特集 ネットワーク時代の教育を考える


ネットワーク環境を利用した「英語教育改革」への取り組み


平埜 雅久(早稲田大学文学部教授)



1.はじめに

 早稲田大学では、2年ほど前に、全学の情報教育を担う情報科学研究教育センターと大学業務のシステム化や学内ネットワークの管理を担当する情報システムセンターを統合し、「メディアネットワークセンター」を設置した。図書館情報システムも含め、学内のあらゆる情報化を統括する機関を設けたことによって、情報化を積極的に推進する体制が整備されてきている。また、生涯教育を担うエクステンションセンターでは衛星通信を使った遠隔授業の実用化を果たすなど、全学的にも情報化に向けた気運が高まりつつある。すでに今春からは、新入生全員に対して電子メール・アカウントが発行されている。
 また、文学部はこの夏、教室棟の一角に100台を超えるパソコン端末を備えたコンピュータ・ルームをオープンさせた。近い将来には別棟の校舎を建築して、さらに多くの端末を準備する予定である。学内ネットワーク環境の整備を急ぎ、学生たちが自由にコンピュータやマルチメディア教材と向きあえるような設備を整えることで、来るべき高度情報化社会に対応できる教育を提供しようとの計らいである。
 しかし、こうした情報化を進めるに当たって注意しなければならないことは、ともすればそれが技術論にのみ陥りがちだということである。ことに教育においては、ネットワーク環境の整備を急ぐあまり、主にシステムの規模や先進性などを競う基盤整備の側面ばかりが重視され、用意された環境をどう使えば教育の目的が達せられるのか、あるいは目指すべき教育効果を得るためにはどんなシステムでなければならないのか、といった肝心の教育論が置き去りにされる傾向が見られるようである。そもそも、マルチメディア教材やネットワーク環境は教育を行うための道具や器にすぎない。変えるべき必要性に応じて器の形を整えるのならまだしも、器の形に合わせて無理やり内容を変えるようなことがあってはならない。
 早稲田大学文学部では今、カリキュラム改革の一環として、これまでにない英語教育改革を進めようとしている。これを成功裏に導くためには、マルチメディアあるいはネットワーク環境の活用が欠かせないと筆者は考えている。ここでは、その具体的な構想について述べることで、英語教育におけるネットワーク環境の役割について考えてみたい。


2.英語教育改革とその背景

 1年ほど前のことだが、ふだんはあまり読むことのない『実業の日本』というビジネス雑誌を手にとったことがある。「英語革命―世界人の育成に欠かせない英語教育改革―」と題する特集記事の大きな見出しに目を引かれたためだ。そこでは、大学の英語教育に求める役割として、国際社会で即戦力となりうる実践的な英語力を備えた人材を育成すべきだとする意見が、実業界からの切実な声として取り上げられていた。
 これまで行われてきた大学の英語教育は、主に「読む」ことを中心として英語を正確な日本語に置き換えるという、いわば中学・高校における英語教育の延長線上にあるものだった。学生たちは10年間の長きにわたって、英語を正確に訳し、書くための力を身につけることが、受験や就職に役立ち、ひいては社会で一定の地位を築くための条件であるかのような教育を受けてきた。しかし、いざ社会に出てみると、こうして得た英語力では不十分であることに気づかされ、途方に暮れてしまう。英語の文書は正確に読めても、言いたいことが思うように口を突いて出てこない。もちろん、外国人と対等に渡り合うこともできない――。相手の言うことを聞いて理解し、自分の考えを自由に伝えるための訓練ができていなかったのである。
 周知のとおり、現在の社会ではあらゆる側面で英語力が必要とされている。企業の海外進出が進むにつれ、さほど英語力のない社員までもが頻繁に現地に派遣されるようになった。これだけ国際化が叫ばれているのに、若い世代がコミュニケーションの道具としての英語を使いこなせないようでは日本の将来は暗い。「英語ができる」ということは、海外旅行やインターネットに役立つといった個人レベルでのメリットを超えて、すでに社会レベルで必要とされる条件にさえなっているのだ。
 だとすれば、その社会が求める「使える英語」を学生に身につけさせることは、これからの大学教育に課せられた重要な使命の一つなのではないか。言うまでもなく、大学は高度な研究教育を行うための場である。特に文学部では文章を深く読み解くためのリーディングや正確な英文を書くためのライティングの訓練はおろそかにはできない。しかし他方では、現在の社会的要請に応えるという責も大学は負っているはずである。学生自身の側にも実用的な英語教育に対する要望は高まりつつある。事実、早稲田大学文学部が3年前に行った学生対象のアンケートでは、「実用英語」の習得を望む声が数多く寄せられた。こうした社会や学生のニーズに対して大学教育が無関心であっていいはずがない。


