巻頭言

人と人をつなぐ ICT

郡司 隆男(神戸松蔭女子学院大学・学長)

 様々な情報機器の普及で、大学という組織のあり方が大きく変わってきている。MOOCに象徴されるように、単に知識を伝えるだけならば、学生がキャンパスに来なくてもほとんどの授業がバーチャルにできる時代である。
 通常の形で入学してくる学生には、現在、1学期で15週の授業を開講することが義務付けられているが、これもそのうちに緩和されて、在宅で受けたものであっても、単位取得のための授業としてカウントされるようになるかもしれない。
 そうなると、学生は大学に来なくなるのだろうか。単に知識を得たい、それを活かして資格をとりたい、そして、就職活動で有利な位置を得たい、という学生にとっては、通学時間の「無駄」がなくなる、より効率的な在宅授業が魅力的に思えるだろう。
 しかし、そう考える学生ばかりではないだろうと思う。大学に来る楽しみは、授業に出て知識を得ることばかりではない。大学の授業のアクティブ・ラーニング化が要請され、ラーニング・コモンズのような、学生同士が議論をしながら学べる施設への需要が高くなってきているのは、「学ぶ」ということが、単に教室で教師の言うことを聴くだけのものではなくなってきているということを物語っている。
 さらに、大学は「学ぶ」だけの場ではない。広い意味では「学び」につながるのかもしれないが、クラブ活動、ボランティア活動などを通して、人間と人間とが触れあい、関わる場である。少人数のゼミ活動なども、勉強して知識を得るだけでなく、グループで何かを成し遂げたという経験を積む意味が大きいと思う。
 このように変容していく「学び」に情報機器がどのように貢献できるだろうか。
 例えば、紙の辞書を使う人は少なくなった。代わって、コンパクトな電子辞書を皆持つようになった。電子辞書の利点は、はじめは紙の重さを軽減するということだったろうが、大容量のメモリーが使えるようになると、複数の辞書を入れておいて同時に「串刺し」検索が可能になった。こうして、従来の紙の辞書では大変面倒な作業であった、いくつかの辞書の記述を比較検討するということが簡単にできるようになった。
 さらに、スマートフォンを使うようになると、オンラインの辞書も、いつでもどこでも利用できるようになった。インターネットを介した検索は、単なる辞書を超えて、百科事典的な趣を持つことになる。出版された印刷物がもととなっている電子辞書に比べて、情報の質に関しては問題があっても、即時性と拡張性がその欠点を補って余りあると思われる。
 しかし、情報機器の一番の効用は、逆説的だが、人と人とが関わることに、今までにない貢献をすることだと思う。例えば、教室での授業は、教科書を机の上に拡げさせて、下に目をやって文字を追わせるというのが伝統的な形であった。もちろん黒板やホワイトボードに板書する場合には視線が前を向くことになるが、それは一時的なものであり、ノートに書き写すときにはまた下を向いてしまう。
 それに対して、プロジェクターを使って教室の前のスクリーンにスライドを映し出す方式は、皆の視線が下でなく前を向くという利点がある。教室に一種の一体感が生まれるのである。また、一見板書と似ているようだが、人間の文字を書くスピードの遅さに比べて、あらかじめ用意してあるスライドを見せる場合には圧倒的に多くの情報を提供できる。もちろん、学生が消化しきれない量の情報を一方的に流すのは本末転倒だが。
 もう一つの効用は、情報機器の小型化に伴うユビキタス化である。今日のスマートフォンが一昔前のコンピュータを凌ぐ性能を持っていることを考えると、いつでも、どこにいても情報を交換し共有できるということの意味は大きい。
 実際、本学には、JRと提携して北陸や南九州の観光開発に関わるゼミの活動や、環境問題を啓蒙していく「松蔭GP」というプロジェクトがあるが、FacebookやTwitter を通じて、毎日のように情報を発信し、学外者を含む多くの人とそれを共有している。
 こうしてみると、ICT(information and communi cation technology) という3文字に別の意味を与えたくなる。人と人をつなぐ ICT (interpersonal communication tool)である。


【目次へ戻る】 【バックナンバー 一覧へ戻る】