第5章 知的所有権

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1.創作物についての法的保護の必要性
2.技術革新の発展と法的対応
3.情報社会と法的対応
4.知的所有権についての国際的調整とわが国の対応
5.知的所有権に関する今後の課題

1.創作物についての法的保護の必要性

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(1)創作における資本の投資と時間の消費

 一般に、「ものを」新たにつくりだすまでには、考えをめぐらし、必要な種々 の資料、素材を購入し、経費と時間をかけて、さらには試行錯誤を繰り返した上 で、ようやく一つのものを創作するにいたるという過程をたどるのである。この ように新たにつくりだされたものは、ときには信じられないほどにすばらしいもの もあれば、この程度のものであればだれでも考えつきそうなのにと思うものもあ る。しかし、いずれにしても、新たに一つのものをつくりだすまでには、その人のもっている創造性を柱にして、相当な経費と時間を使っている。そればかりでなく、こうした創作の過程における創造性というものは、単に一時的な思い付きではなく、本人がどこまで意識しているかは別として、実はその人が長年にわた り積み重ねてきた有形・無形の経験・努力をはじめとする種々の要因に基づいている。したがって、こうした過程を経て生まれたものについて、そこに創造性を認められる場合には、創造性についてその人の法的利益を認め、権利として保護をはかることが考えられる。それによって、その人はもとより、一般に創造力の向上と育成が図られ、さらには社会的創作物の発達という利益をもたらすことになるといえる。
 こうした視点から、知的活動による成果について、法的に保護しようという方向性が生まれてきたのである。そして、時代の流れとともにその知的に保護する対象範囲は拡大してきている。その結果、今日、「知的所有権」という概念の定義について、国際的にはつぎのようにいわれている。
「知的所有権」とは、
に関する権利並びに産業、学術、文芸又は美術の分野における知的活動から生ずる他のすべての権利をいう。」(「1967年7月14日にストックホルムで署名された世界知的所有権機関を設立する条約」第2条第号)
 わが国は、この条約を昭和50年に批准し、すでに発効しているので、この定義をもって「知的所有権」と理解するのが妥当であろう。
 もっとも、今日「知的所有権」という言葉ではなく、「知的財産権」という表現を用いていることもある。その趣旨は、上記の条約にみる知的活動による創作は、単に所有権の対象であるに止まらず、担保権の対象をはじめとして、広く法的保護を与えようというのであるから、「知的財産権」という表現を用いるほうが適切であるというものである。ここでは、上記条約にしたがって「知的所有権」という表現を用いることとするが、その意味内容において変わるところがない。

(2)創作に対する侵害と損害賠償

 知的活動による創作について、権利として法的に保護することは、これを侵害された権利者は侵害によって生じた損害について、加害者に対して法的救済措置をとることを認めることである。
 ところが、知的所有権を侵害されたときに、侵害によって生じた損害とはどの範囲にまで及ぶかということが問題になる。侵害による損害は、直接的な侵害にとどまらず、間接的な損害は相当な範囲に及ぶ。そのうちのどの範囲までが賠償請求の対象となるかは、議論のあるところである。通説的考え方は、加害行為と相当因果関係の認められる損害について損害賠償を認めている。したがって、知的所有権が侵害されたからといって、それによって生じた損害のすべてについて、被害者が賠償請求をできるわけではないのである。さらに、被害者はその損害額を証明しなければならないが、これはきわめて困難なことである。
 そうなると、知的所有権を有するものとしては、他人に侵害されないようにする事前の対策を取ることが必要になる。知的所有権を侵害されたものは、損害賠償を請求できるにしても、基本的には、侵害されるおそれのあるときには、あらかじめ侵害行為の差止めを請求できるならば、損害を未然に防ぐことができて好ましいといえる。そこで、こうした事前の法的救済手段を用意することが要請されるのである。
 さらに、XがYに対し、知的所有権を侵害されたと主張して賠償請求しても、YはそもそもXの権利を侵害していないと主張して、侵害の事実を争うことも予想される。そうした事態に備えて、製品の研究開発にかかわるものは、あらかじ自己の権利の存在を公的に認証された方法により、確保しておくことが必要にってくる。従来、わが国では、この点の認識が希薄であったきらいが認められ。
 医学の世界では、臨床医学に対して、予防医学の重要性が協調されているように、法的な色彩が強い経済社会においては、紛争処理のための法学から、むしろ紛争予防のための法学へと、関心の比重を移し替えるべきときが到来していると考える。