3.ビデオ会議システムによる英語学習

 英語によるコミュニケーション能力の向上を図るためには、とりわけ“話す機会”の重要性を筆者は強調したい。ただ、話す機会”を既存の教室内での教育に十分に取り入れることは難しい。その理想が1対1のコミュニケーションにあるからだ。文学部では現在、ネイティブ・スタッフの起用やクラスの少人数化などを進めているが、多くの学生を抱える早稲田大学のようなマンモス大学では、設備的にも経費的にも少人数化にはおのずから限界がある。そこで、着目したのがマルチメディア、あるいはネットワークの活用である。すでに整備されつつある学内LANを利用して、教室内では実現できない1対1の学習環境を作りあげよう、さらには海外の大学とも結んでお互いの教育を共有しようという構想である。これが実用化されれば、大学教育の情報化・国際化はもとより、正規のカリキュラムを補完する独習環境も得られることになる。何より、英語を道具としてコミュニケーションできる機会が飛躍的に増大するはずである。
 具体的に説明しよう。現在、早稲田大学のメインキャンパスには、海外からの留学生が、1年間、英語で日本の社会や文化について学ぶことのできる国際部が置かれている。ここと文学部キャンパスとをネットワークで結び、双方にパソコンレベルのビデオ会議システムを設置する。要はこのビデオ会議システムを利用して1対1のやり取りを行うのである。相手役として国際部で学ぶネイティブ・スピーカーの留学生に協力してもらい、文学部の学生と英語または日本語で自由にコミュニケーションを行わせる。これで、文学部の学生にとっては英語の、国際部の学生にとっては日本語の学習環境がいっぺんに得られることになる。
 ただ、漫然と会話させても成果は期待できないため、やり取りには一定のルールを設ける必要がある。例えば、カリキュラムに合わせて1時限(90分)ごとに時間枠を設定し、双方の学生が授業の合間などの時間帯にあらかじめ予約を入れておけるようにする。予約した時間帯には必ずパソコンの前に座り、1時限が終了するまで何らかのコミュニケーションを取り続けなければならない。45分ずつに区切って交互に英語と日本語を使い分ければ、お互いにとってメリットが得られるだろう。加えて、目的のない話題に終始することを避けるため、いくつかのトピックを設定しておき、学生はその中から興味あるトピックを一つ選んで予約と同時に登録しておく。当日までの間、双方の学生はそのトピックについて何を話すべきか下調べを行い、思うところを十分に相手方に伝えられるよう予行練習を積んでおくことを義務づけるのである。さらに学生の学習意欲を高め教育的効果を引き出すために、ある期間ごとに英語力を測るためのテストを実施するなど、評価システムを確立しておく必要もあるだろう。
 ビデオ会議システムでは、パソコン端末の画面上でお互いの顔を見ながら音声をやり取りし、同時にネットワーク上に置かれた教材やノートを共有して双方から自由に書き込みができるようになっている。ここでは、企業で使うような業務用の大掛かりなものではなく、小型のCCDカメラとマイク付きのヘッドセットを備えたパーソナルレベルのアプリケーションで十分対応可能だ。いわゆる「CU-SeeMe」などのインターネット・テレフォンと呼ばれるものに比べてデータの転送容量が大きいため、送られてくる映像がコマ送り状態になることもなく、音声も申し分ない。
 こうしたシステムを備えた端末を双方に数台も備えておけば、当面の実験を行うには十分だろう。時間枠以外や予約の埋まらなかった時間帯にもパソコンを活用できるよう、マルチメディア教材を蓄えた専用のサーバー機を設置してどの端末からでも自由にアクセスできるようにしておけば、独習環境も同時に得られることになる。学内での実験で成果や問題点が整理できたら、海外に協力校を求めてインターネットや衛星通信を通じて似たようなやり取りを行なえばよい。とくに日本語学習熱が高く、時差も小さい東南アジアやオセアニアの大学と提携できれば、お互いのメリットは大きいはずだ。
図1 構想概念図

4.おわりに

 ここで紹介したシステムはまだ構想段階にすぎない。しかし、特段新しい技術を必要とするものではなく、今ある環境に若干の設備を付加すればすぐにでも実験を始められる段階にある。実際、文学部では先のコンピュータ・ルームとは別に15台の端末を投入して実験の第一歩を踏み出すとともに、海外の協定校にも協力を呼びかけはじめている。(図1を参照)
 ここで強調しておきたいのは、基盤整備の細かな技術論・システム論よりも、むしろこうしたマルチメディア環境を活用した取り組みが既存の英語教育を改革する端緒になりうるということである。そのメリットを挙げるなら、まずこれまでの英語教育に飽き足らない学生に対して、学習意欲をかき立てるような刺激を与えられるということ。そして、英語を1対1で“話さなければならない”状況を半ば強制的に作り上げることができること。言語というものは、ある種追い込まれた状況でなければ身につかないものなのだ。ブロークンでもいい、必要に迫られて試行錯誤を繰り返すうちに思いを伝える術は必ず上達するはずである。生まれたばかりの子どもがまさにそうして「ことば」を身につけていくのだから。さらにもう1点付け加えるならば、こうした環境が国際部と他学部の学生との交流を生み、学内の国際化へと進展していくこと、ひいては海外協力校との交流の場へと広がっていくことである。
 マルチメディア、あるいはネットワークといったものは、このように、大きな教育目的を達成するための“道具”として利用してこそ、はじめて生きてくるものであると思うのである。


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