文学教育における情報技術の活用

国文学の研究・教育と「デジタル技法」
−奈良女子大学日本アジア言語文化学講座での試み−

千本 英史(奈良女子大学文学部教授)
礪波 美和子(奈良女子大学文学部大学院人間文化研究科助手)



1.演習におけるDB同時検索

 学生たちの手元には、国宝の鈴鹿本『今昔物語集』と九州大学所蔵の近世写本(これは今昔の写本としては珍しいひらかな本である)のコピーとが一部ずつ置かれ、それに基づいて担当者が、両者の表現の相違を中心に、国語史学的な調査も含めて発表します。これは千本が担当する日本アジア言語文化伝承論の授業風景で、おそらくどこの大学でも普通に見られる演習の光景でしょう。少しばかり違うのは、一人一人の学生の手元にノートパソコンがあって、担当者の発表の間中、学生達がさかんにキーボードをたたき、その結果を全体に報告することです。
 学生たちが検索しているのは、国文学研究資料館が『日本古典文学大系』(旧版)のテキストデータを試験公開していた(現在では「日本古典文学本文データベース(実験版)」として新たな検索機能を付与したものが公開されている)『今昔物語集』(鈴鹿本)の本文を、岩波書店から出版されている『国文学研究資料館データベース 古典コレクション』付載の「散文検索システム」によって検索可能な形に整えたものです。
 これによって、ある一つの語が『今昔物語集』の中にどれくらいの頻度で、どのような形で現れるかが、まさに一目瞭然に確かめられるわけです。後には熱心な院生がひらかな写本の方も、巻五に関しては全文テキストファイルを完成させてくれたので、相互検討はいっそう容易で完璧に行えるようになりました。


2.古都奈良のこぢんまりとした国立大学

 私たちの大学の文学部(1年時定員160名)は、2年次初等に10講座のいずれかに分属する制度となっており、日本アジア言語文化学講座には通例15名内外が所属しています。それを上代から近現代までの日本文学専攻教官(6名)と中国文学専攻教官(2名)の、あわせて8名のスタッフで指導していく少人数システムで、おおかたの私立大学からみれば「ぜいたくな」状況といえるでしょう。
 学部終了後は、5年制の独立大学院である人間文化研究科が用意されており、近年は他大学の学部出身の院生が急速に増加していますが、それでも学部と院との連携は緊密で、学会や研修旅行などの諸行事にとどまらず、日常的な交流がなされています。先に述べた演習は三年時からの配当科目で、通例毎年10人前後が受講し、すでに単位を取った4年生や院生も、中古中世文学の専攻学生を中心に積極的に顔を見せます。学生は一人ずつ、担当の一話を2〜3時限かけて発表する形を取っています。


3.デジタルリテラシーの入口と出口

 2年生で講座に分属された学生の大半は、その前期に、デジタルリテラシーの基礎を学ぶ言語文化情報処理論という半期講義(礪波担当)を受講します。ここでは、インターネットを利用し、Nacsis Webcatなどの図書検索サイトを用いて大学にない資料を探したり、国内はもちろん台湾の中央研究院など国文学・中国文学専門のサイトのデータベースを利用し、得られたデータをダウンロードしてExcelやWordに取り込んで自分に必要な形に加工したり、国文学・中国文学関係の市販されている様々なCD-ROM類を実際に使用して、加工したりする方法を身につけます。一般的なパソコン入門ではなく、あくまで国文学・中国文学の研究に即した入門であることが大切だと考えています。今年は、本学の坂本信幸教授ら古典索引刊行会が作成、昨年塙書房から刊行された『萬葉集』CD-ROM版(博士後期課程在学生・修了生もデータの構築・校正に携わった)を利用し、受講者各自が気になることばを選んで、まずWordの検索機能を使った手作業でのデータ抽出、次に秀丸のGREP機能を用いたデータ抽出をした後、同じことばをExcelのフィルタ機能を用いて抽出する過程を実習、それぞれのソフトの特徴を実体験しました。
 この処理論が入口だとすれば、出口にあたるのが大学院博士後期課程の日本アジア情報システム論(前・後期集中60時間)です。学生たちがプログラムまで含めて自分たちで工夫し、「散文検索システム」に載るように加工できるようになったのは、国文学研究資料館データベース室長の中村康夫教授に非常勤講師をお願いし、毎年夏と冬に4日間ずつ集中指導を受けられる環境を整えたことが大きいでしょう。この集中講義は博士後期課程対象だが、熱意のある者には、学部3年生から(単位にはならないが)聴講を認めています。先に述べた言語文化伝承論演習で『今昔物語集』のテキスト処理にあたった中心的な学生も、このようにしていわば「飛び級」で氏の講義を受講した学生でした。