(3)創作についての保護による健全な競争と新たな創作の推進

 創作物あるいは創作という知的活動によって生まれた成果について、法的に保護し、権利として認めることは、その本人はもとより、第三者にとっても創作活動によって成果を生み出したときには、自己の財産権となることを自覚させることになる。逆に、創作活動によって成果を生み出しても、法的に保護されず、なんらの権利を取得することもできないことになると、かりにその創作による成果を無断で利用されても法的制裁を科することもできない。さらには、他人が経費と時間をかけて漸くたどりついた創作物の誕生という成果を、経費と時間をかけないで利用できるということは、単に創作意欲を減退させるだけでなく、他人の創作活動の成果を正当な対価を払わずに無断で利用するという行動を引き起こす恐れがある。その結果、社会的に創作意欲を減退させるという風潮を引き起こし、産業、文化、学問の発展を著しく衰退させるという事態を招くことにもなる。
 もっとも、このことは、知的活動による創作について、その当事者に限りなき特権を付与すべきであるということを意味するものではない。知的生産活動は、程度の差こそあれ、先人の努力による成果の上に形成されるものであり、それならばこそ産業、文化、学問の発展も可能になる。したがって、知的生産活動の成果について、あまりに法的保護を与えることは、逆にそれらの成果を社会的に普及することを妨げ、同様の成果を得るために新たな資本を投下させ、さらにはその後の知的生産活動を抑制させることにもなる恐れがある。こうした事態は、社会的に経済効率にも反することになる。
 このように考えると、知的生産活動によって生じた創作の成果について、法的に保護することは、私的な利益と公共的利益の調和の上に形成されるべきものであると言える。
 そこで、知的生産活動によって生じた成果について、法的保護を与えるには大きく分けてニつの方向がある。
 第一は、当事者が、国家に対して、自己の知的生産活動によって生じた成果について、法的保護を図ることを求め、国家がこれを認めることによって、法的保護を図るものである。特許権が、その一例である。この場合は、当事者は自己の創作物について手の内を明らかにして、その創作性を主張することになるので、かりに特許出願が認められると、特許権という排他独占的な法的権利を取得するが、その反面として、第三者に自己の創作性を知られることになる。したがって、自己の発明について特許出願するか否かはもとより任意であり、出願しないで密かにノウハウとして温存するという方針をとることも少なくない。そうしたときには、たとえ第三者が同様の内容の創作をしても、それに対して自己の権利を侵害したとして争うことは困難になる。
 第ニに、知的生産活動による成果について、国家に法的保護を得るために、あらためて出願など特別の請求をすることなく、そうした成果を発表することにより、ただちにその創作物について国家から法的保護を与えられる場合である。著作権がその例である。
 しかし、実際に生じる紛争は、相手方の法的利益をはたして侵害しているか否かについて、容易に判断できない場合が少なくない。
 たとえば、モンタージュ写真の場合である。
 次のニつの写真を比較対照したときに、法律論は別としてどのように感じるであろうか。
 Xは、山岳関係、スキー関係の写真に力点をおいて仕事をしている写真家である。Xは、オーストリア国のチロル州サンクリストフの山々の雪の斜面をスキーヤ一たちが波状を描きつつ滑降している力ラ一写真(左図)を撮影し、写真集として出版した。一方、Yは、ベンネームを用いて合成写真を発表しているグラフィック・デザイナーである。Yは、Xの前記写真をXに無断で利用し、これにタイヤを配した合成の白黒の写真(右図)を作成して、写真集を発行した。そこで、Xは、Yの右図の合成写真はXの左図の写真の著作権を侵害するとして、損害賠償と謝罪広告の掲載を求める訴えを提起した。これに対して、Yは、モンタージュ写真であって、著作権の侵害には当たらないとして争った。
 第一審の東京地方裁判所は、Xの請求を認容したが、第二審の東京高等裁判所は、第一審判決を取り消して、反対にXの請求を棄却した。Xから上告したところ、最高裁判所は、Yの前記写真についてXの著作権を侵害するものと判断した(昭和55年3月28日第三小法廷判決・民集34巻3号244頁)。これだけ裁判所の判断が変転したことから、いかに難しい問題であるかをうかがい知ることができよう。
 このように、知的所有権をめぐる紛争は、当事者間の主張をどのように判断すべきかが極めて難しいことが少なくない。それのみならず、仮に著作権を侵害しているという主張を認めたときに、それでは、その損害をどのように算定するかとなるということが大きな問題になる。さらに、これがマルチメディア時代になると、新たな紛争が発生することが十分に予想されるので、こうした傾向は一層顕著になるものと思われる。

