教育・学習支援への取り組み

医療系学部教育におけるICT利用の現状と課題
〜岩手医科大学〜

1.はじめに

 岩手医科大学は、昭和3年に岩手県の医療貧困を憂いた三田俊次郎によって創設された岩手医学専門学校を母体として、爾来83年(さらに遡れば私立岩手医学講習所設立から数えて114年)、地域医療を支える医師を輩出してきました。昭和40年に北日本で初めての歯学部を設置し、平成19年から薬学部も増設して現在に至っています(今年度学生総数1,849名、教員数644名)。
 医療系三学部は、それぞれの専門性を有しながらも、基礎生命科学、臨床医学・歯学・薬学の教育と研究において共通するところが多々あります。シナジー効果を求め、盛岡近郊の矢巾地区に建築された新校舎群は、各学部が独立した棟を有しているわけではなく、講義・実習室は学部の垣根を取り払った運用が企画されています。

2.学内組織とネット環境

 大学のInformation and Communication Technology (ICT)環境およびにユーザー管理は、大学全体の組織である情報センターが担当しています。ユーザー管理ではLDAP認証システムを用いており、これはe-Learning、図書貸出業務、物品請求・決裁、シラバス電子入力、等に利用されています。ただし、端末から先の運用は各部署に任せられています。教育に関しては各学部の教務委員会が統括していますが、ともすれば統一性に欠けることもありました。そこで各学部の教育面での情報共有を図るため、平成22年度から全学教育運営委員会(三学部教員および共通教育センター教員並びに各教務課から構成される協議機関)が立ち上がり、定期的に意見交換を行っています。なお、ICTに関して企画立案する際は、情報センター職員も適宜同席を求め、討議しています。

3.ICTリテラシー教育

 医歯薬三学部ともに4年次に文部科学省の共用試験(客観的臨床能力試験とComputer Based Test; CBT)を受けなければなりません。そのCBTに備えて、マルチメディア教室(130人)とノートPC(300台)が用意されています。この資産を使い、初年次の一般教育の「情報リテラシー」というコースでは、インターネット関連の基礎知識とワープロソフト、プレゼンテーションソフト、表計算ソフトの使用方法を教えています。こうした一般的なICTリテラシー教育に加え、将来的には医療情報リテラシー教育も必要と思われます。ちなみに、臨床実習では、学生は病院の電子カルテの閲覧のみが許されており、書き込みはできないようになっています。

4.e-Learningシステム

 教育分野におけるICT活用としてまず上げられるのがe-Learningでしょう。このe-Learningという言葉に含まれる事柄は多岐にわたりますが、整理するといくつかのジャンルに分けられると思います(表)。

表 e-Learningで行える事項

1)学生の自己学習

2)通常の講義・実習の補助

3)講義・演習のオンライン化

4)ポートフォリオ作成

(1)問題演習と資料提示

 本学においてe-Learningを進める際に、表に示したもの全てを網羅するシステムを導入するのか、あるいは機能を限定したものにするか、医学部教務委員会で議論しました。医療系学部では、卒業時の資格試験合格が至上命題であり、当然のことながら(自己学習も含めて)頻回の問題演習が必要となっています。加えて在学中に行われるCBTは、コンピュータ端末を用いたテストであるため、e-Learningシステムを使った問題演習は大学が用意しておかなければならないものと言えます。また、授業・実習時に配布するハンドアウトはかなりの数量にのぼることから、資料提示機能が使いやすいかどうかということも重要案件でした。その観点で数社の製品を比較した結果、日本データパシフィック株式会社のWebClassがコストパフォーマンスに優れていること、加えてLDAPによるユーザー認証にも対応していることから、同製品を導入することにしました。
 WebClassで実際に私たちが使っているのは、問題演習、学生への資料提示およびメッセージ機能による学生への連絡が主です。とりわけ問題演習は、「どこでも勉強できる環境を用意して欲しい」という喫緊の要望に応えるものになっていると思います(図)。
 WebClassを使った問題演習の利点は、更新しやすい、カラー図呈示のコストを考えなくて済む、どの学生がどのくらい自己学習したか記録に残る、などが上げられます。携帯電話から閲覧できることもあり、定期試験直前は予想以上のアクセス数になりました。興味深いことに、試験前に積算利用時間の多い学生(すなわち、じっくりと腰をすえて問題演習をした学生)は本試験も成績が良好であったのですが、利用回数が多いだけの学生(これは単に上っ面だけ問題をなぞった学生)は必ずしも成績が芳しいとは限らなかったことです。こうした学習記録をもとにした解析は、学生の個別指導をする際にも役立つ情報です。
 さて、WebClassの問題点は、利用者の減少です。コンテンツが貧弱なコースのみならず、コンテンツが充実していても、利用が持続しません。例えば公開問題を2,000余(問題数とすれば充分でしょう)掲載したコースもありますが、アクセス数は年々減っています。学生に聞いたところ、ポータル画面に“New”となければ、コンテンツを見ようとしないそうです。すなわち、コンテンツを作るだけでは不十分で、常態的に刷新しないと利用を継続的に促すことは難しいと思われます。
WebClassは医学部教務委員会で検討して同学部の予算で購入したことから、管理業務も医学部務課が行っています。歯学部と薬学部も、WebClassを利用できるのですが、それとは別にアルプ社の教育支援システムも導入しています。このシステムは薬学部国家試験過去問などのコンテンツが充実していますので、教員経験の乏しい薬学部教員にとってはメリットが大きいものでした。しかし、大学の認証システムは利用できないため、ユーザー登録の管理業務が余計に増えますし、学部横断的に利用しようと思ってもそれはできないのが現状です。

