教育事例紹介 経済学

 

ITを活用した経済史教育


杉山 伸也(慶應義塾大学メディアセンター所長・経済学部教授)


1.はじめに

 IT化の進展やIT環境の整備により高等教育機関の教育環境は大きく変化し、大学教育は大きな転換点を迎えています。少子化や学力低下に加え、社会人や生涯教育など受講者の多様化につれて教育の重点もハードからコンテンツにシフトし、受講者の能力に相応した多様な教育形態の一つとして、従来の教員中心の「教える(teacher-centred)」教育から履修者中心の「学ぶ(learner-centred)」教育への転換が期待されています。
 本稿では、筆者の担当している慶應義塾大学経済学部の専門課程基本科目「日本経済史」(通年または半期集中4単位)のブレンデッド・ラーニングとe-Learningの事例を紹介することで、教育におけるIT活用の可能性について考えてみたいと思います。


2.教育のビジュアル化

 歴史系の科目では、受講者に歴史的事象についての具体的なイメージを持たせることが重要です。インターネットの利用やデジタル教材の作成、PowerPointの利用が手軽にできるようになり、テキストと写真・地図・絵画・人物像などの画像を組み合わせた講義や、アニメーション機能を利用した図表の解説など、教育のビジュアル化の条件は急速に進展しました。また、教員と受講者とのコミュニケーションを図るツールとしてインターネットが広範に利用され、多くの教員が授業のWebページを構築し、レジュメなど授業の関連情報を掲載しています。教材の配布については、これまで著作権などの問題からパスワードを設定するなど煩わしい面がありましたが、慶應三田キャンパスでは、2006年からITC(インフォメーションテクノロジーセンター)が中心となって開発した「教育支援システム」の運用が試験的に開始され、共通認証システムを通じて、履修登録者、授業関連の連絡・掲示、教材配布、レポート提出など連携した機能を一括して利用できるようになり、その煩わしさから飛躍的に解放されました。


3.Web授業と対面授業の融合:ブレンデッド・ラーニング

(1)講義コンテンツ
 専門課程の基本科目「日本経済史」は、内容的には「17世紀の徳川幕府成立前後の時期から1970年代まで約400年にわたる日本経済の変化をマクロ的に概観する」もので、Web上で配信される講義(以下Web講義)は、時代順に22回の授業(テーマ)からなり、1回の授業は約80分(350〜450メガバイト)です。このコンテンツは、2002〜2003年度の2年間にわたり、ITCの協力を得て実際の講義をビデオ撮影するなどして作成しました。
 この科目のように内容的に毎年大きな変化のない基礎的科目は、デジタル・コンテンツの蓄積とその再利用(リサイクル)という利点をいかせるという意味でe-Learning教材として適していると言えます。自分の見解を変更したり、新たな解釈を加える場合には、その部分の教材を新たに作成して入れ替えることで、内容的には絶えずフロンティアのものを提供することが可能です。
 講義コンテンツは、PC上で講義動画のストリーミング・PowerPoint・目次(含図表)が同期している通常の形式で、各講義の最後には、履修者各自が理解度を確認するためのコンピュータの自動採点による確認テストがつけられ、合格点の70点をクリアすると、つぎの講義に進めるように設定されています。LMSは、NTTが開発したXcalatをSCORM2004に完全準拠してオープンソース化したsui2を使い、学習ログは、受講者別・授業別に、学習開始日時、最終アクセス日時、総アクセス回数、累積滞在時間、確認テストの得点などが表示される通常のものです。