2.技術革新の発展と法的対応

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 人間の努力は、既存の技術について、時の経過とともにたえず進歩をもたらすとともに、さらに新たな技術を誕生させている。そうした技術開発は、長い年月に渡る英知の結晶であるとともに、莫大な経費をつぎ込んでいる。それによって社会生活にもたらす貢献は計り知れないものがある。ところが、そうした技術は従来の種々の枠組みを越えていることが多いので、既存の法律では直ちに対応できない状況を生じることになる。この傾向は、コンピュータ社会において、一層顕著である。その一例が、コンピュータ・プログラムである。

(1)コンピュータ・プログラムと権利保護

 コンピュータ・プログラムは、コンピュ−タに実行させる仕事の内容と順序をコンピュータに理解できる記号で表記した手順書である。これをコンピュータ言語を用いて書いて、コンピュータに入力すると、コンピュータが作動するということである。その意味では、コンピュータの正しく生命ともいうべきものであるといえる。そこで、これを創作したものについて、法的に保護するとしたら、どのような形態によるべきかということが問題になったのである。
 わが国では、コンピュータ.プログラムというものをどのように捉えるべきか、またその基本的な保護方法を著作権法に求めるべきか、あるいはプログラム権法というような独立した新規の特別立法によるべきかについて、激しい議論がなされた。その上で、昭和60年に著作権法の一部を改正し、コンピュータ・プログラムを著作物として保護することを明文をもって認めることとなったのである。

(2)新たな技術革新の発展と法制度

 技術革新が急速に進展すると、一般に社会的には多くの効用をもたらすが、従来みられなかったような紛争を生じさせることになる。ところが、社会の仕組、とりわけ法制度が十分に整備されないうちに、技術革新のほうが先行して急速に進展するために、いったん紛争を生じると、既存の法制度をもってしては、必ずしも適切に対応できない事態を引き起こすことがある。特に、わが国の法律制度は、経済社会における取引について書面をベースとするものを前提にして構成されているところに、コンピュータの出現により、まったく異質のものがそこに加わってきたことに起因する。
 例えば、ある情報を書面によって記録し、保管しているときには、仮に書面の記載に誤りが見つかり、訂正すると、その痕跡が残ってしまう。ところが、磁気テープに情報を記録、保管していたときには、たとえその記録を訂正しても、もとよりその痕跡が残ることはない。したがって、痕跡を残さずに、情報を改ざんすることが可能になる。このことは、磁気テープに限らず、日常使用しているワープロを思い起こせば、容易にわかることである。
 そうなると、紛争を生じたときに、このような新種記録媒体に保管されている情報は証拠として適格なのであろうかという疑問を生じてくる。ところが、この点については、わが国の現行の法律制度は十分な対応がなされているとはいえない。もっとも、コンピュータに係わる犯罪に対応するために、昭和62年に刑法の一部が改正され、電磁的記録の不正な作出などについて新たな規定が設けられた。
 このように、時の流れとともに、新たな情報保管媒体が出現すると、それにどのように対応すべきかということが問題になる。しかし、こうしたことは社会の発展にともない当然に生じることであって、ことさら不自然なことではない。新しい情報保管媒体について、既存のものと比較して、共通点ないし類似点を模索し、そこに当面の問題解決の手がかりをみいだすように努め、それによって具体的妥当性のある解決を図るべきであるといえよう。