図 WebClass問題演習 利用例
図 WebClass問題演習 利用例

(2)クリッカーによる演習

 ともすれば教員から学生へ向けた一方通行になりがちな授業形態を変えるものとして、学生の能動的行為を引き出すAudience Response Systemが開発されています。これは一般的にクリッカーと呼ばれているもので、学生の理解度を簡単にチェックできます。今年度から医学部でeInstruction社のInterwrite Responseを導入しています(本誌2011年度 No.1に明治大学の使用例が紹介済み)。実際にこれを使用してみましたが、限られた時間内である程度の問題を解かせて解説を加えていく問題演習において、威力を発揮すると思われます。教員側は学生の正答率と誤答傾向を即時的に把握できますし、学生側も自分達が何が分からないかを教員に伝えることで、すぐに教員から解説を引き出せます。卒業時に国家試験合格を求められる医療系大学の学生にとって、クリッカーによる双方形式の問題演習は、e-Learningシステムを利用した自学自習の演習に加えて、有効な教育ツールとなるでしょう。
 Interwrite Responseの問題点として、教員の事前準備に時間が取られることと、最新のパワーポイントに未対応であること、および端末の電池切れ等による機器整備不良などが上げられます。端末のスイッチを入れっぱなしにして返却する学生は後を断ちませんし、かと言って事務職員がすべての端末をチェックするにも限界があります。また、聴講者全員に端末が配布されるとは限りませんし、応答するのを忘れている学生もかなりいますから、全学生の応答を厳密に把握することはできません。もっとも、もともと大まかな傾向を即時的に把握するものとして開発されたものですから、気楽に利用するのが良いのではないでしょうか。

(3)Virtual Slide

 現代の生命科学において、顕微鏡観察は欠かせぬツールとなっています。しかし、教育内容の増加に伴い、実際の顕微鏡実習に割くことのできる時間は削減されています。また、医学部学生数増加に見合うだけの標本数を用意することも困難になっていますので、最近はVirtual slide(予め取り込んだ顕微鏡標本のデジタル画像をPCで閲覧するシステム)を利用する大学が増えてきました。本学医学部でもVirtual slide(浜松ホトニクス Nanozoomer)を顕微鏡実習に取り入れたところ、かなりの学生がこれを利用しています(写真)。その理由は、観察が楽というよりは、同一画面を見ながら観察対象の解説を教員から受ける、あるいは同級生同士でディスカッションができる、というメリットが大きいからでしょう。一方、接眼レンズから「のぞき込む」という行為は、視野に余計なものが入り込まないだけに集中できるので、Virtual slideによる学習の後で、実際のスライドグラス標本で観察し直す学生も多く見られます。残念なことに、自学自習にVirtual slideを利用している学生は極めて少なく、これを導入してから組織標本の観察能力が向上した、という証はありません。

