人材育成のための授業紹介●化学

不得意科目の習熟度向上のためのLMSの活用

木村 隆良(近畿大学理工学部教授)


1.はじめに

 筆者は、理工学部で化学系に所属し、物理化学系の科目を主担当科目として教えています。専門分野は溶液内での分子の識別を主として熱力学と速度論を中心に、分光学的手法やMOやMD計算などもその状態の解明に使っています。
 現在、入学してくる多様化した学生に、それまで全然経験がない問題発見能力や問題解決能力をいかに効率よく習得させることができるのか、これは高等教育の大きな課題であると考えられます。特に大学入学以前に、選択性の導入により理数系の包括的な基礎をなおざりにしても許されるシステムを修了してきた学生にとって、異次元の世界に等しいと考えらます。また、教室における講義目標も、与えられた受験用の決まった正解を型どおり記憶することから脱却できずにおり、問題を基礎的な原理から系統的に筋を追って解決し、結果を導く方法論を身につけることが重要とされています[1]
 著者の担当する物理化学系の科目は化学現象を物理学の方法論を用いて理論的に説明するため、受講生は他の科目と違ったイメージで接触しています。いわゆる3教科型入試で入学する化学系学生への入学直後アンケートによると、不得意な領域である物理学や数学の能力以前に、「物理が嫌いだから化学を選んだ」、あるいは「高校で物理を選択しなかった」、さらには「高校では物理が開講されていなかった」から「わからない」などという受講生が増えています。そこで、この内発的動機付けの欠けている受講生に理解度を上げて修得させ、また、内発的な動機付けを既に持っている受講生に動機付けの持続とレベルアップの両端の手助けをするため、受講生に身近となったITを外発的動機付けのツールとして利用しています。いわゆる一方的な情報提供のみでなく、受講生と教員が双方向で情報発信を行うため、受講生からの意見の提案、質問の提出、受講生同士の意見の交換が可能なバーチャル教室を運営しています。対面講義だけでは成し得なかったことをIT環境整備の状況と合わせて相補的にできるようLMSを用い、受講生個々の進度に沿った双方向の「オンデマンド復習」で理解度向上を目指しています。このようなITの活用例は本誌に多くの有益な実例が紹介されています。著者はITを利用した理解度の向上のため、約6年間の試行の成果を踏まえて、さらに受講生の習熟度の向上のため、「10年後に記憶している最も高い確立として知られている(習ったことを教える)」ことや、いわゆる郷中教育[2][3]の長所をとり入れて、上級生が下級生の学習をサポートし、上級生自らが理解を深めることができるシステムの試行を4年ほど行っています。
 これらにより、対面講義での教員の机間巡視の限界を解決し、ITによるバーチャル教室でのサポートとマスプロ教育を個人教育のイメージで受講生が受講でき、苦手意識の解消と習熟度の向上が期待できるものと考えています。