3.情報社会と法的対応

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(1)情報の蓄積、編集と法的対応

 情報は、一つ一つをとっても、それ自体が貴重な価値を有することもある。報道関係におけるいわゆる特ダネなどは正にその一例である。しかし、情報の多くは、個別的情報それ自体では、ごく限られた価値しかなく、しかも客観的な一つの事実にしかすぎないことが少なくない。ところが、個別情報も、特定の基準をもって収集し、蓄積されると、それは単に数的に集合したという意味を有するにとどまらず、付加価値を生じ、しかも多大な主観的な意味を有するにいたるのである。したがって、情報を収集し、保有、管理するということは、情報が集積され、かつ累積されることによって生じるところの付加価値にこそ、本来的な目的があるといえる。そして、さらにこうした情報の蓄積を継続的に行うことにより、その価値は更に増大することになる。
 また、収集された情報は、単に蓄積されるだけでなく、収集し、蓄積された情報を編集することにより、あらたな付加価値を生じる。
 そこで、情報を収集し、蓄積させ、管理することなどによって付加価値を生じた場合に、そこに至るまでのノウハウについては、情報が有する固有の価値とは別個に、独立して法的に保護されるべきではないかという問題を生じる。,br>  その一例がデータベースである。

(2)データベースと法的保護
 情報を収集し、それらを後に利用しやすいように整理し、あるいは統合して情報の集合体をつくり、これを必要な時に目的にしたがってコンピュータによって検索する。こうした作業が可能になるならば、いずれの分野においても、情報を検索、収集するための経費と時間の節約になるとともに、遠隔地からも容易にアクセスできることになり、情報の地域的格差を是正させることにもなる。これがデータベースの基本的特徴である。
 データベースには、書誌情報、文書情報、数値情報などがあり、また判例データべース、地図データベースなどどのような分野、種類のデータベースであるかによって、これらの書誌情報、文書情報、数値情報などの価値も異なってくる。
 このような特徴に着目すると、データベースそれ自体について法的保護を与えて、著作権として保護すべきかということが問題になった。そこで、昭和61年に著作権法の一部改正により、実現をはかったのである。
 さらにデータベースは、センターに集積、保管された情報の限度において検索するのであるから、どのような情報をセンターに集積、保管しておくかによって、一種の情報操作が可能であるという点に留意しておくことが必要である。

4.知的所有権についての国際的調整とわが国の対応

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 経済社会の活動が発展すると、取引の国際化が促進され、その結果として、新たな国際的紛争も著しく増加する傾向にある。とりわけ、先端技術をめぐる各国の競争力が激しくなると、知的所有権をめぐる利害関係の対立は深刻な状況を引き起こすことになる。さらに、わが国の企業が海外に進出し、生産、営業活動を行うことが一層顕著になると、種々の法的紛争に巻き込まれることも少なくない。
 その要因は、各国における知的所有権政策をはじめとする法制度の違いはもとよりのこと、文化の違いなど多様に分かれる。 このような紛争の発生の増加という現象とは逆に、国際的な企業間の健全な競争は、技術革新を促進させることになる。開発費用が莫大になり、さらに企業の間における技術水準も接近してくると、共存共栄の道をはかるようになる。クロスライセンス、技術援助、共同開発、OEMなどの契約形態がその例である。
 さらに、各国が、他国から知的所有権を侵害するような製品を輸入しないということも、知的所有権の保護をはかる上で重要なことである。自国の中では、不正な企業活動ができないので、他国に輸出して、営利を求めようとするならば、国際的な視点からみて、知的所有権の保護を図ることは困難である。わが国でも、すでに明治30年に制定された旧関税定率法において輸入禁制品の一つとして「特許意匠商標及版権ニ関スル帝国ノ法律二違反シタル物品」を定めていた。その後、昭和29年制定の現行の関税定率法においても、もとよりこの規定は引継がれ、関税手続の過程において、こうした製品の輸入を厳しく取り締まっている。
 たとえば、わが国で人気のある海外ブランドのハンドバック、スカーフなどを輸入して販売すると、高額になり、利益も薄くなるので、海外で生産されているそれらの模造品を輸入して、あたかも本物であるかのように装って販売することにより、巨額の利益を得ようとするものがいる。こうした行為は、もとより反社会的行為であるばかりでなく、これを放置することは、健全な知的生産活動の発展を妨げ、正常な経済取引を破壊することになる。したがって、水際において、こうした商品の輸入を禁止し、もって正常な経済取引と流通を確保しようとするものである。
 さらに、近年のガット・ウルグアイ・ラウンドTRIP(貿易関連知的所有権交渉)においても、知的所有権の保護基準とならんでエンフォースメント(保護・取締執行)が論議され、1995年1月1日をもって、WTO(世界貿易機構)が発足した。その結果、「モノ」の貿易のみならず、サービス貿易、知的所有権などこれまでガットの下では貿易ルールの存在しなかった新たな分野における規律を含むこととなった。これらの内の知的所有権について、「知的財産権の貿易関連の側面に関する協定」(TRIPS)の締結をみた。これを受けて、わが国も、現行の関税定率法の一部を改正して、知的所有権侵害商品の水際における取統制度を一層拡充した。