写真 Virtual Slide
写真 Virtual Slide

 ノートPCを使える机のスペースがあるならば通常講義にVirtual slideを用いることもできます。実際に授業で使ってみると、学生に「標本を観察する」という能動的な行為をさせることができるので、単調な一方通行の授業が双方向性の授業となりました。注意すべきは、この双方向性を担保するためには、教師の目が届く範囲の少人数講義でないと効果が薄れてしまうことです。大人数講義でPCを学生に使わせると、かなりの確率でPCによるネットサーフィンやゲームを始めてしまいます。
 もともとは大人数の顕微鏡実習を実現するためにVirtual slideを導入したのですが、むしろ、個々の学生へのきめ細かい指導方法としての意義が大きいようです。今後は、自習にVirtual slideを利用させるような手立て(例えば、頻回の組織標本テストなど)を講じることで、利用率は向上し、結果として組織標本の観察能力も向上すると期待しています。
 本学に設置したVirtual slideシステムは大学の認証システムを利用できないため、すべての学生と教員にオンラインで利用してもらうようにはなっていません。今のところは個々の学生にVirtual Slideの生データを配布していますが、将来的にはオンラインで閲覧できるようにサーバを整備する予定です。

(4)遠隔講義

 講義室に教員を配することができない場合、あるいは著名人の特別講義を別のキャンパスの学生が聴講したい場合に備え、テレビ会議システム(ポリコム社)を利用した遠隔講義システムが構築されています。これをさらに学外の大学までつなげて、他大学に講義を配信する試みも行っています(いわて高等教育コンソーシアム事業)。ただし、準備に時間と手間がとられますし、応答にタイムラグがあることから、円滑な運用がなされているとは言えません。これは、ハードウエアの制約(規格の相違、装置を設置した講義室が固定化されている、等)に起因するところが大きく、現在、情報センター(センター長 澤井高志教授)が中心となって、より簡便な装置による遠隔講義システムの構築を模索しているところです。

(5)学生と教員のコミュニケーション・アンケート

 教員から学生への連絡事項を掲示する、あるいは教育評価やアンケート(含、教員・授業・実習の評価)を集計する、等の仕事は事務員が行ってきました。こうした定型作業にこそICTを利用すべきで、例えば一部の教員は、WebClassのメッセージ機能を利用してレポートや感想文の収集もしていますが、これは通常のメール添付方法に比べて事務的な整理がかなりしやすくなっているようです。しかしながらこうしたメッセージ機能やアンケート機能は、有効に利用されているとは言い難いところがあります。これは、旧来の連絡方法にとらわれている教員が多いことと、WebClassにリンクを張っていた携帯アドレスを勝手に変えてしまう学生の双方に原因があるでしょう。

5.地域医療とICT

 地方の基幹病院と岩手医科大学は、「いわて情報ハイウエイ」などの高速回線によって結ばれており、これを利用して、テレパソロジーあるいは大学の医局カンファランスへの参加が可能になっています。また、本学に何らかの形で属している医師は、大学から発行されたユーザーIDとパスワードを用いることで、本学図書館の電子ジャーナルや電子書籍を利用できます。地方病院で働いている社会人大学院生は大学まで来なくても、在宅で大学院の講義をオンデマンドで聴講できます。このように、ICTを使って大学の教育・研究資産を遠隔地で有効活用できる手段を講じることで、若手医師が地方へ出かける際に抱く「医学の進歩から取り残される」不安を軽減できると期待しています。

6.問題点と展望

 これまで記しましたように、本学の教育現場ではICTに属する様々なシステムを導入してきました。しかし、これらすべてが有効に利用されているわけではありません。というのも、これらは大学の各部局が個別に導入してきたものであり、大学の全体像を見通していないものもあるからです。そのため管理業務が統一されておらず、事務職員は限定されたシステムの運用しか経験できません。結果としてトラブルに対処できる職員数はいっこうに増えず、ベテラン事務員に仕事が集中することになります。また、部局間の交流が乏しいため、導入した教育資産が他でも利用できるかどうか、検討されていません。個々の部局で購入・整備したものであったとしても「大学全体の教育資産である」との認識に立って管理・運用しなければ、教育効率が悪いだけでなく、シナジー効果を求めて作られた新キャンパス内で学部間の断絶が内在している、という滑稽極まり無い事態になりかねません。
 さて、今後はどうすれば良いのでしょうか。当面は、1) どのような教育用ICTシステムがあるか、あるいはその利用はどうすれば良いかを、全学のFaculty Developmentで周知させることが大切でしょう。また2) Staff Developmentでは、ICTの全学的な導入ビジョンを企画するとともに、ICT管理能力に長けた事務職員の養成も行いたいと思います。中長期的には3)こうした活動を主導する部門と、各学部教務課および教務委員会、図書館、情報センター等の連絡会議の設立と整備を進めることになるでしょう。これによって、新キャンパスにふさわしいシナジー効果が生まれてくると願っています。

文責: 岩手医科大学全学教育運営委員会委員長
佐藤 洋一

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