(2)ブレンデッド・ラーニングの試み
 2003〜2005年度の3年間は、Web講義の予習と、教室での実際の対面授業とを組み合わせたブレンデッド・ラーニングの形態で行いました。この期間の実質的な履修者数は、毎年平均して60名前後でした。
 ブレンデッド・ラーニングの重要なポイントは、e-Learningによる教材と実際の対面授業とをいかにして効率的に関連付けるかにあります。講義のレジュメは1997年以降各授業のWebページで公開してきましたが、これを機会に履修者が質問などを書き込める掲示板を設置するなどWebページの一層の充実を図りました。ブレンデッド・ラーニングを始めた背景には、せっかくの対面授業という教員と学生との「共有の場」を、教員による一方的な講義(それはe-Learning教材で十分に可能)で終わらせることなく、学生も主体的に授業に参加することで、この「共有の場」をもっと有効に活用できないだろうかという考えがありました。
 実際の「対面授業」においては、Web講義に関連する特定のトピックや自分自身の研究テーマや最近の学界動向についての講義、当時のニュースや記録映画などのビデオやラジオ演説の録音テープなどの視聴覚教材も利用しましたが、なかでも学生参加型の授業にするために多くの時間を割いたのは、グループ報告でした。グループ報告は、4〜5名のチームを作り、Web講義を前提にして半期で2〜3回の報告を行い、学生が相互に評価するようにしました。報告の内容に関しては、対面授業の中でグループ・ディスカッションの時間を設け、TAとともに、研究文献の紹介や質問・相談に応じました。
 グループ報告に対する学生の評価は高く、2003年度は設定したテーマについて報告させましたが、グループ間での内容の重複が多くなりプレゼン自体が全体として単調になる傾向がありました。学生からは講義に沿ってテーマを選択し、テーマそのものも評価の対象にするほうがいいのではないかという要望が出され、2004年度以降テーマは学生に自由に選択させました。プレゼンの評価は、各チームの報告について5段階評価でコメントを書き込める評価シートを作成し、すべての報告終了後すみやかに結果を集計し、コメントとともに授業のWebページに掲載しました。2回目以降の報告は、コメントを参考に内容的にも方法的にも格段の進歩がみられましたが、他方、学生相互の評価は厳しくなり、グループ報告間の格差は逆に拡大しました。
 授業の前提となったWeb講義についての履修状況は、学習ログで把握し、学習が滞りがちな学生には「激励メール」を送付するなどしてドロップアウト率を低くするとともに、80〜90%の学生が好成績をとれるように個別に指導しましたが、ブレンデッド・ラーニングによる履修者規模は70〜80名程度が限界と実感しました。

(3)授業評価アンケートの分析:学生のニーズとパフォーマンス
 授業評価アンケートは、授業内容やWeb講義での技術的問題点・要望など選択式・記述式を含めて計30項目あります。2003年度および2004年度に回答を得た108名について主要項目を紹介すると、Web講義による予習では「すべてみた」21%、「ほとんどみた」34%、「半分くらいみた」23%で、55%の学生が授業に先立って利用していました。復習では「頻繁に利用」10%、「ときどき利用」56%でした。
 Web講義を受講した場所では「自宅」51%、「大学と自宅」15%、「大学」29%、時間帯では「夜」41%、「深夜〜朝」24%、「午後」28%で、平均的な受講形態は「夜から朝にかけて自宅で」ということになります。
 また、グループ報告を主とする受講者参加型の授業については「非常によい」31%、「よい」47%、グループ報告については「非常によい」28%、「よい」47%と回答しており、学生の関心の高さをうかがわせました。
 その他の主要な質問項目(5〜1段階評価)のうち、「知的刺激をうけましたか?」は、2003年度4.26、2004年度4.41、また授業の「総合的満足度」は、2003年度4.33、2004年度4.46で、ブレンデッド・ラーニングの授業が履修者の期待に応えた授業形態であったと判断できます。


4.e-Learning化の試み:「いつでも、どこでも、日本経済史」

 2006年度は、基本的に教室での授業を行わず、4月下旬から1月中旬の8ヵ月間に自由にWeb講義が受講できる100%e-Learningによる授業に切り替え、e-Learning授業の問題点や学生のパフォーマンスについて検討しました。
 まず、授業の趣旨や履修方法についての説明会を開催しましたが、履修登録者数は予想をはるかに上回る346名にのぼりました。とくに就職活動で前期の授業に出席できない4年生が半数を占めました。成績評価の対象は、22回のWeb講義を履修し、かつ授業を踏まえた「レポート3本」(各2,000字)か、あるいは「レポート2本と試験」を履修者自身が選択できるようにしました。最終的には、全講義の履修修了者数は274名、そのうち258名が課題をクリアし、試験を選択した学生は5名でした。
 2006年度のアンケートは、現在の時点では最終的集計作業が終了していませんが、アクセス数は7月にピークを迎えたあと、11月から再び漸増し、12月末から締切日の1月20日まではほぼ7月の倍に達しました。時間的には午後が中心でしたが、1月は16.00〜19.00と21.00〜1.00に集中しました。
 レポートをはやく提出した学生に対しては、講評や書き直しを要求する時間的余裕もありましたが、レポート提出や学習ログなどの設定や確認方法などについて履修者のパフォーマンスから、改良すべき問題点がかなり明確になりました。

筆者のホームページ
http://www.econ.keio.ac.jp/staff/sugiyama/index-jp.html
授業のURL
http://www.econ.keio.ac.jp/staff/sugiyama/mita-lec.html


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