文学の情報教育

中国文学・史学におけるコンピュータの利用


渡邉 義浩(大東文化大学文学部講師)



1.はじめに

 中国文学・史学におけるコンピュータ教育というものを積極的に推進し、それなりの成果を挙げている大学機関というものの存在は、あまり聞いたことがない。中国学におけるコンピュータの利用は、教育の場に還元するというよりも、未だ研究者がその利用法を模索している段階といってよい。中国語におけるコンピュータの導入・利用が、他の学問分野に比べて遅れている理由を探り、その克服の道を探ることこそ、中国学の現段階で最も必要なことであろう。
 中国文学・史学・哲学といった中国学の世界は、きわめて多くの漢字を必要とする。JISの第一水準・第二水準で足りるはずもない。本字や異体字でもJISの第一水準・第二水準にあるものは、すべてそれを利用して司馬遷の『史記』を入力すると、1,880字のWindowsの外字区画がほぼ一杯となる。こういう世界にコンピュータが早期に導入されるわけがない。この度、制定されたユニコードを利用しても、期待したほどの進展はなく、この側面から、中国学へのコンピュータの導入を促進することは難しい。中国学でコンピュータを利用する場合には、第一に外字の問題が大きな障害となるのである。
 中国学にコンピュータが普及しなかった理由の第二は、ニーズのなさである。中国学で、古い時代を扱う場合には、漢文の読解力が必要となる。漢文の読解は、長年の鍛練と広範な古典の知識を背景に持つことで、はじめて自由にこなせる漢文訓読によって行われてきた。したがって、漢文訓読を習得させるためには、ひたすら漢文に馴染ませ、字句の出典を辞書で調べさせ、その繰り返しによって、該博な知識を身につけさせることが求められた。そこには、コンピュータを利用する余地や必要性などはなく、中国学は、情報教育と最も縁遠い学問であったかも知れない。しかし、急速なコンピュータ−ネットワークの発展は、中国学の世界にも否応なく、学的地平の転換を迫ってきているのである。


2.ネットワークと中国学

 コンピュータが、スタンドアローン型ではなくネットワーク上で稼動することによって、情報の蓄積から処理・共有という人文・社会科学で必要とされる基本的作業は、途方もない拡がりを持つようになった。コンピュータがネットワークに接続されることにより、我々が入手しうる情報量は膨大なものとなり、それを取捨選択し、処理する能力が必要とされてきているのである。
 人文・社会科学を研究する際に、ネットワークにより提供される情報は、現在のところ二つに大別される。
 第一は文献情報の提供である。図書館において、カードに代わって図書検索方法の主流となりつつあるO.P.A.C.は、今まで手で行っていたカードめくりの作業をコンピュータに行わせるだけのことであり、処理速度の違いしか生じないが、学生は結構興味を示してコンピュータに向かっている。しかし、ネットワークの優れた点は、これをそれぞれの図書館の利用に止めず、図書館情報をネットワークによって共有することにある。具体的には、インターネットを通じて、東京大学や早稲田大学などの附属図書館の図書情報を入手しうるわけであるが、学生はこちらにはあまり興味を示さない。それは、アメリカのL.C.(アメリカ国会図書館)のように、2,000万冊の蔵書目録L.C.C.(アメリカ国会図書館蔵書目録)がインターネット上に公開されていて、ほとんどの図書情報がそれでカバーできるという状況が、日本の国会図書館などに存在しないためであろう。ところが、中国学を専攻する学生のネットワーク上の図書情報への無関心の理由は少し異なる。聞いてみると、その理由は、他大学の図書を検索しても、漢文を読むことに役立たないという極めてシンプルな点ににあるようである。


3.中国学におけるインターネット利用法

 人文・社会科学を研究する際、ネットワークにより提供される第二の情報は、文献それ自体である。これにより、史料を読み、言葉を蒐集して索引を作り、概念を確定しながら時代的な考え方を探るという人文・社会科学の基本的な作業負担は格段に減少する。人文・社会科学の史料の蒐集と処理の方法論は、従来のあり方から大きく変容していくであろう。
 グーテンベルク−プロジェクトに倣って、中国学でもテキストの原典がインターネット上に公開されつつある。もっとも、中国学ではテキストを表示する際、外字に依存する部分が多くなることから、グーテンベルク−プロジェクトのように、ボランタリーにテキストの公開が進んでいるわけではない。しかし、その入力にかかる膨大な作業に比べればタダのような価格で『史記』・ 『戦国策』・『唐宋八大家』などのデータ化されたテキストを購入することができるようになっている(問い合わせ先:竹林館、船橋市宮本8-2-4)。
 また、日本語と文字コード体系が異なるため、通常の方法では文字バケが生じるが、香港や台湾で入力されたデーターベースがインターネット上に公開されている。
 日本語Windos環境では、文字バケを防ぐために、Union Way Asian Suite Asian ProPack(問い合わせ先:ライン・ラボTEL 03-5229-8041)や、Twin Bridge(問い合わせ先:ネットジャパンTEL 03-5296-1233)など、マルチリンガル−ソフトを利用すると、容易に中国語環境を構築することができる。
 なかでも、台湾の中央研究院が公開する「古籍全文資料庫」(http://www.sinica.edu.tw:70/11/chinese)は、7,000万字以上の原典を入力済である。とくに「二十五史」がインターネット上で公開され、20例までの限定つきではあるが、字句の検索が可能となっていることは特筆に値する。二十五史は、『史記』から始まる中国正史のすべてであり、中国学の基本史料といってよい。
 中国学では、漢文訓読の際の出典を捜すという基本的でいて最も困難な仕事の一部をコンピューターが代行する意味は大きい。二十五史に含まれる用例であれば、長年の勘も辞書も必要なく立ち所に出典が明らかになるためである。
 中国学を専攻する学生にとって、コンピューターの有用性を最も実感したのは、この二十五史であるらしい。授業の予習の出典調べに、研究の基礎史料に、自説の史料的確認にと、二十五史は大盛況である。今年までは、ワープロによる卒業論文の提出も考えられなかった大東文化大学の中国文学科においても、これを契機にコンピュータ、インターネット熱がにわかに高まり、コンピューターを利用した教育が、やっと本格的に始動できる体制が整いつつある。


4.おわりに

 中国学の世界では、「文学における情報教育」という当初与えられたタイトルそのものが、存在するとは考えられなかった。情報教育どころか、研究論文の場においても、先述の二十五史を利用した研究が日本中国学会で発表され、研究の方法論が大きく変容すると認識されたのが、やっと今年のことなのである。
 しかし、コンピュータが単なる清書機械であるという認識が改まり、ネットワークを利用した研究が脚光を浴びる日は、すぐそこまで来ている。新しい時代に対応できる研究者や学生を養成する手段として、原典データーベースの蓄積を行い、コンピュータを利用した漢文読解や史料整理の有用性を訴え、利用環境を整えていかなければならないであろう。


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