4.図書館との協力体制

 奈良女子大学においても、おそらく他の大学でも同様でしょうが、昔からこうしたデジタル関連の講義が多彩に開かれていたわけではありません。十余年前、私が赴任したときには、研究室に自由に使えるパソコンが1台もなく、貧弱な国立大学非実験文科系の予算では公費購入もままならず、自腹を切って自室にパソコンを入れました。そのパソコンを使って、院生たちとGREPだのSEDだのについて解説書に頼りながら、試行錯誤したことがつい昨日のように思い出されます。
 そうした中で最初に取り組んだのが、現在も図書館のホームページで公開している『伊勢物語の世界』(http://www.lib.nara-wu.ac.jp/nwugdb/iseindex.html)です。奈良女子大学に所蔵する16種の『伊勢物語』の写本や版本を、画像と翻刻を同時に参照できるように別窓にするなどの工夫を施したり、章段検索を用いて、ある章段の個所をすぐに参照できるようにしたりしています。
 画像部分は、後に『学術研究交流センター研究成果報告書vol.2 奈良女子大学附属図書館蔵伊勢物語関係写本 解題と翻刻』(2000年)の付録画像CD-ROM for Windows 95/98/NT&Macintosh として、枠なしのhtml形式で作成し公開、その後さらに奈良女子大学国語国文学会の紀要『叙説』28号(2000年)の付録として会員や関係諸機関に配布しました。


5.奈良地域の寺社・文庫との協力関係の構築

 続いて『江戸時代紀行文集』・『女性関連資料』などを、研究室の院生・学生の翻字協力を得て、積極的にWWW上で公開するようになりました。しかしながら結局のところ、翻字し、それを入力するだけではデジタル化のシステムを体験したことになりません。それは「労力奉仕」もしくはアルバイトにしかすぎず、大学の教育とはいえません。
 現在ではWWW公開に関しては、学内典籍の公開というよりは、むしろ奈良という地域特性を活かして、近隣社寺や文庫の所蔵される典籍を世界に向けて発信するという方向を重視するように、軌道修正しています。その成果である奈良地域関連資料画像データベース(http://yamato.lib.nara-wu.ac.jp/)が高い評価を受け、2000年9月、デジタルフロンティア京都 で第二回デジタルアーカイブ・アウォード を受賞したことは、私たちにとって大きな励みになることでした。

 
写真:奈良地域関連資料画像データベース
http://yamato.lib.nara-wu.ac.jp/y05/y053/html/s/fr05.html

6.今後の課題

 私たちの講座では比較的スムーズにデジタル環境との折り合いがなされていると自負していますが、これは、非常勤を含むスタッフに恵まれ、図書館、学部事務局、大学院事務局などのバックアップがあったこと。その際、内容に関してはあくまで教官サイドの希望がそのままに実現できたことが大きいです。
 デジタルを教育に取り込むには、準備段階に非常な労力を必要とします。下手をすると学生をその準備だけに使うことになりかねません。構想から始めてコンテンツ作りをするには、大学院クラスの学習歴がないとむつかしいのです。
 実は冒頭に掲げた言語文化伝承論演習は昨年からはこうしたやり方ではやっていません。それは対象が『今昔物語集』から『発心集』に変わったからです。『発心集』はまだ、通例の底本となる江戸期版本も、比較対照する異本の神宮文庫本もテキストデータが整備されていません。3年生に手分けして入力させることはそれほど困難ではありませんが、結局入力作業だけの演習になってしまいかねません。
 システムとしてのデジタル処理、利用を追体験させる授業をどう展開すればいいかは、まだ課題です。しかしそれなくしては、デジタル時代の国文学を拓いていく人材を養成することはできないと信じています。



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