン大学からの発表は、期待に違わず大変興味深いものが含まれていたが、紙数の関係で、特に印象深かった二つだけを取り上げたい。まず、R.シェインズ教授(Prof. Richard Scheines)が、自らが関わっているプロジェクトである"Causation and Statistics"について説明を行った。社会科学を専攻する学生にとっては、各変数間の因果関係を措定する必要が生ずるが、Javaアプレット上で擬似実験を繰り返すことで、各変数間の単なる相関関係を超えた因果関係の把握を試みる大変ユニークなWeb教材が開発されている。また、D.ヤーロン教授(Prof. Dave Yaron)の"Interactive Software for Chemical Education"と題した発表もなかなか興味深いものであった。例えば「火星までロケットを飛ばすための燃料システムはどのようなものであるべきか」などという奇想天外な課題について、学生を2グループに分けて、両グループ間で議論をさせながら、各グループごとに解答を模索させる。そして解答の正誤については、実際に"Trajectory Simulator"を用いて確認する。こうした実験は、まさにVirtual Labでなければできない相談であろう。


<経済学・経営学・会計学グループ>

2000年11月7日 ロヨラ・カレッジ

 翌日のロヨラ・カレッジにおけるB.ライス教授(Prof. Barry Rice, Accounting Education using Computer & Multimedia)の取り組みに関する紹介では、動機付けが必ずしも高くなくキャンパス外であまり勉強をしない学生に対して、キャンパス内で作業させるための方策として、オンライン教材開発にまつわる話がなされた。ハーバード、MIT、カーネギーメロンとはまた違った視点での話であるが、決して過小評価の許されない話と言えるだろう。


2000年11月9日 スタンフォード大学

 最後の訪問地であるスタンフォード大学には、分野別のグループ合流後、9日に再び視察団全員で訪問した。A.ディパオロ博士(Dr.Andy DiPaolo: Executive Director of the Stanford Center for Professional Development and Senior Associate Dean in the School of Engineering)の「オンライン教育」に関するプレゼンテーション、K.メルモン氏(Kenneth Melmon)による"SHINE(The Stanford Health Information Network for Education)"に関する話、R.フラクター博士(Dr.Renate Fruchter)による"Global Teamwork"の話、S.C.ウッド博士(Dr.Samuel C.Wood)による「ビジネス実習のWeb教材」の話など実に興味深い発表が目白押しであったが、これらの詳細については紙幅も尽きたので報告書を参照していただく他ない。しかし、敢えて一言するならば、「これからの時代は問題解決のみならず問題発見が重要であり、スタンフォードのオンライン教材にもそのような視点が反映されるべきなのではないか」との私の質問には、スタンフォード側から「学生間のディスカッションを促進するようなオンライン教材も用意している」との回答を得たことを指摘しておきたい。
 以上、簡単に米国でのセミナーを振り返ってみたが、唯の一つとして教員の負担を軽減することを目的としてオンライン教材の導入が図られた事例はなかった。すべて、学生に対する教育サービスの質の向上を目的としたものであったのである。また、こうした教材の一部は、日本の場合、大学のみならず中等教育の場においても積極的に取り入れられるのが好ましいとの印象を持った次第である。



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