2.情報機器利用の現状と問題点

 当初は、自作サーバに講義中での提示物(PowerPointデータ)をVODで配信することから始めました。しかし、受講生のノートを見るとほとんど纏めることができておらず、KJ法[4]を紹介しても、大半は板書のコピーのみでした。また経験上、受講中に特定の内容に触発され、真剣に考察すればするほど講師との進度が合わなくなり、講義に戻ると講師が既に次の内容に進んでいることが多く、聞き漏らし、あるいは質問の機会を失うなどがあります。そこで、板書、講義の様子をストリーミング配信することとし、掲示板やQ&Aの掲示、アクセス数の解析などをできるようにしました。当初は、市販あるいはフリーのLMSソフトを導入せず、すべてHTMLで作成していました。しかし、語学学習などでよく使われているMOODLE[5]との出会いにより、限られた時間を有効活用することができるようになり、さらに携帯電話による出欠や問題提出アンケートなどを導入し、ITによる効率化により、受講生のケアーに利用できる時間を増やすことが可能になりました。
 集団で遊んでこなかった世代は、他人に相談すると不利益なことが起きるのではないかと思い、意見の違う人と真っ向から討論できないという基本的問題があると考えます。そのため、本システムの構築は、教室以外でもこの問題に対応し、理解度と受講の満足度を上げることを基本としています。さらに教室以外で、過去問や講義の中で実施することのできなかった演習問題や発展問題などの出題、その解答をWeb上に掲載し、成績評価に加えることにしています。また、教室で多くの受講生を前に質問することは勇気がいるので、掲示板(MOODLEではフォーラム)を用い、個々の質問、それを全体に取り上げた理解度向上のための公開討論、さらには身の周りの材料を使い講義内容と重ねたテーマの出題、受講生の様々な意見、等を書き込めるよう設計しました。しかし、一般にROM(Read Only Member)と言われる閲覧者が多いのはアクセス記録からわかりますので、上級生(4年生や大学院生をも含む)に参加してもらい、議論を盛り上げるような仕掛けにしました。
 また、講義する際に受講生に伝えたいことや様々な仕掛けを準備し教壇で演じますが、その後「どれだけ受講生のモチベーションを上げることができたか」、その結果「どの程度理解が進んでいるのか」、また「どの説明が受講生のレベルと離れていたのか」などのデータが講義への反省と改善の材料となります。対面講義では受講生の様子から判断していますが全体は見えにくく、定量的なものではありません。毎回の小テスト実施は計算などの演習について、受講生から「わかりやすい」など高い評価が得られます。またポートフォリオ[6]を作成し、4段階評価での集計を試行していますが、講義提供側からのアンケートは、モチベーションを上げるために最も必要ないわゆる不満領域が定量的に評価できていないと考えられます。そこで、講義配信の閲覧箇所のアクセス数は、内発的動機付けのできている受講生の意見を反映していると捉え、次回の講義で補足する材料としています。
 しかし、受講生には難しいと世評されている科目については、モチベーションを含めた様々なレベルの差が大きいので、演習科目について上級生が下級生を補助できるように同じ教室で課題を解く科目を開講し、学生の目線でわかりやすい助言ができるよう支援をシステム化しました。これはいわゆる理解度別クラスではなく、下級生を10名程度のグループに分け、講義の進捗に応じて出題された問題を上級生が下級生のグループの中で解法の過程を見ながら、ヒントや問題解決までの過程を順次示して、解答に導き、個々の理解度と進行度に応じた個人レベルの指導を進めるとともに、積極的に声をかける環境としました。この上級生には、あらかじめ別の時間に問題の要点の確認と受講生がよく間違うところなどを示す時間を持っています。また、上級生は掲示板などへの参加を積極的に促し、掲示板の活性化の補助を担当しています。
 この運営には、上級生への講義・演習に時間がかかり、また、教職課程の受講や塾講師などの経験が少ないものもいるので、数週間前から準備をしています。
 また、学科のすべての科目についてMOODLEでの講義内容の提示、課題の出題・提出、出欠管理などを運用できるようにした結果、利用の義務化はしていませんがすべての教員が活用しています。
 教室での板書など講義の撮影は補助が必要で、現在TAにお願いしていますが、教員の身動きでカメラが動く自動追尾型のビデオカメラを開発中[7]です。また、収録した講義内容の配信にはMicrosoft(R) Producerを用いていましたが、EZプレゼンテーター(IBE社)やStreamAuthor(サイバーリンク社)の利用により講義直後に公開が可能となり、高度な編集作業に時間をかければ別ですが、大きな省力化と受講生への即応が可能となりました。


