特集 情報と災害対策

阪神・淡路大震災と甲南学園の対応
〜「常ニ備ヘヨ」創立者平生釟三郎の教訓を胸に〜

 神戸市出身の筆者は、本学の出身者でもあります。ただし、1995年1月17日早朝に発生した阪神・淡路大震災の際には神戸におらず、直接被災したわけではありません。当日、阪神地域に住む家族や親戚の安否確認には手間取りましたが、幸い無事であることが確認できました。この経験から、危機の際の情報収集・伝達の重要性について認識したのは言うまでもありません。

1.阪神・淡路大震災当時の本学の対応

  参考資料[1, 2]をもとに大震災への対応をまとめると、当日は、後期試験の第2日目でした。約1万人の学生が試験を受ける予定でしたが、被害状況はすぐには判明しませんでした。倒壊により講義室70室のうち37室が失われてしまいましたので、もし、地震発生があと数時間ずれこんでいたら、大変な人災になっていたものと考えられます。
 多くの教職員は、交通が遮断されたため出勤することができませんでした。出勤した少数の教職員は、理学部(現理工学部)棟の火災の消火、避難者の救援にあたり、あるいは入試や後期試験についてのひっきりなしの問い合わせへの対応に追われました。午前9時過ぎには、「1月17日の後期試験中止」の掲示を貼りだし、理事長、副学長(学長は東京に出張中)、事務局長を中心とする対策本部が被害の少なかった建物に設置されました。この日のうちに仮設校舎の建設を発注するなど、機敏に行動しました。
 学生および教職員の安否確認については、交通が途絶し、電話も通じにくい状況でしたが、教職員については犠牲者のないことが確認できました。問題は、1万人以上におよぶ学生の安否確認でしたが、困難を究めました。各学部の指導主任が、指導している学生の安否を確認することに努めました。しかしながら、教員の多くも被災し、学生に関する資料を手元に用意することも難しかったので、安否確認が迅速に行えたとは言い難い状況でした。4月15日には甲南学園合同慰霊祭が執り行われましたが、学園全体の犠牲者は、学生・大学院生16名、高校生1名、中学生1名でした。同窓生も20名が犠牲となってしまいました。
 解決すべき責務も山積していました。後期試験や卒業認定をどうするか、願書受付も始まっていた入学試験への対応、新学期の授業、被災した学生や保護者への救援、就職内定取り消しへの対応など、交通や通信手段の回復もままならない状況下での解決策を見いだす必要に迫られていました。

写真1 図書館開架室での図書の散乱状況

 通常、2月1日から始まる入学試験の日程を2月後半にずらし、試験場については、神戸学院大学、関西大学、および成蹊大学のご好意で校舎の借用と試験監督の援助をいただくことができました。後期試験についてはレポートに切替え、その通知のためダイレクトメール(もちろん、電子メールではなく郵便物)の発送を行いましたが、1万余通の発送自体が大仕事でしたし、それが届くのかどうかについても不安がありました。そこで、入学試験の予定変更を知らせる新聞広告にも在学生へのお知らせを併記し、レポート提出に関し学生どうしが連絡を取りあうよう訴えかけました。レポート提出最終日には、JRが部分開通したため、多数の学生が殺到し相当混乱しました。
 提出されたレポートの仕分けや、授業時間割編成、履修要項の作成業務などを担う教務部は損壊した建物にあったため、学籍簿をはじめとする重要書類やパソコンその他の事務機器の搬出には危険が伴いました。これらを図書館地下の読書室へと運び入れ、そこを仮の教務部とし、業務を継続しました。

2.大震災以降の本学の危機管理対策

 阪神・淡路大震災を前例とし検証した上で、今後の危機管理対策を本学園がしっかりと立てているかと言えば、十分だとは言えません。しかしながら、被災経験をもとに必要最低限の対策はとってきています。
 大震災から2年後には、本学園の創立者平生釟三郎が阪神大水害(1938年7月)の際に唱えた言葉、「天の災いを試練と受け止め 常に備えて 悠久の自然と共に生き 輝ける未来を開いていこう」に基づく「常ニ備ヘヨ」の碑(写真2)を建立しました。天災に備えることを常に忘れないよう、教職員のみならず学生にも、キャンパスの一角から語りかけています。

写真2 「常ニ備ヘヨ」の碑
(1997年4月建立)