5.知的所有権に関する今後の課題

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(1)知的所有権をめぐる紛争処理機関の創設

 知的所有権をめぐる紛争が発生すると、比較的争点は単純であっても、高度の専門的知識を必要とし、さらに、一般にその経済的価値が極めて高額であるために、紛争の解決には永い年月を要する傾向にある。したがって、紛争の解決にかかる費用も相当な額にのぼることになる。その結果、製品の開発、製造、販売などに著しい遅れを生じさせ、これらの事態によって被る損害は莫大な額になる。
 しかも、訴訟にたとえ勝訴したとしても、損害のすべてにわたり、回収できるわけではない。
 そこで、訴訟によることなく、裁判制度の外で、仲裁によって、知的所有権に関する紛争を処理するようにしようという動きがでてきた。こうした意向は、具体的契約において、この契約に関する紛争については、仲裁によって解決をはかるという仲裁の合意として行われている。
 仲裁の長所は、従来、迅速性ということがいわれている。しかし、これは必ずしも適切な理解とはいえない。知的所有権の保護という視点からみると、仲裁手続は、訴訟と異なり、非公開で行われるので、第三者が膨張できないので、紛争の形態、提出した証拠を第三者に知られることがない。さらに、どのような結末になったかということも、知られないですむことになる。これらの点は、知的所有権をめぐる紛争の当事者にとっては、きわめて重要な要素である。
 もっとも、仲裁は、原則として、先例を公表してなく、訴訟と異なり、上級裁判所の判例の立場というものがないので、あらかじめ仲裁の結果を予測することができない。しかも、仲裁判断については、不服申立てをすることができない。そうした点からみると、危険度の高い紛争処理制度であるとも言える。

(2)マルチメディア時代の到来と法的問題

  今日、マルチメディアという言葉がしばしば使われているが、いまだにその実像はだれにも見えていないといっても差し支えなかろう。しかし、マルチメディア時代になると、情報、通信、放送などが一体となった情報サービスが可能になるとされている。そうなると、既存の法制度をもって対応できるかということが問題になる。とりわけ、著作権法の分野において、それが顕著である。たとえば、マルチメディアが発達し、情報をデジタル化することが普及したときに、現行著作権法では、情報をデジタル化した者の利益を法的に保護する規定はない。また、現在では、「放送」と「有線送信」を区別しているが、放送、通信などの形態が変化したときに、著作権法上の現在の区分は適切かという疑問を生じる。最終的には、「著作物」とはなにかという根本的問題について、マルチメディア時代に適応できるように、見直すことが要請される。そこでは、単に法的な視点だけではなく、もっと広い視野にたった学際的な検討が必要になろう。
 このように新たな時代の幕開けは、既存の法制度とどのようにかかわりをもつのか、あるいは、整合性があるのか、かりに整合性に欠けるとするならば、いったいどのような対応を必要とするのか。そして、これらが方向性として、一応是認できるものであるならば、どのような基盤整備を必要とするのか。というようなことが検討課題として浮かび上がってくる。いつの時代でも、新たな幕開けの際には、つねに遭遇する問題である。
 しかし、時代の流れがすでにこのような方向にあるとしたならば、今後、社会的には情報基盤の整理というところから着手されるべきものと考えられる。そうした際に、これまでの知的所有権という枠組みは、そのまま維持されるべきものかということも問題になると予想される。多角的視点からの検討を要することになろう。

参考文献

  1. 経済企画庁総合計画局編  『知的所有権』 大蔵省印刷局 昭和62年
  2. 特許庁編  『技術立国と特許』 発明協会 昭和60年
  3. 北川善太郎 『技術革新と知的財産法制』 有斐閣 平成4年
  4. 坂井昭夫 『日米ハイテク摩擦と知的所有権』 有斐閣 平成7年

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