新しい学びの扉

明治大学
学生の「気付き」から気付く専門講義への示唆

久保 隆光
(明治大学商学部助教)

 「そのアイディアの源泉はどこからきた?」、「そもそもニーズはあるの?」、「その根拠は?」、「課題設定を十分に把握してる?」「それって他の企業もしてない?」、「商品化の実現性は?」、「このプレゼンのアピールポイントは?」と、質問を投げ掛け、「なぜ?」を繰り返すことが、担当教員としての私の役割です。逆に言えば、質問以外何もしていません。質問を投げ掛け、失敗を経験させ、その経験から気付きを促すことが、FSP講座の主眼です。
 「大手企業とのコラボ!?」に胸を膨らませ、ある種の「祭り」のようなイベント性を期待してFSP講座に学生は臨みます。そこへ学生らの提案に対し、冒頭のように私がことごとく「なぜ?」を繰り返し、「祭り」的要素を打ち砕いてしまいます。その瞬間、一気に高校までの授業と大学での講義との違いを察知し始めます。大学での目的を再確認します。
 この転換点について、ある学生は「ここ最近講義を受けてみて、先生は詰め込むように知識を入れるのではなく、物事の見方や考え方についてよく教えて頂けます。大学の勉強で一番ためになるのは、自分で考えなければならないこと。その力を付けさせてくれるのが大学だと思う」と最初の気付き、主体性と思考力の重要性に気付き始めます。
 また、高校までは「思う」や「考える」といった「主観的」な表現、主張が許されています。自分の意見、主張をまず持つことが重要視されます。これに対して、大学、企業では、「客観的」データに基付いた根拠ある主張が求められます。この点に関して、ある学生は「データの信憑性、文献の主張や根拠に注意を向けながら、情報収集していくことができ、新聞やニュース、本の読み方、見方が変わったように思います。身近な問題について客観的な視点から考えられるようになりました」と、またひとつの気付き、主張の裏付け、根拠の必然性を身に付けようとします。
 そして学生同様、私にとっても課題となったのがネットでの情報収集でした。アイディアをネットで収集する学生との戦いでした。Q&Aが常である学生にとって、答えは常にどこかにあるものだと思い込んでいます。既知ではなく未知を追求させるための質問攻撃の始まりでした。それが契機となり、ある学生は「『問い』に対して既にある『答え』を求めるのではなく、新しい『答え』を作り出す能力が求められる」と、これまでの答えを「探す」から答えを「創る」という創造力、独創性を生み出せるように試行錯誤し始めます。
 学生のこれらの気付きは、同時に私の気付きでもあります。教えたくなる気持ちを抑え、見守り教え込まない。学生の能力を引き出すためにTeachingではなくCoachingを。それは専門の講義でも質問を繰り返すことで生かされています。
 最大の変化のポイントは理論の取り扱いです。現場の積み重ね、現状分析の蓄積から普遍性を抽出し、そこから理論を導き出します。しかしこの順序が逆になると、理論から現状を俯瞰し、理論に現状を当てはめようとしかねません。学生のネットでの情報収集がまさにそれに相当します。現状を把握していない、現場を知らない「机上の空論」が成立しています。したがって、現状から理論への橋渡しをすることを専門の講義では意識しています。データや事例を提示し、そこから何が言えるのか?何が見えるのか?そのためにグループワークを行う機会を増やしています。客観的データや事例を通じて現状把握に努め、そして現状分析から理論を解説し、理論と現状の齟齬、問題点を議論する流れを意識しています。机上の空論に陥らないため、そして理論がすべてではないこと、現場の把握の重要性を説き直しています。ネットからの脱却を試みています。
 そして、最後に最終講座の学生コメントから。「一つの商品が世界を変える。自分の社会への関わりによって、世界が変わるかもしれない。自分の価値を見出せるようになるのではないかと思っている」。人が変わる瞬間を見ることができます。しかも年を取り保守的になっていく私のそばで、圧倒的な若さを武器に予想をはるかに超える成長を目撃できる奇跡こそ、私の気付きでもあります。気付かせてくれる学生のみなさんに感謝いたします。

<FSP事務局より>

 明治大学は、FSP研究会発足時より研究会メンバーとして参加されています。2011年度よりFSP講座をスタートさせ、今年で5年目となります。


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