 阪神・淡路大震災の年には、インターネットの発展を受け、奇しくも、学内LANを完備いたしました。翌年の1996年度には情報教育研究センターが発足いたしました。当時は、情報通信と言えば専用線か電話回線が一般的で、今日の家庭におけるインターネットへの安価なブロードバンド接続が現れたのは、もう少し後の話です。
 移動体通信、すなわち携帯電話についても当時はまだ第2世代であり、iモードメールなどを安否確認の手段に使えるのは数年先の話でした。電波という意味では、テレビ放送やラジオ放送を利用することもできましたが、他に多数の被災者のいる中で、本学学生の安否確認や安否情報発信の手段として利用することは難しいものと評価されます。
 本学では、2007年度よりポータルサイト「My Konan」(図1)を運用しています。このサイトに連動している携帯電話向けサイト「My Konan Mobile」も携帯電話等から閲覧可能です。ホームページには、連絡事項が「緊急連絡」、「講義情報」、「先生からのお知らせ」、「お知らせ」、「News&Topics」などにジャンル分けされて表示されます。緊急度の高い連絡ほど上部に表示され、見つけやすくなっています。学生自身がパソコンや携帯電話のメールアドレスを設定すれば、更新するたびにメールで知らせてくれますので、大災害時に、安否情報を載せ更新することで、自宅のパソコンや携帯電話等から閲覧することが可能です。

図1 甲南大学ポータルサイト「My Konan」

 一方、安否確認手段については、従来どおり電話を含めすべての通信手段、交通手段を利用しての人海戦術をとるか、公共またはボランティアの安否確認システムを利用するしかないのが本学の現状です。ただし、西宮キャンパスのマネジメント創造学部など一部ではSNS等を運用していますので、災害時にはそういったシステムが活躍するものと期待されます。
 2011年1月には、岡本キャンパスに「防災センター」が竣工いたしました[3](写真3)。地下1階、地上1階の小さな建物ですが、震度6強クラスの地震動に耐える耐震設計となっています。また、概ね100年に1回起きる大雨(12時間総雨量320mm、1時間総雨量約90mm)による水害を想定し、1階中央監視室の床レベルを前面道路寄りつき部で約200mm高くして被害を最小限に抑える配慮をしています。
 地下1階は、平時は会議室、休憩室として使用されますが、有事には迅速に災害対策本部を設置できるよう家具やレイアウトなどへの配慮がなされています。会議室の壁面全体が各キャンパスの配置図を描いたホワイトボードとなっており、刻々と集まる情報を一目で把握できるよう集約することが可能です。
 防災力を高めるための工夫も取り入れています。水道が断水してもトイレの洗浄水が失われないよう、隣接する図書館地下の水槽水が活用できるシステムを採用しました。また、自家発電設備を備え、電気が復旧するまでの間、12時間以上の電力を供給することが可能です。
 これらのほか、地域無線の受信、30台の電話機の仮設やインターネット接続による通信インフラに加え、テレビ・ラジオによる災害情報の共有を図る設計になっています。

写真3 岡本キャンパス「防災センター」の外観

3.今後の課題

 上述のように、完璧ではないものの、本学園は災害復興の際に必要とするファシリティを準備してきました。しかしながら、昨年の東日本大震災は新たな課題を我々に突きつけたように思われます。本学の岡本キャンパスや西宮キャンパス、あるいは甲南中高等学校は海岸から離れた場所にありますが、運動場のある六甲アイランド校地やポートアイランドの理化学研究所計算科学研究機構に隣接するフロンティアサイエンス学部は、神戸市の海上埋め立て地に立地しています。六甲アイランド校地は、阪神・淡路大震災の際に地盤の液状化現象に見舞われました。東北地方太平洋沖地震に匹敵する規模の東南海大地震が発生した際に、大阪湾内にどの程度の津波が来るのかをシミュレートし、しかるべき避難対策をまとめる必要があり、現在検討を開始した段階です。
 いくら本学園が頑張っても、不可避のリスクもたくさんあります。例えば、移動体通信について言えば、今回の東日本大震災では基地局のバックアップ電源やネットワーク・トラフィックの輻輳が問題となりました。NTTドコモでは、6,700局あまりの基地局が津波などで停止し、安否確認などの妨げになりました。バングラデシュなど電源事情が劣悪な国では、各基地局には最低でも1日間バックアップすることのできる電源が設備されています。今後、NTTドコモでもこういった対策を含め改善が図られるようですが、安否確認や災害復興のための安定した移動体通信インフラの確保も今後重要になってくるものと思われます。
 加えて、情報サービスを提供する側のサーバコンピュータの、ハイブリッド・クラウド化によるバックアップも必要であろうと考えられます。本学のように、オンプレミス(構内)に設置してあるサーバは、停電の際、UPS電源のバックアップ時間内に停止します。オンプレミスとプライベート・クラウド、あるいはプライベート・クラウドとパブリック・クラウドの組み合わせによるハイブリッド・クラウドを構築しておけば、一方がだめになってもサービスを継続的に提供できます。あるいは、私立大学情報教育協会が中心となって私学を束ねたコミュニティ・クラウドを形成するのも災害対策の一案だと考えられます。

参考文献
[1] 学園が震えた日 甲南大学・甲南高等学校・甲南中学校. 学校法人 甲南学園, 1997.
[2] 甲南学園の80年. 甲南学園史資料室委員会, 甲南学園 広報室, 1999.
[3] 岡本キャンパス 防災センター. 学校法人 甲南学園 岡本キャンパス, パンフレット.
文責: 甲南大学
情報教育研究センター教授 鳩貝 耕一

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