3.受講生の利用の効果

 本システムを閲覧している状況がオンタイムで把握できるので、教室での理解度を示すアクセス頻度を講義の組み立てを改定する参考にしています。また、受講生が事故などによりライブ受講ができなかったときのサポートや、アクセス状況の集計から受講生の勉学状況が把握でき、指導の指標となっています。講義後にアクセスしてくる受講生の数から、講義内容の難易度や適切な進行度が理解できます。このリメディアルへのIT利用を2001年度後期から2009年度後期まで17セメスター59科目に実施した結果、2003年度以降はPCのOSを含む家庭のインターネット環境の向上により、学内と学外(家庭)からの利用頻度の割合に大きな変化はありませんが、学外(家庭)からの割合が学内での利用に比べて20%程度多くなっています。特に21時から2時頃までが全体の40%で、本システムによる家庭学習の62%を占めています。これは就眠時間と対応しており、帰宅後に本システムを閲覧してから床に付くことが推察できます。2008年度は学生一人当たり13.7時間の閲覧時間でした。1年生をサポートする上級生の利用時間は、該当科目で平均23.1時間でした。大学生の家庭学習などの講義外学習が少ないと言われている中で、ITによる材料を提供することにより、家庭内での学習意欲を引き出す外発的動機付となっていると考えられます。
 受講生に対する効果の評価は受講対象が毎年同じ学年ですので、学年による差異はあることは認めた上で、利用時間と到達度の一例を図1に示しました。利用時間数と到達度には満点を取ったものを除くと、正の相関(図中の実線)があり、事故などで講義に出席できなかった受講生も十分活用できています。さらに、上級生をつけたクラス●の結果は○のつけていない場合と十分な有意差があり、有効に働いていると考えています。到達度の高いものは連続的に閲覧し、臨時試験、小試験の前、定期試験の前には特に長時間閲覧し、十分活用していることや、そうでない悪循環も見えています。

図1 利用時間と到達度の一例
○:上級生補助なし ●:上級生補助あり
図1 利用時間と到達度の一例

 受講生からのアンケート結果、2002年度から2004年度は5段階評価で「大変満足」「満足」と合わせて71%がよいと評価し、2005年度から2009年度の5年間では「大変満足」「満足」を合わせて90%がよいと評価し、さらに指導に当たった上級生の満足度は9.1/10、標準偏差0.31であり、「教えることにより、さらによく理解できた」との記載が多く見られました。また、アンケートの自由記述の欄には「講義で聴けなかったところが聴ける」、「家で講義の復習ができて大変よい」、「自分のペースで見られる」、「まじめにじっくりと復習できる」、「授業の内容の復習やテストのポイントを確認できた」、「いつでも復習できる(家で、学校のあき時間)」、「授業で追いつけなかったところが見られる」、「PowerPointが見られるだけでなく、音声付で授業のポイントがわかりやすい」、「説明も聴けること、過去の授業の書きそびれた部分をし直せる」(自由記述の文章)など、設計通りの記載があります。


4.今後の課題

 このようなLMSとTAを含めた上級生のサポートによる習熟度向上は、様々な機会に接することで実現できます。しかし、動機付けが最も力量が問われるところであり、時間をかけなければならないと思います。さらに運用にはPCやネット環境など、専門でない分野までの対応が要求され、準備に相当の時間が必要で、ボランティアで負担しなければなりません。筆者もイラスト、アニメーションなどの素材の作成からシミュレーションの作成、管理・運用ソフトウェアの開発・管理までしています。しかし、専門領域の知識の活用に多くの時間を効果的に利用できるよう、組織的な取り組みが必要ではないかと考えます。

参考文献および関連URL
[1] 柳井晴夫:大学生の学習意欲と学力低下に関する調査結果(中間報告書). 2004.
[2] 司馬遼太郎:南方古俗と西郷の乱. 文藝春秋デラックス, 4巻, pp.28-36, 1975.
[3] 安藤保: 郷中教育の成立過程(上). 鹿児島大学教育学部研究紀要, 42巻, pp.199-213, 1991.
[4] 川喜田二郎:発想法−創造性開発のために.中央公論新社, 1967.
[5] http://moodle.org/  Object-Oriented Dynamic Learning Environment
[6] Peter Selden: The Teaching Portfolio. Anker Publishing Company, 1997.
ピーター・セルディン(著), 川口昭彦(監修), 栗田佳代子(訳):大学教育を変える教育業績集. 玉川大学出版部, 2007.
[7] 溝渕昭二,越智洋司,井口信和,佐野到学,向井苑生,木村隆良: 音声認識技術を利用したカメラ制御システム. 教育システム情報学会第32回全国大会, 2007.

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